第22話

「っもう、慎二が恥ずかしいこと言うから、犬泥棒と勘違いされちゃったじゃないのさ」

「菖蒲ヶ原さんが言わせたんだけどもな」

「あのおばさん、私の髪の毛をつかんだのよ。あれは野獣よ、ケモノよ」

「俺は足を踏みつけられたよ」

 帰りの電車の中で、二人は並んで座りながらデートの反省会をしていた。時刻は夕方のただ中にあって、車窓から淡い朱色の空がさし込んでいる。

「まあ、いいわ。なんか楽しいから」

「俺も楽しかった」

「楽しかったって、どういうことよ」

「どういうって、だから菖蒲ヶ原さんと一緒にいて楽しかったってことだよ」

「なに言ってるの。今日はまだ終わらないのよ。これからもっと楽しいことがあるんだから」

 雪子は相変わらずのツンデレ顔だ。表情には出さなかったが、慎二の心の底にある欲望の眼が、クワッと開いた。

「それはひょっとして、俺と菖蒲ヶ原さんが菖蒲ヶ原さんの部屋へ行くってことか」

 雪子は、キッとした目で慎二を睨んだ。

「私の部屋に来れば、慎二はイヤらしいことを考えるでしょう。いや、しようとするでしょう」

「否定できないところが、男はもの哀しい生き物なんだ」

 そう言いながら、男子高校生は少しばかりニヤついている。この時、彼女の父親である菖蒲ヶ原誠人の存在を除外していた。  

「勘違いしないで。慎二の家に行くんだから。今日の夕食はピザが食べたい心境なのよ。ああ、あとフライドチキンと濃厚チーズマカロニも。そういうのって、みんなで食べたほうが美味しいでしょう」

「なるほど。ちょうど両親が旅行にいって、俺の家にはピーちゃんだけだ」

「ご両親、また旅行に行ったの。まあ、知っていたけれども」

 雪子のほうから家に来たいと言っている。これはチャンスを与えられているのではないかと慎二の心がざわめくが、最後の言葉が深く引っかかった。

「ってか、みんなって、なに。なんのこと」

「みんなはみんなよ。赤川君とか」

「いやいや、なんで大樹が一緒なんだよ。それはおかしいだろう」

 本気で憤る彼氏の顔を、雪子はじっと見つめていた。

「せっかく、部屋で二人っきりになれると思ったのに」

 慎二は下を向いて、ブツブツと不平を言っている。

「慎二の部屋で二人っきりになって、なにをする気だったのかしら」 

「なにって、それは」

「それは?」

 雪子は意地悪そうな笑みを浮かべていた。慎二は返答に窮してしまう。

「冗談よ。私はイケメン君には興味がないの」

「えっ、冗談なのかよ。もう、勘弁してくれよ」

 雪子のいじわるを当てられた慎二は、仏頂面だ。

「本気にしてむくれているなんて、あんがい子供なのね」と言ってケラケラ笑う。

「誰かさんに少年って言われ続けているからな。菖蒲ヶ原さんの前では、一生子供でいようかと思う」

「母性本能をくすぐられすぎて、逆にウザイわ。早く大人にならないと、慎二の部屋にいってあげないんだから」

「俺は大人なんだよ。どこからどう見ても、大人すぎる大人だから」 

 胸を張って言い切る男子を、雪子は目を細めて見ていた。

「なんなら、私の家に来てもいいのよ。徹夜してお父さんと人生を語り合うっていうのも一興かもよ」

「語り合っているうちにボコられそうだからやめとくよ」

「心配しなくていいのに。基本は温和なサディストなんだから」

「おやじさんの性格、しっかりと娘に引き継がれているよな」

「あら、お父さんはサディストだけど、私は違うわよ。ドSなだけ」

 腕を組んだ雪子が得意顔である。ドSな彼女には勝てないと、慎二は思う。

 二人のスマホが震え出した。なんらかの着信があったことを知らせており、同時に取り出した。

「赤川からだ」

「私もよ」

 二つの画面にチャットアプリのテキスト機能が表示されている。慎二の中学生からの友人で、同級生の赤川からだった。

「みんなで俺の家に集まってピザを食おう、だってさ」

「フライドチキンと濃厚マカロニチーズもって、私たちの会話を聞いていたの」

 二人が話していた内容と、赤川からのメッセージが同期していた。雪子が辺りを見回して怪しい気配を探る。

「偶然だよ、菖蒲ヶ原さん」

「でしょうけど、タイミングがよすぎる。盗聴器をつけられているかも」そう言って、体の隅々をパタパタと叩いていた。

「それで、どうする? 赤川も家に呼ぶのか」

 慎二はそう言いつつも、友人の招聘にはまったく乗り気でない。

「既読無視に決まっているじゃないの」

「だよな」

 二人の意見が一致する。スマホは即座に仕舞われ、赤川のメッセージは黙殺された。

「すまん赤川。今日という日の友情は、また今度な」

 デートの続きは、場所を新条家へ移すこととなった。ひょっとして雪子は泊まる気ではないかと、慎二の内心は穏やかではない。いろいろな準備をしっかりと整えたのだろうかと、いまさらながらに自問している。



 慎二の家に着くと、彼より先に雪子が靴を脱いだ。勝手知ったる他人の家であり、さっさと居間へ行ってしまう。 

「ヤッホー、私の天使ちゃん」

 大人の背丈ほどある巨大な鉄製ケージに白い鳥がいた。新条家で飼われているキバタンオームのピーちゃんである。サイキックの変身能力により、一時的に人間の幼女へと変えられたことがあり、その際に雪子のお気に入りとなった。

 ケージの扉を開けて腕を入れると、ひょいと乗っかってヨチヨチと肩までやって来た。トレードマークである黄色い冠羽を一度立ててから頭を低くして、そのモフモフの顔が美少女の頬を撫でた

「ほんとに可愛いんだから」

 雪子はご満悦である。しばし鳥くさい感触を楽しんだ後、ケージの止まり木へ戻した。

「ねえ、夕子を呼んで、もう一度幼女にしてもらうってのは、どう?」

「彼女のサイキックも無意識の衝動みたいだから、上手くいかないかったらどうするんだよ。たとえば、幼女にするつもりがオッサンになったりとか」

「それは悪夢としか言いようがないわね。とても寒いわ」

 その絵図らを想像した雪子は、思わずブルッと震えた。ピーちゃんが{エロイぞー}と、得意文句を口走る。

「それに雄別さんは行方不明だからな。長期の休みってことになっているらしいけど」

 雪風東高校二年一組に在籍する雄別夕子は、変身という超能力を有していた。自らを別人へ変えることができ、さらに驚くべきは、他人や動物をも変えてしまうことができた。

 最近では、新条家のぺットであるオウムを愛らしい幼女へと変えたこともあった。ただし、自分以外を変える能力は当人の意思とは関係なく発動される。慎二や雪子のサイキックと同じく、無意識の衝動がトリガーとなっていると思われていた。

 ただ、ここしばらく彼女は登校していなかった。外見がとても地味なので存在が気にされていないのではないかと、赤川が二組の女子に探りを入れると、理由はわからないがしばらく休みであると一組の担任が言ったらしい。

「誰かに化けている可能性があるんじゃないの。女子大生とか」

 あまりにも地味すぎるため、夕子は教育実習生の女子大生に変身したことがあった。少しでも生徒たちと親しくなりたいと考えてのことだが、雪子に声をかけてあえなく無視されてしまった。

「まあ、夕子のことは冗談として」

「雄別さんも冗談なのかよ」

「とにかく、お腹がすいたわ。ピーちゃんだってそうでしょう。今夜はピザよ」

 そう問われたピーちゃんは、キョトンとして首をかしげていた。雪子が楽しそうに見ている。慎二がなにげなくテレビをつけた。

 宅配ピザのCMが流れた。ボリュームが大きかったので二人が注目してしまう。すると、棚に置いてあったピザ店のチラシがヒラヒラと落ちてきた。それはテレビCMと同じ店だった。その紙を雪子が拾い上げると同時に玄関チャイムが鳴った。

「誰か来たみたいだ」

 慎二がインターフォンの画面を確認してから玄関へと行く。話すまでもなく正体を知ったようだ。

「菖蒲ヶ原さん、いつの間に頼んだんだよ。いちおう俺の好みも訊いてほしかったな」

 戻ってきた慎二は、ひどく扁平な箱を持ってきた。派手な柄の箱の中から、ほんわかといい匂いが漂っている。 

「なんのこと」

「ピザだよ。宅配だったから、お金は払っておいたよ」

 ピザの箱をテーブルの上に置いて蓋を開けた。腹ペコ女子が鼻で匂いを吸い込みながら覗き込んだ。 

「ちょうどよかったわ。雪子さんの食欲は、いま現在限界点を突破しているのよ。ポイント・オブ・ノーリターンなの」

 グルグル~と、その美少女顔と不釣り合いな音を、お腹から鳴らしてアピールした。

「菖蒲ヶ原さん、内臓だけが以前のふくよかな菖蒲ヶ原さんに戻ったのでは」

「どんな私でも食欲は旺盛なの。当然でしょう」

「なるほど。注文が早いわけだ」

「だから、私は頼んでないってば」

「でもじっさいにピザが来たし。ほら、CMとチラシの店だ」

「CMもチラシも、いま見たばかりじゃないの。ヘンな偶然ね」

 雪子は首を傾げる。おいしそうなピザの真上で、目線を右上に向けて考えていた。

「まあ、なんにしても、ちょうどいいタイミングだ。食べよう」

「そうね。お金は慎二が払ったことだし、チーズがトロけているうちにいただきましょう」

 最初の一かけらは雪子が口にする。と思いきや、それを慎二の顔の前まで持ってきた。

「はい、食べて。ダーリン」

 雪子が差し出したピザにかぶりついた慎二は、よくできた彼女だとご満悦である。   

「あは、おいしい」

 いい気分でゆっくりと味わっているうちに、雪子が残りのピザを次々と食べていた。早食いをしているふうには見えなかったが、手数が多いのは彼女のドラム演奏と一緒だ。

「念のため確認するけど、これって割り勘だよな」

「こまけえことはいいんだよ」

「おっさんかよ」

「ドラマーな女は宵越しの銭は持たないの。今日は慎二のおごりでダウトよ」口の端に付いたピザソースを、ぺろりと舐めながら言った。

「俺の財布を気にしてくれよな。ダウトの意味が不明だし」

「ふふ」

 LLサイズのピザは、食べ盛りのティーンエージャー女子が食べつくしてしまった。慎二は、初めに渡された一切れしか食べられなかった。

「慎二の分がなくなっちゃったわね」

「菖蒲ヶ原さんが俺の分まで食べてるからだろう」

「うふふ」

 菖蒲ヶ原雪子は、淫らなほどに食い意地があるわけではない。恋人の分をワザと食べてしまうことで、自分の存在に茶目っ気をプラスしているのだ。

「わかったわ。そんなに言うのだったら、今度こそ私が注文してあげる」

 そういう遊戯であると、もちろん慎二はわかっている。今度の支払は彼女がするので、財布の中身を心配しなくて済むのは朗報だった。

 その時、再び玄関チャイムが鳴った。慎二が玄関に出向いた。インターフォンがあるので居間でやり取りができるのだが、雪子との会話ゲームにインターバルを置きたかったのだ。

「すみません。さっきのピザ屋なんですけど」

 ピザの宅配人であった。支払うのは雪子であるので、慎二は彼女を呼びに居間へと戻る。

「菖蒲ヶ原さん、注文するのが早すぎる。ピザ屋さんがもう来たよ」

「なに言ってるの、私じゃないわよ」

 自分が頼んでいないことを、雪子は不機嫌顔でアピールした。じっさいに、彼女はまだケイタイに触れていない。事実を確認するために、多少憤慨した表情で慎二と一緒に玄関へと向かった。

「じつは、さっきのピザは隣の家でして、そのう、まだ食べてなければ返してもらえないでしょうか」

 申し訳なさそうに配達員の若い男が言った。慎二は、すでに代金を払っているし、現物はおいしく食べ尽くしてしまったことを告げた。

「ああ、そうですか。まあ、そうですよね。こりゃあ、店長にどやされるなあ」

 配達員は、はあー、はあー、と落胆しながら帰っていった。

「しっかし、すごい偶然だよな。だって、菖蒲ヶ原さんがピザの話題をした途端にピザのCMで、ピザのチラシが棚から落ちてきて、極めつけは間違いといえどもピザが配達されたんだから。これってなんのマジックなんだ。菖蒲ヶ原さん、ひょっとしてピザの女神様なのか」

「当然でしょ。私を誰だと思っているのよ」

 腰に両手をあてて大いに胸を張り、{私を称えよ}のポーズをキメる雪子であった。

「おおー、女神様」

 ツンとやや上方を向いたバストに、男子高校生の視線が釘付けだ。彼は、自らの不貞な人差し指でツンツンしたい衝動をどうにか抑えていた。

 機嫌が良くなった雪子がスマホを取り出して、素早くタップする。

「あ、もしもし、ピザホットですか。ミックスゴージャスシーフードピザのLLサイズを二枚とメキシカンチリから揚げ熟女盛り、それとフライドポテトとチーズマカロニとカニ雑炊とジンギスカン定食と・・・」

「菖蒲ヶ原さん、落ち着いて。そんなに食べられないよ。それと熟女盛りってどういうこと。めっちゃ高いんじゃないか」

 やけに景気の良い彼女を、いささか貧乏性な彼氏が心配する。

「ねえ慎二、知ってるう。赤色矮星って、寿命が1000億年から30兆年もあるのよ。宇宙って誕生してから137億年だから、まだまだなくならないのよ。これからもずっと」

「科学番組の宣伝かよ。意図するところがまったく見えないのだが」

「女子高生の食欲をナメんなよってことよ、テヘペロ」

 本気なのかふざけているのか、おそらく後者なのだろうが、いつもの絡み方より一味も二味も違う雪子のノリについていける自信がなく、慎二は金銭的な心配をしなければならなかった。

「そんなに注文されても、俺は文無しなんだけど。大丈夫なのか」

「私はセレブレトーなのよ。お金なら心配ないわ。沈没船に乗った気で安心しなさい」

「すでに沈んでいるんだが。それとセレブリティーな」

「セレブレ、トーッ」

 テンションが上がってしまったのか、雪子がそう叫んで右足を振り上げた。小学生男子みたいな悪ふざけだったが、短めのスカートがめくれ上がり、はからずも下着の前面を慎二の目に焼き付けるとことなった。  

「おっは、純白パンツ最高―」

 父親譲りのカラーギャング男子に向かって、雪子は股に両手を当てて防御の姿勢をとりつつ、鷲の視線を突き刺した。その鋭さにあわてた慎二は、あらぬ方を向いて素知らぬ表情をする。{エロいぞー}とピーちゃんが叫んだ。

 ほどなくして、ピザホットからピザとから揚げの熟女盛り、ジンギスカン定食など大量の料理が宅配された。新条家の居間は、ジャンクなフードが混ざり合った匂いで満たされた。さっそく食らいつく女子が肉食動物過ぎると、慎二は軽くため息をつく。

「どう慎二、私のチョイスは」

「まあまだな」

 この次は雪子さんの手料理でお願いするよ、と付け加えた慎二の小声は遠慮がちだった。

「ふん、お情けで作ってあげるわ」

 ツンツンして熟女盛りから揚げを頬張る雪子の内心は、じつはデレデレである。もぐもぐと口を動かしながら、意味ありげな目線を恋人に流していた。もちろん、慎二もそれを十分に意識していた。 


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