第25話

「はあ~。明日から菖蒲ヶ原さんに会えないなんて、俺の人生がムダすぎるよ」

「仕方ないでしょう。助っ人を頼まれたんだから」

 お昼休み。慎二と雪子は、空き教室の窓際の席で対面しながら昼食をとっていた。もちろん、二人が食しているのは雪子の手作り弁当である。

 雪風東高校名物・競歩遠足という名のマラソン大会にて、ゴールした後にグランドの朝礼台で濃厚なキスシーンを演じてしまった二人は、なかなかの有名人である。

 現場では一部の生徒しか見ていなかったが、学校側が配置したドローンでしっかりバッチリ撮影されていた。後日の全校集会で、不適切な男女交際の実例として、巨大プロジェクターにて公開処刑されてしまった。二人っきりだとなにかと囁かれてしまうので、学校内で会うときは、周囲に誰もいない密会スタイルとなっている。

「菖蒲ヶ原さんが吹奏楽部に入っているわけでもないのに」

「ドラムの欠員が出ちゃったんだから、しょうがないでしょう。今年は金賞狙えるから、部員も顧問の先生も必死みたいよ」

 雪風東高校吹奏楽部が、全国コンクールのため北海道へ遠征する。孤高な一人ドラマーの雪子には関係ないことだが、ドラム担当部員がチャリンコで転んで腕を負傷してしまった。転倒の仕方と場所が悪く、骨にヒビ入る大ケガとなった。ドラム担当に控え部員はおらず、必然として、美少女ドラマーとして名高い雪子へ白羽の矢が立ったのだ。  

「北海道かあ。なんか菖蒲ヶ原さんが遠くに行ってしまうようで、さびしいよ」

「一週間で帰って来るってば。なに子供みたいなこといってるのよ」

「菖蒲ヶ原さんは、子供に厳しいからなあ」

「そんなことはない。天使ちゃんにはデレ甘だったじゃないの」

「甘いといえば、このたまご焼きはマジ最高」

 雪子お手製の甘い卵焼きを、慎二はさもおいしそうに食べていた。

「私がいないあいだに浮気したら許さないから」

 ご飯を食べながら、雪子が鋭い視線を突き刺してきた。

「俺なんて、菖蒲ヶ原さん意外の女子には見向きもされないさ」

 やや右上をチラ見しながら、慎二は真顔で答えた。

「でも、けっこうモテ始めているでしょう、ここのところ」

「そうでもない。面白がられているだけだよ」

 朝礼台での告白、およびキスを敢行した慎二は、ここ最近、女子たちから熱い視線を受けることが多くなっていた。

 彼の悪い噂を知らない一年生女子が大半だったが、廊下ですれ違いざまに話しかけてきたり、放課後に告白してきた豪の女子もいた。恋愛において行動力抜群の男は、たとえ見かけはパッとしなくとも評価されるのである。また、校内一の美人女子から男を横取りしたいという略奪愛に燃えている者もいた。 

 もちろん、陰キャな男子は逃げるように立ち去る。内心はかなりうれしくて浮ついていたりもするが、優先順位を取り違えることはなかった。なによりも雪子との関係が最重要であり、彼女が好きすぎて、ほかの女子には興味を示す余裕もなかった。

 そんな慎二を雪子は信用しているが、見知らぬ女子が自分の彼氏になれなれしく接近するというのは、心中穏やかではいられない。万分の一の間違いが起きぬように、しっかりとクギを刺しておかなければならないのだ。

「かえって菖蒲ヶ原さんのほうがモテてるだろう。昨日だって三年生に誘われたって聞いたぞ」

「あら、ボッチのくせに情報は早いのね。ストーカーでもしていたのかしら」

「ボッチで悪かったな。赤川が教えてくれたんだよ」

「ボッチは好きよ。私はビッチだから」と、雪子はウインナーを頬張りながら笑みを浮かべていた。

「ん」と、慎二の目が丸くなる。

「ま、間違えた。ビッチじゃなくて孤高よ、孤高。私ったら、なに言ってるの。どうして自分のことをビッチなんて言うのよ。バカじゃないの。ホントに、なんなの、もう」

 言い間違えたことに対して、かなりの動揺具合である。熱をもった赤い顔を冷やそうと、手を団扇のようにして仰いでいた。慎二が笑いをこらえている。

「ねえ、ここ暑くない?」

 教室の中がむし暑いと感じた雪子が、横の窓を二十センチほど開放した。髪を少しばかり靡かせる。涼しい風を浴びて、気持ちよさそうにしていた。心の動揺は治まったようだ。その風流な美人顔を、慎二はしっかりと堪能していた。

「菖蒲ヶ原さん」

「なによ」

「そのたまご焼き、美味しそうなんだけど」

「慎二のお弁当にも入れたでしょう。あげないわよ」

「俺のはもうなくなっちゃった。それに菖蒲ヶ原の箸でつままれて、いままさに菖蒲ヶ原さんの口に入ろうとしているそれが欲しいんだよ」

 空き教室で誰もいないことを利用して、これ見よがしにラブラブモードへ突入しようと試みていた。

「もう。この子は、どうしてこうも欲しがりなのよ」

 呆れた顔をしながらも、雪子は子供にはやさしい女である。

「仕方ないわね。それじゃあ、ああ~ん、して」

「ああ~ん」

 雪子の箸先にある卵焼きが、慎二の口へと放り込まれる寸前であった。

「にょ~~ん」

 突然、どこからともなく雄別朝子が現れた。まるで瞬間移動してきたかのように、二人のそばでしゃがみ、そして空に浮かぶ卵焼きを、ペレット餌を吸い込む鯉よろしくパクりと食べた。

「うわっ」

「きゃっ」

 甘ったるい恋人同士は驚いてしまう。

「ふにょ~ん。あたし、甘~いたまご焼きって、大好きなんだ。これ、めっちゃおいしい」

 強奪したばかりのお惣菜を、ツインテールの美少女がいつまでも噛みしめていた。

「な、なに。てか、あなたは誰。ええーっと、たまご焼き泥棒さんなの?」

 雪子は朝子とは初対面である。二年二組に転校生が来たことを、まだ知らなかった。 

「あさっちだよ。慎二とは同じクラスで友だちなの。にょ~ん」

「ええーっと、慎二のクラスメートなの。にょ~ん?」

「そうだ、にょ~ん。それで一番の仲良しなんだってさ」

 キメの猫ポーズを見せつけた。これはどういうことなの、という疑惑の目線が雪子から慎二へと移る。

「いやいや、俺と雄別さんはこの前初めて会って」

「あさっちだよ」と、朝子がすかさず訂正を求めた。

「雄別さんって、夕子の姉妹? いいえ、ひょっとして夕子が変身しているの。えっ、夕子なの。ぜんぜん地味じゃないけど」

 雪子の頭の中が混乱している。雄別朝子をまじまじと見て類似点をさぐっていた。夕子が変身していると思っている。

「いや、雄別夕子さんとは無関係みたいなんだ。知り合いでもないってさ」

「どうして慎二が知ってるのよ。それに仲良しって、どういうこと」 

「ええ、そのう、だから、あさっち雄別さんは転校生で、偶然席が隣になって、仲良しとかそういうレベルじゃなくて、じつは俺もよく知らない。ていうか関係ない」

 慎二はしどろもどろになりながらも、朝子との間に特別な感情のやり取りがないことを説明した。そのあいだ、雪子は虎のような目つきだった。

「ねえねえ」

 少しばかり緊張した恋人たちの世界へ、朝子が入り込んでくる。

「たまご焼き美味しかったから、これあげる」

 彼女が差し出したのは、包装紙付きの平べったい菓子だった。

「鳩クッキーだよ。おいしいから食べてちょ」

 鳩クッキーはこの地域の名物であり、おみやげ物の定番菓子だ。

「あ、ありがと」

 唐突に渡された鳩クッキーを手にして、雪子はキョトンとしていた。突然現れて、自分の恋人と親しい間柄だと宣言した女子へ言うべき様々なことがあったのだが、そのクッキーを手にした途端にどこかへふき飛んでしまった。

 パリパリと小気味よい音を立てながら、雪子がクッキーを食べ始めた。朝子は屈託のない笑みを浮かべている。慎二にも渡されたので、恋人と咀嚼のタイミングを合わせながら食べていた。ほぼ無言という微妙な空気感の中、皆で食後のデザートを楽しんでいた。

「うわあ」

 慎二が素っ頓狂な声をあげた。風を入れるために開けていた窓から、なにかが羽ばたきながら突進してきたのだ。

「わあ、ハトだ」

 教室に侵入してきたのは鳩だった。公園などでヒマな老人から豆をもらっているごくごく普通の鳩である。

「は、ハト?」

 そのハトはしばし空中を羽ばたいた後、ひょいと慎二の頭の上に舞い降りた。右に左に前に後ろに頭部を忙しく動かしながら、時おり斜に静止しては、一点をじっと見つめたりしている。

「にょ~ん。鳩クッキーを食べてたら、鳩が慎二の頭にいるにょ~ん。キャハハ」

 頭上の鳩を指さして、朝子はゲラゲラと笑う。

「なんなの、これは。ドッキリじゃないの」

 鳩クッキーを食べたら本物の鳩が教室に飛び込んできた。偶然だとは思えず、なにかの演出かと、雪子が訝る。

「菖蒲ヶ原さん、俺はどうしたらいいんだろうか」

 鳩を頭の上にのせながら、慎二はやり場のない気持ちを雪子に投げかけた。

「知らないわよ」

 彼女の対応は素っ気なかった。鳩は二度ほど慎二のおでこを突っついて、さらに頭頂部に糞をたれてから飛び去った。来たときと同じ窓から出て行き、きれいな線を描きながら左に降下した。

「慎二、頭にハトのウンチついてるよ」

「えっ」

 慎二は、自分の頭に少量の不浄な質量があることに気づいていなかった。

「とってあげるにょ~ん。慎二、ちょっと動かないでね」

 そう言うと、朝子は慎二の頭を抱きかかえるようにくっ付いた。

「ちょっ」

 雪子のよりも、よほど豊満なバストが慎二の顔に密着する。雪子はきわめて短い抗議の声をあげるが、朝子はまったく気にしないし、柔らかな感触に悦楽を感じていた男子は言わずもがなである。

 ツインテールの女子高生が、持っているすべてのティッシュで鳩の糞を処理している間、慎二は身動き一つしなかった。いや、できなかった。同級生女子の巨大なバストが彼をしっかりとホールドしている。ちょっとでも動こうものなら、少なからずの衝撃を与えてしまうからだ。

「あなた、いつまでそうしてるのよっ」

 しびれを切らしたのは雪子であった。初対面の転校生女子が、こともあろうに恋人の顔に大きな胸をぎゅうぎゅうと押しつけているのである。嫉妬して当たり前の状況であり、あるいはキャットファイトに発展しても致し方のない場面だった。

「にょ~ん。はい、終わったよ。そんなにおこらないでね」

 本気になったドS女の殺気を感じたのか、朝子は慎二に対するちょっとエロチックな押し付けを解いた。そして悪びれる様子もなく雪子の前に立つと、ニコッと笑って小首を傾げた。

「なんか、ムカつくわ、その態度」

「菖蒲ヶ原さん、おさえて」

 挑発されたと思ったのか、雪子の表情に鬼の影が映った。ただちに立ち上がって、ただならぬ気合を発散した。女同士の闘いを避けたい慎二が止めようした時だった。

「あなたも大好きだよ、雪子。にょ~ん」

「な、なによ」

 いきなり朝子が雪子に体を密着させて、さらに両手を回して強く抱きしめた。胸と胸が薄っぺらな布生地を通して触れ合い、お互いの温もりと鼓動を交換し始めた。突如として沸き上がってきた熱い情動に戸惑った雪子は、弾かれたように離れた。

「じゃあねえ~」

 ピースサインで軽く敬礼すると、ツインテールは楽し気な足取りで教室を出て行ってしまった。

「ちょっと変わってるんだよ、あの子。天然ていうか、根っから楽天的なんだ」頭頂部をハンカチでこすりながら、慎二は言い訳をする。

 雪子は彼の話を聞いていなかった。無意識のうちに両腕で自分の前半分を抱きしめながら、いまさっき経験した温もりと、あのなんとも言えぬ柔らかな感触を反芻していた。同性であるという禁忌を感じながらも、存外に胸を焦がされていた。しばし呆然と立ちすくんでしまう。

「菖蒲ヶ原さん、菖蒲ヶ原さん」

 雪子がその状態から脱するのに、慎二による名前の呼びかけは三回を要した。

「菖蒲ヶ原さん、大丈夫か」

「えっ、ええ」

 あきらかに動揺していたが、自分の中で芽を出したある種の想いを悟られたくなくて、さほど重要ではない事柄に注意を振ろうとした。

「あの子、どうして私の名前を知っていたのかと思って」 

「なに言ってるんだか。転校生といえども、菖蒲ヶ原さんの名前ぐらいは知ってて当然だって。我が校に燦然と輝く、最高の女子なんだから」

「褒めてもらって恐縮だけど、あんまり、こそばゆい感じでもないわ」

「とにかく、菖蒲ヶ原さんのことを気にしてるんだよ」  

「でも名前を呼び捨てよ。友達でもないのに」

「まあ雄別さんは、ああいうキャラなんで」

 なれなれしく接してくる朝子に雪子が嫉妬していると、慎二は思っていた。

「そうね。でも」

「でも?」慎二が訊き返す。

「いや、なんでもない。私の思い過ごしよ」とは言いつつ、朝子との接触が雪子の心のひだに痕跡を残していた。経験したことのないざわめきを感じ、それがいかなるエモーションなのか、その感触は本人にも説明できない。ただ恋人に打ち明けることではないと思い、余計な勘ぐりを入れられぬよう、話を違う方向へと誘導する。 

「ねえ、やっぱり夕子が化けているんじゃないの。苗字が同じ雄別だし、猫的な感じも似ている気がする」

「朧にも話したんだけど、その線はないと思うんだ。印象がまったく違うし、両者に接点を感じられない。たとえ雄別夕子が変身したとしても、地味な特徴は引き継がれる法則があるし。ちょいブサとか」

「たしかにそうね。夕子にしては可愛い顔している。性格も陰気じゃないし」バストも大きい、という慎二の声は心の中でのみ発せられた。

 朝子がいなくなり、二人は恋人同士の昼食というシチュエーションへ戻ろうとする。

「もう一つたまご焼きが残っているんだけど」

 雪子の弁当箱にある最後の卵焼き片を指さして、慎二が腹をすかせた子犬のように見つめている。

「もう、欲しがりなんだから」

 そして、あま~い卵焼きが腹をすかせた男子高校生の口へと放り込まれるのだった。


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