第9話 ~瑠奈、ムエタイに挑戦!長政の魂が燃える!?~

「まじ無理!これ超きつくない?」


バンコクの某ムエタイジムで、瑠奈は汗だくになりながら床に倒れ込んでいた。隣では親友のソムが優雅にストレッチをしている。


「あら~瑠奈ったら、そんなんじゃダメよ。女の子は強くなきゃ。特にバンコクではね♪」

レディーボーイのソムは、長い黒髪をさらりと後ろに流しながら、完璧なスプリットを披露した。


「やばっ、ソムさん超しなやか…」


『なんじゃその情けない格好は!武士たるもの、そのような姿を見せるものではない!』

「うっさい!長政さんはもう黙ってて!」


瑠奈は思わず声に出してしまい、ジムにいた他の生徒たちが不思議そうな顔で振り返った。そう、瑠奈の頭の中には、戦国時代の武将・山田長政の魂が宿っているのだ。それも、彼女にしか聞こえない声で、しょっちゅう武士道精神を説いてくるのである。


「瑠奈?また頭の中の侍さんと会話してるの?」とソムが笑いながら言った。


「えっと…まあね。でも誰も信じてくれないから、もう言うのやめたんだけど…」


『そうじゃ!誰にも言うな!しかしお主、なぜこのような格闘技に興味を持ったのじゃ?』


実は一週間前、瑠奈はバンコクの路地裏で暴漢に襲われそうになった時、長政の剣術の記憶が突如蘇り、見事に撃退したのだった。その時の高揚感が忘れられず、もっと強くなりたいと思ったのがきっかけだった。


「だって、バンコクの夜って危ないじゃん?ちゃんと護身術くらい身につけとかないとヤバくない?」


『むむ…それは正論じゃな。よかろう、儂が特別に指南してやろう!』


「えぇ!?マジ?でも長政さん、ムエタイなんて知ってるの?」


『武術に国境なし!心構えは同じじゃ!さあ、立て!』


ソムは首を傾げながら、瑠奈の独り言を聞いていた。


「ねぇ瑠奈、トレーナーのプラチャーイさんが来たわよ」


「げっ!あの超厳しい人!?」


ムキムキのトレーナー、プラチャーイが近づいてきた。彼は元ムエタイチャンピオンで、今では多くの若者を指導している。


「本能寺さん!まだ休憩ですか?さあ、基本の蹴りの練習をしましょう!」


「はい…」


瑠奈は渋々立ち上がった。キックパッドを持ったプラチャーイに向かって、おそるおそる蹴りを放つ。


「弱い!もっと腰を回して!」


『その通りじゃ!腰の回転が足りん!儂の記憶を思い出すのじゃ!』


「うるさいなぁ!二人から同時に指導されても混乱するだけだってば!」


思わず叫んでしまった瑠奈に、プラチャーイは困惑の表情を浮かべた。


「誰に向かって言ってるんですか?」


「あ、いえ、なんでもないです…」


練習は続き、瑠奈は徐々にムエタイの基本を身につけていった。長政の武術の心得と、プラチャーイの実践的な指導が、不思議とシンクロしていく。


一ヶ月後、ジムで小さな試合が開催されることになった。


「えっ!?私も出るの!?」


プラチャーイの発表に、瑠奈は青ざめた。


『これぞ好機!武者修行というヤツじゃな!』


「違うって!私はただの女子大生だよ!?」


「大丈夫よ、瑠奈」ソムが優しく肩に手を置いた。「あなた、この一ヶ月ですっごく上達したもの。私が見てても分かるわ」


試合当日。対戦相手は、隣町のジムに通う同年代の女性。リングに上がる瑠奈の足は震えていた。


『落ち着くのじゃ。呼吸を整えよ』


「はい…」


ゴングが鳴る。相手が素早い蹴りを繰り出してくる。瑢奈は反射的にかわす。


『その動き!良いぞ!』


「えっ、今の私がやったの!?」


『儂の記憶と、お主の身体能力が一つになっておる!さあ、反撃じゃ!』


瑠奈は相手の動きを見極めながら、的確な攻撃を繰り出していく。会場は盛り上がり、ソムは大声で応援している。


「がんばって~瑠奈!あなたならできるわ~!」


最終ラウンド。互角の戦いを演じた二人は、疲労困憊していた。


『最後じゃ!お主の全てを出すのじゃ!』


「はい!私にできる全て…」


その時である。おそらく緊張と疲労が原因だったのだろう。瑠奈のお腹から、とんでもない音が響き渡った。


「ぶびびびびーーーっ!!!」


場内が静まり返る。


「え…えぇぇぇ!?」顔が真っ赤になる瑠奈。


相手の選手が思わず吹き出し、両手で口を押さえて笑いを堪えようとする。


『こ、これは…武士の恥!』頭の中で長政が絶叫する。


「もう無理…死にたい…」瑠奈は顔を両手で覆った。


『いや、待て!これぞチャンスじゃ!相手が油断している!』


「えっ!?でも恥ずかしすぎて…」


『恥を力に変えるのじゃ!今じゃ!』


相手の選手がまだ笑いを堪えきれずにいる一瞬の隙を突いて、瑠奈は渾身のハイキックを放った。


「せーのっ!…って、あれ?当たった!?」


見事なクリーンヒット。相手はその場でくるりと回転し、マットに倒れ込んだ。


場内がシーンとなる。


「か、かっけぇ…」観客の誰かがつぶやいた。

次の瞬間、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。


「勝者、赤コーナー、本能寺瑠奈!」


「やったの!?やったの!?」


『見事じゃ!…まあ、手段は少々武士道に反するが…』


リングサイドではソムが大声で叫んでいた。

「瑠奈!あなた最高よ!私、感動で泣きそう!」


「もう、絶対試合なんてやらない…」シクシク泣きながら、瑠奈は囁いた。


『おや?さっきの強気はどこへ行った?』


「だって…だってぇ…」瑠奈は顔を真っ赤にしたまま泣き続けた。「私のデビュー戦が"おならKOガール"として動画サイトで話題になるんだよ…」


『そうか…現代にはそういう難しい問題もあるのか…』珍しく長政も同情的な声を出す。


試合後、控室で。


「おめでとう!本能寺選手!」プラチャーイがやってきた。「あの…最後の作戦は、かなり斬新でしたね」


「作戦じゃないです!」瑠奈は頭を抱えた。

その夜、カオサン通りのバーで。


「瑠奈、今日の試合、伝説になるわよ!」ソムはまだ興奮気味だ。


「それって、褒めてる…?」


『まあ、勝ちは勝ちじゃ。武士の歴史にも、時には奇策で勝利を収めた例は多々あるぞ』


「それはそれとして…」瑠奈はカクテルを一気飲みした。「もう当分、人前に出られない…」


「大丈夫よ」ソムは優しく微笑んだ。「そんなところも、瑠奈らしくて可愛いわ」


『まったく、現代の若者は…』


瑠奈は頭の中で溜息をつく長政の声を聞きながら、複雑な表情で微笑んだ。明日から当分、ジムには行けそうにない。しかし、バンコクの夜は、これからが本番なのであった…。

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