第24話

「へえ、それは災難だったですね」

「まったく、俺はどれほどの悪意を浴びせられればいいんだろうな」

 放課後である。校務員室にいるのは慎二と、彼の数少ない話し相手の後輩で、ついでに社会人でもある羽間朧だ。

「それにしても、見ず知らずの女子が、どうして俺なんかによってくるんだろう。もう少しでキスされそうになるし、菖蒲ヶ原さんに見られていたらとゾッとするよ」

「それは自分がモテたという自慢をしているんですか。すごく不愉快なんですけど」

「べつに自慢じゃないさ。ただ、いきなりだったんで、なんでかなあって思っただけだよ」

「それは慎二先輩のワガママ性欲のせいですよ。あふれんばかりの淫靡なオーラを感じて、さかりのついたメスが寄ってきただけです。よくあることですので気にしないで、いますぐ往生してください」

「誰がワガママ性欲だって。前にも言われたことがあるぞ。そして俺はまだ死ぬ気はないからな」

 廊下を行き交う者たちの足音が騒がしかった。授業中なら静かで落ち着くのだが、予期せぬ誰かが唐突にやってくるのではないかと、朧はほんの少し気にしていた。

「まあ、でも実際問題として、慎二先輩が次々とモテるなんてことは考えられないですね。やっぱり雄別夕子さんが変身して、からかっているんじゃないですか」

「それは俺も考えたよ。でも雄別夕子の要素がぜんぜんないんだよ。オーラっていうか雰囲気がまったく別人なんだ。顔だって、けっこう可愛くてさ」

「雄別さんの変身サイキックは、いつもちょいブサにしかなれなかったですものね」

「そうなんだよ。しかも顔が可愛いだけじゃなくて、けっこう胸がデカいんだ。はっきり言って巨乳だな、巨乳。あれは菖蒲ヶ原さんの三割増しはあるな」

 じっさいに自分の胸に手を当てて、朝子のバストの大きさを男子高校生らしく表現した。

「いまの話、菖蒲ヶ原さんにチクッときますから」

「おいおい、やめてくれよ。俺の彼女はドSなんだぞ。嫉妬の女神様なんだって。殺されちまうよ」

「いまの話もチクッときますよ。せいぜい怒れる女神様に鞭打たれてください」

「たのむ、それだけは勘弁してくれ」と言って手を合わせた。

「二千円でいいですよ」

「脅迫かよ」

 朧は黒いシミだらけの使い込まれたヤカンで、親の仇のように湯を沸かしていた。激安スーパーで買ってきた緑茶のティーバックを、これまた茶渋だらけの湯飲み茶わんに入れて灼熱の湯を注いだ。それを慎二の前へもってきて、なにも言わずに目線だけで飲むように促した。

「あちっ」

 予想通り、それは持つこともできないほどに激熱だった。

「熱すぎて、口をつけることが困難なんだが」

「ワガママ性欲には適切な温度だと思ったんですけど」

 少し待ってから、慎二がそのケミカル臭ただようお茶を啜ったが、あまりの熱さに数滴を上着にこぼしてしまった。

「うわっ、こぼしちゃった」

 慌ててポケットからハンカチを取り出そうとして、一緒に入っていたティッシュを落としてしまった。その動きは朧も一緒であり、やはりティッシュを落としてしまう。二人は床に落ちたティッシュを拾おうと同時に屈んだ。 

「あ、朧のと同じだ」

「ああ、同じですね」

 ティッシュは同一メーカーである。それぞれが拾い上げて、無意識に相手へ見せていた。上着のシミを拭くことを、すっかりと忘れている。

「これ、さっきもあったな」

「これって、なんのことですか」

「さっき俺がこのティッシュを落としたら、なぜか転校生も同時に落として、それでおんなじメーカーだったんだよ。女子たちに悪口を言われた原因なんだ」

「へえ、絵にかいたような偶然の出来事ですね。しかも、僕にも起こっている。これはおかしいな」

 朧は、そこで言葉を切って考え込んでしまった。

「なにか気になることでもあるのか、朧」

「いや、そんなこともないんですけど」

 否定はするが、なにかが引っ掛かっているようだ。その雰囲気を感じた慎二は、関連する経験を話し始める。

「偶然といえば、昨日の夜もあったなあ」

「へえ、どんなことですか」

「ピザホットってあるだろう。宅配ピザ屋さんの」

「慎二先輩はジャンクなものばかり食べているから、おかしなサイキックになってしまうんですよ」

「いや、それだったらほとんどの高校生が、なんかのサイキックになってるぞ。そこらじゅう超能力者だらけだ」

 新条慎二はサイキックである。その能力とは瞬間移動・テレポーテーションだ。菖蒲ヶ原雪子もまたサイキックであり、予知能力・プレコグニションを有していた。もともと本人たちの意志では制御できない衝動的・突発的なものだったが、いま現在は二人ともにその能力を発揮できない状態となっていた。

 サイキックの発動は思春期特有の心の揺れに起因しているようで、家族問題などの心因的な課題が解決されたので自然と消滅したのではないかと、雪子と慎二の結論は一致している。

「話を続けてください」

 朧に促されて、慎二は昨夜のピザの件を話す。

「ちょうどピザの話題で盛り上がっていたら、そのピザ屋のチラシが落ちてきて、まだ注文してないのにピザが宅配されたんだよ。同時にCMまで流れてさ」

「慎二先輩、ちょっと待って」

 唐突に校務員室のドアを叩く音がした。廊下に誰かが来ている。曇りガラスの向こうに人影が見えた。 

「だれか来たみたいですね」

「担任かな。ここにいるのが見つかったらマズいぞ」

 慎二の心配などお構いなしに、朧がドアを開けた。

「ピザホットですが」

 ピザの宅配人が立っていた。もちろん、保温カバーに商品であるピザを入れて持っている。

「ええーっと、僕は頼んでないんだけど」

 朧はピザを注文していない。お昼はカップ焼きそばと乾パンで済ませていた。

「いくらですか」

 慎二がやってきて金を払った。ピザ宅配人は代金を受け取り、ピザの箱を手渡して行ってしまった。廊下には他の生徒も教師もおらず、したがって騒ぎにはならなかった。

「慎二先輩、ひょっとして注文してたんですか。生徒がやると怒られるから校務員室へ来るようにしたんですね。迷惑です。たたっ斬りますよ」

「いやいや、さすがに学校までピザを注文なんかしないぞ。なにかの間違いで来たんだろう」

「だったら、なぜお金を払ったんですか。そのまま追い返せばよかったのに」

「あそこで押し問答してたら目立っちゃうよ。それに」

「それに、なんですか」

「ちょうど小腹がすいていたんだ」

「たしかに」

 なんとなくジャンクなフードを食べたいと思っていたのは、朧も同じだった。ピザはネズミ色の事務机の上に置かれ、すぐさま開封された。二人はたっぷりのチーズが溶けたそれを毟るように取って、かぶりついた。 

「これはうまい」

「僕は、マルガリータピザが大好きなんですよ」

 LLサイズのマルガリータピザだったが、十分もかからすに食べきってしまった。指に付いたピザソースを行儀悪く舐めながら、朧がぽつりと言う。

「また偶然ですね」

「え」

 満腹になった慎二は頭が回らない。後輩社会人の指摘に気づいていなかった。

「だってほら、ピザの話をしていたらピザの配達がきたじゃないですか」

「ああ、そういえば」

 注文していない宅配ピザが、よりによって学校の校務員室へとピンポイントでやって来た。ふつうではないことが起こっていると、朧は考えていた。

「慎二先輩、最近変わったことはないですか」

「変わったことって、ん~、まあ、とくにない。転校生がきたことくらいかな。なにかあるのか、朧」

「いや、変わったことがなければいいです」

 朧はある考えにたどり着いているのだが、それを告げるのは時期早々だと判断した。慎二が校務員室を出ていこうとする。

「まあ、せいぜい気をつけてください」

「ああ、わかったよ」

 いちおう、慎二はそういう返事をしたが、朧の言葉が示唆するところを想像もできなかった。


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