アンドロイド編
第21話
「ちょっとう、慎二。どこ見てるのよ」
「向こうの歩道を歩いているモデルみたいなお姉さんを見ているけど、なにか」
「なにか、じゃないでしょう。いまはデート中だってことを忘れているの。私に注目しなさいよ」
「菖蒲ヶ原さんが、かまってくれないから拗ねてるんだよ」
雪子との会話が途切れた一瞬のスキを突いて、慎二はたまたま通りかかった美人を目で追いかけてしまった。彼は、なかなかに浮ついた審美眼の持ち主であるが、そのことがデート相手の不機嫌を招いてしまう。
「なによ。ちょっと考え事しただけじゃないの」
「いまはデート中ということをお忘れなく。新条慎二へ注目するように」
今日のデートコースはシネコンで映画を視て、ショッピングモールでお買い物をし、食事をしてから海浜公園で散歩をするというものだ。雪子がコーディネートし、彼氏の慎二は文句も言わずに従うのである。
「慎二のくせに小癪だわ。罰として、ここでチンチンしなさい」
「俺は犬じゃないから」
「じゃあ、チンチン見せなさい」
「ヘンタイでもないぞ」
「わかったわ。しんしんで許してあげる」
「お漬物かよ。ごはん、おかわり」
「ふふ」
こんな会話が交わされていた。もちろん、ケンカではない。空気に揺れるティッシュペーパーみたいな軽さの嫉妬ゲームを、二人で楽しんでいるのだ。
「そういえば」
「なによ、慎二のくせに」
「まだ本題に入ってないんだけどさ」
「本題になんか、入らせてあげないんだから」
慎二がフッと鼻で息を吐き出すと、ぷっと雪子も吹き出してしまう。少し歩く速さ落としてから、そっと手を繋いだ。
菖蒲ヶ原雪子は、過ぎたる女子高生である。
その突き抜けた美少女顔と抜群のスタイルは他者の追随を許さず、いまを含めた歴代の雪風東高校でも女子ナンバーワンと誉れ高い。さらに両親ともセレブリティーであり、実家には池があり、高額な鯉が悠然と泳いでいる。成績優秀者だけに許される特進クラスに在籍し、そこでもトップの成績を誇る才女だ。
また音楽の腕前もずば抜けており、動画で配信しているドラム演奏は、テレビ局が出演オファーをしてくるほどである。ドラムだけではなく、即興で歌やダンスを披露すれば、観る者、聴く者の心を鷲づかみにしてしまう。その美貌と合わせて天性の才能があり、努力も合わさると絶大なる女子力となる。ゆえに生徒たちからは、お高い女として位置づけられていていた。
反面、人間性ということに関しては、やや要注意人物だ。
その性格は気が強いを通りこしてドS根性が剥き出しとなることがあり、周囲の者たちを困惑と戦慄へと陥れ、さらに支離滅裂な言動で相手を煙に巻こうとしたりする。友人であれ恋人であれ、彼女と付き合う者には、なにかと面倒くさい女となる。そういう性向を雪子自身も十分に承知していて、孤高を気取っていた。
そんな大それた美女の彼氏である新条慎二は、クラスでは陰キャ男子として、学校全体としては覗き魔として知る人ぞ知る存在だ。本人が望みもしないのに、テレポーテーション・瞬間移動という超常的な能力を有していた。プレコグニション・予知能力者であった雪子とは、その能力つながりで出会い、紆余曲折の末、恋人同士となった。
ショッピングモールを出た二人は繁華街をぶらついている。飲食店が多く、そのうちの一軒、美味いと評判の甘味処に入り、窓側の席でまったりと座っている。雪子は特製フルーツあんみつの大盛りを、慎二はお汁粉を注文した。
「菖蒲ヶ原さんのあんみつ、すごく美味そう。そのチェリー、もらっちゃってもいいかな」
その甘味処は、缶詰ではなくフレッシュな果物を使用するのが売りなのだ。
「これは最後の楽しみにとってあるのだけど、慎二が食べたいのなら仕方がないわね。じゃあ、ああ~ん、して」
くるりと螺旋を描いたクリームの頂点に鎮座するサクランボを、雪子はひょいと指でつまんだ。それを慎二の顔の前へ突き出して、自分の口を大きく開けて同調するよう促した。
「慎二、ああ~ん、して」
「ああ~ん」
クリームが付いたそれはとても甘く、そして酸っぱくもあった。慎二が噛みしめている間に、雪子は彼のお汁粉椀から、その中身の主役であるトロトロ餅にスプーンをぶっ刺し、とりあえず自分のあんみつの上に置いて、これよりおいしく食べようとしていた。慎二は、少し不服そうな表情だ。
「ええーっと、それは想定外というか」
「当然でしょ。等価交換よ」
「質量的に、ぜんぜん等価じゃないと思うけど」
「それは気持ちの問題ね、少年」
「少年じゃなくても余計に不条理を感じるって」
「ふふ・・・、ふっぐ」
ほくそ笑んで強奪した餅に喰らいついたはいいが、それは予想していたよりも粘りがあり、雪子のノドにつっかえてしまった。慎二が素早く自分のコップの水を飲ませてやる。そんな二人を、隣で抹茶を飲んでいた主婦がイヤそうにチラ見していた。
「ふう、死ぬかと思っちゃった。お礼はいいわよ」
「それは俺のセリフなんだけど」
「このお餅、おいしい」
結局、お汁粉の餅は雪子が食べてしまった。おいしそうに頬張る彼女を見て、その甘さを十分に味わった慎二の腹も、なんとなく落ち着くことができた。
甘いものを堪能したあと、二人は海浜公園を歩いていた。今日は空が青く晴れ渡っている。行き交う人が多く、にぎやかであった。ただ海からの風が少しばかり肌寒く、また潮の匂いも濃かった。
「ところで」
ベンチに座った雪子は、潮風を浴びた髪の毛をいくぶん気にしなが言う。
「慎二は、私のことが本当に好きなのかしら」
意外な質問だと慎二は思った。甘々なデートの最中なのだ。それはもう既成事実だろうという心境である。それでも女心はうつろいやすいことを思い出し、いらぬ不安を与えてしまわないよう慎重に、そして情熱を込めて言う。
「もう一度、朝礼台の中心で愛を叫んでキスをして菖蒲ヶ原さんを強奪したぞ、宣言をしてもいいよ」
「いろいろ詰め込みすぎて、わけがわからないわ」
真っ黒なミニュチュアシュナウザーが一匹、慎二のくるぶしにじゃれつき始めた。飼い主の太った中年女性は、知り合いとの話に夢中になって犬のことを気にしてなかった。伸びきったリードが足に絡んでいたので、ほどいてから抱き上げた。
「菖蒲ヶ原さん、好きだ。ワンワン」
まだ子犬であろうそれを自分の顔の前に掲げて、慎二は雪子に向かって愛を叫んだ。
「私の恋人はずいぶんと毛深いのね」
小さなシュナウザーは慎二の手から解き放たれた。飼い主のもとへは帰らず、近くでソフトクリームを食べていた小学生女児にじゃれつき始めた。
「ほんとに好きだ」
今度は子犬で誤魔化さず、しっかりと雪子の目を見つめて言った。
「どれくらい」
「人類が滅亡しても、そのディストピアの中心で愛を叫んでみせるよ」
「イヤよ。いま、ここで叫んで」
まさか、たくさんの人たちが行き交う往来でするとは、雪子は予想していなかった。だが慎二は、やればできる子、であるし、じっさいにやってしまう男なのだ。
「俺は菖蒲ヶ原さんを愛しているんだー、大好きだー、好きだ、好きだ、好きだーっ」
突然立ち上がって、よくとおる大声で叫んだ。周囲の人たちが、なにごとかと二人に注目する。地面に落ちたお菓子をついばんでいたカモメまでもが見ていた。
「ちょ、ちょっとう、そんなに言わなくても」
衆目に晒され、さらに付き合っている男に愛を告白された恥ずかしさで、雪子は居たたまれなくなった。慎二の顔を見上げることができず、椅子に座ったまま真っ赤になっていた。
「菖蒲ヶ原さん、愛している」
そんな彼女がとても愛おしく思えて、慎二はさらに畳みかけようとする。愛に貪欲なこの男に、躊躇いという字は読めない。
「ああーっと、ポチ、お姉さんと散歩しましょうねえ。はははは」
これ以上の照れくささには耐えられそうになかった。調子に乗ってツンデレのツンツンをやり過ぎたと、雪子はいまさらながら後悔する。汗をかき、その汗を潮風で冷やしながら、あの黒い子犬を抱きかかえて、どこぞの方向へ歩き始めてしまった。
「あ、ちょっと、ワタシの小太郎をどこに連れていくの。これ、待ちなさい、これ」
飼い主の中年女性が、自分の犬を強奪していく不届きな女子高生を追いかけてゆく。
「やれやれ」
もちろん、慎二も追いかけた。自分の言ったことについての責任を、きっちりと取るのが彼の流儀なのだ。
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