第34話
「それは、やっかいなことになりましたね」
放課後、校務員室に慎二と朧がいた。マムシエキスの粉末お湯に溶かして、二人で啜りながら雪子について話し合っている。エキスが想像していたよりも生臭くて、慎二は顔をしかめながら飲んでいた。
「アンドロイドになって、雪子さんは変わってしまったんだ。なんだか俗っぽくて、ふつうの女の子になってしまったよ」
「慎二先輩は、自分の彼女に普通じゃないアブノーマルな性格を望んでいたんですか」
サディスティックに鞭打つ仕草をする朧を、慎二はしらけた目で見ていた。
「朧、冗談を言っている場合じゃないと思うが」
「すみませんでした。でも、アンドロイドになったことが理由で菖蒲ヶ原さんが変わったんじゃないと思うのですが」
そう言って、校務員が生ぬるくてエグイ味の液体を一気に飲み干した。
「たぶん、菖蒲ヶ原さんは自分自身が偽物ではないかと疑っているんですよ」
「朧がそう言ったからな。気にして当然だ」
「気にしすぎなんです。いまさら友だちデビューをするってことは、要するに自分を認めてもらいたくて仕方ないのでしょう。みんなに認知されることで、菖蒲ヶ原雪子がここにいるって証を得たいのだと思いますね」
「証かあ。あの孤高な菖蒲ヶ原さんが安っぽくなってしまって、なんか信じたくないよ」
「自分が本物であると絶対の確信がほしいのでしょう。まわりからチヤホヤされて、手ごたえを感じているのだと思います」
「だから、どっちも本物とか偽物とかじゃないんだ。これは超常現象なんだから、雪子さんが二人いるのなら一人に戻す方法を探さないと」
「そうですね」
慎二の言わんとすることを朧は理解している。なにをすべきか、二人にとっては明白なのだ。
「仕事帰りに、もう一人の菖蒲ヶ原さんがいそうなところをあたってみました」
朧は、ネットカフェやファストフード店やショッピングモールを探したが、もう一人の菖蒲ヶ原雪子を発見できなかったことを告げた。
「お金を持っているから、ホテルに泊まってるんじゃないかな」
「そう思って、街のビジネスホテルも片っ端から当たってみましたけど、泊まってなかったですよ」
一足先に社会人となった朧はアクティブだった。
「ホテルの人、よく教えてくれたな」
司法的な権力でもない限り、ホテル側が宿泊している者の個人情報を、むやみに開示することはない。
「簡単ですよ。フロントの人に、{宿泊している菖蒲ヶ原雪子さんをお願いします}って言っただけです」
「ああ、なるほどな」
機転の利く後輩は重宝すると、慎二はしみじみと思った。
「困ったな。ホテルにもいないんじゃ探しようがない」
「ラブホテルは探してないですよ」
「ああ、まあ、そうだろうな」
「あんがい、泊まっているのかも」意地悪そうな目が慎二をチラ見する。
「いや、それはない」
「誰かと一緒に」
「だから、絶対にない」
「ですよね」
雪子のことになると慎二は一途になる。できる後輩は、やりすぎない程度でやめる。
{こちらは放送部です。ええっと、二年生の菖蒲ヶ原雪子さんから緊急の連絡があります}
「なんだ」
唐突に校内放送が始まったと思ったら、なんと雪子からだという。慎二と朧は、顔を突き合わせて聞き耳を立てた。
「あ、あ、あ。もう話して大丈夫かしら」
まさしく、雪子の声だった。
「全校生徒の皆さま、放課後となりましたが、これから私、菖蒲ヶ原雪子がドラムの演奏会をします。音楽室を借りられたので、興味がある人は来てくれればと思います。動画撮影もするので、みんなも一緒に出演しませんか。お好きなSNSで拡散してくれればうれしいです」
「菖蒲ヶ原さん・・・」
ため息を漏らしたのは慎二のほうだ。朧は表情を少しも変えずに聞いていた。
「それでは皆様のお越しをお待ちしております。これを期に菖蒲ヶ原雪子とお友達になりませんか。いろんな特典がありますよ。うふ」
菖蒲ヶ原雪子による緊急臨時放送が終わった。
「ここまでくると、ただの自意識過剰なバカ女ですね。ありていにいって、イタイ女。まだ、にょ~んな彼女のほうがマシなレベルですよ」
「そうだよな」
朧の嫌悪感は慎二も共有している。自分の恋人は孤高で気高き女だったのに、俗っぽくて安いキャラクターになってしまったことを悲しんでいた。
「どんどん、俺が知っている菖蒲ヶ原さんから遠くなっていく。早くなんとかしないと」
もう一人の雪子を見つけることが先決であると、慎二の気持ちが焦っていた。
「来てますよ」と朧が言う。
「え、だれが」
慎二はドアを見た。だが校務員室へ誰かが入ってきたのではないし、誰かが入ってきそうな雰囲気もなかった。
「窓ですって」
「窓?」
来客の訪問にしては適切な出入り口ではないと思いながら、慎二は振り返って窓を見た。
「ええーっと、誰もいないけど。幽霊とかか」
「僕はホラー的なものは好きじゃないんですよ」
「意外だな。朧の大好物かと思ってた」
「意外にも、お笑いが好きなのです」
校務員室の窓にお笑いの要素はないはずだと、慎二は首をかしげる。
「鳩です」
「鳩?」
窓の右隅に一羽の鳩がいた。数センチの出っ張りから落ちないように、窓ガラスにぴったりと身を寄せている。
朧が窓を開けると、それは一羽ばたきして中へと入ってきた。ネズミ色の事務机の上を、鳩らしく頭部を前後させながら歩いている、机の表面はツルツルとしているので滑って足がとられてしまう。それでも凛とした様は、野生の血を感じさせた。
「ええーっと、偶然?今日は鳩クッキーがないけどな」
「慎二先輩、これは伝書鳩ですよ。ほら、足に筒があります」
鳩の右足にアルミ製の小さな筒があった。二人は机の上に顔をのせて、しばし見ていた。
「誰かからのメッセージなのかな。朧、とってくれよ」
「慎二先輩がやってくださいよ」
朧は、それをするのは自分の役目ではないと感じていた。
「突っつかれないかな」
「大丈夫だと思いますよ。やられても、肉がえぐられるだけですから」
「ピーちゃんにだって噛まれたことないのに、物騒なこと言うなよ」
伝書鳩は人に慣れているせいか、慎二が触れても暴れたり攻撃してくることはなかった。
「メモがある」
鳩の足に括り付けられている筒から紙片を取り出した。強く巻かれているので、読むためには十分に伸ばさなければならなかった。
「なんて書いてあるんですか」
慎二よりも、朧のほうが興味津々といった様子だ。
「ええ~っと、{北へ行け、雪子より}って書いてある」
コンビニのレシートよりも小さな紙きれには、それしか記されていなかった。
「それだけ」
「うん、これだけだな」
二人は、しばし紙切れを見ていた。用が済んだのを自覚したのか、伝書鳩はひとしずくの糞で机を汚すと、バタバタと羽ばたいて行ってしまった。
「これはどう考えたらいいのだろうか」
「おそらく、もう一人の菖蒲ヶ原さんからのメッセージじゃないのかと」
「その根拠は」
「アンドロイドで自意識過剰な菖蒲ヶ原さんはすぐ近くにいるし、その気になれば直接会えるでしょう。伝書鳩を使う意味がないし、いまは友だち作りで忙しいでしょうから」
朧の言うことに異論はなかった。
「もう一人の菖蒲ヶ原さんは、まだ姿を見せていません。前は声だけですから。あの時は慎二先輩にメッセージを伝えようとしていた。しかし何かの事情で僕たちに会えない、あるいはどこかへ行ってしまったのかもしれない、というところでしょうか」
どんな事情があるのか、慎二には想像もつかなかった。
「それにしても北へ行けって、意味不明だよな。ざっくりとしすぎてわけがわからないぞ」
「東北なのか、北海道なのか、あるいはロシアや北極、北斗七星があるおおぐま座かもしれません」
「そんなに遠くはイヤだな」
せっかくもう一人の雪子らしき者からの伝言だったが、具体的な目的地や指示がないのでどうすることもできなかった。
「ところで、にょ~んな彼女のほうは、どうなったんですか」
「それとなくクラスメートに訊いているんだけど、もはや誰も憶えてないよ。いまにも、俺の記憶からもなくなるかもしれない」
「僕の頭の中にはまだあるから大丈夫ですよ。そういえば、アンドロイドな菖蒲ヶ原さんはどうなんでしょう。にょ~んな彼女を憶えていますかね」
「この超常現象を巻き起こしている張本人なんだ。菖蒲ヶ原さんが知らないってことはないだろう。いやまてよ」
朧はなに気なしに言ったのだが、慎二は重大なことに気づいたようだ。
「もし菖蒲ヶ原さんが雄別さんの存在を消し去っているのだったら、菖蒲ヶ原さんが雄別さんを戻すと思えば、戻ってくるんじゃないか」
「そもそも事の始まりは、慎二先輩と、にょ~んな彼女に嫉妬したことが原因ですから、考えられなくもないですね」
「だったら菖蒲ヶ原さんに頼めば、雄別さんは戻ってくるのではないか」
「いや、そうとはかぎらないですよ。これはもっと複雑で、根が深いと思います」
安易な答えに飛びつこうとする慎二に対し、朧は慎重である。
「根が深いって、どういうことだよ」
「慎二先輩、サイキックやアンドロイド化は無意識の衝動の結果なんです。自分の意志じゃどうにもならない。心の中で鬱積している膿をカタルシスに浸らせないと、症状は治まらない。それは精神的にかなりの努力を必要とするんですよ」
「かたる、なに?」
理解不能だ、という表情を浮かべる慎二に対し、朧は、ふう、とため息をついて年長者の無知を嘆いた。
「誠心誠意反省するというか、自分の穢れた部分を浄化というか、とにかく潜在意識まで到達するような悔い改めが必要なんです。そこへ到達するまでが大変ですが」
推論でしかないのだが、朧は確信をもって話していた。慎二は、わかったような、わからないような表情だった。
「かたるなんちゃらは知らないけど、とにかく菖蒲ヶ原さんに話してみるよ。口をきいてくれないかもしれないけどな」慎二が立ち上がって校務員室を出ようとする。
「まあ、僕も行きますよ」
朧はあまり乗り気ではなかったが、かといって他にするべきことがないので、慎二がやることの顛末を確かめるつもりだった。
音楽室は校務員室より上の階だ。二人が階段を上り始めたあたりから、普通でないざわつきが伝わってきた。意気込んでいた慎二の足取りが重くなる。
「うわあ」というのが、音楽室前の行列を見た慎二の感想だった。
菖蒲ヶ原雪子のドラム演奏会は大盛況だった。放課後にもかかわらず、雪風東高校の、男子の大多数が押しかけていた。部活をしていた者や一度帰った生徒たちも、ケイタイやSNSの拡散で知ったのだ。
「まるで、流行りのラーメン屋ですね。空気が脂ぎってますよ」
朧のつぶやきは、どちらかというと嫌味の部類である。
「ずいぶんと盛況だな。ふだんから菖蒲ヶ原さんを見てるのに、どうしてこんなに集まったんだろう」
人込みをかき分けて音楽室へと入る。無遠慮な横入りにいくつかの罵声が飛んできたが、慎二だとわかると自然と道が開けられた。なんといっても雪子の彼氏だからだ。
「朧、あれはなんだよ」
音楽室内部では、雪子が男子たちに囲まれていた。演奏しているのではない。男たちの好色な視線が集まる真ん中で、彼女はなにやらアイドル的なダンスを披露していた。
「地下アイドルのライブみたいですね」朧は軽蔑を隠さない。
「菖蒲ヶ原さん」
彼氏の姿が見えているのに、雪子は気にする様子もなかった。慎二はドーナッツ状の観衆をかき分けて彼女のもとへ行き、その手をつかんだ。
「ちょっと、なによっ。せっかくダンスを見てもらっているんだから邪魔しないで」
慎二の手を振りほどいて、いかにも不機嫌そうな表情を見せた。観客から慎二に対するブーイングと、雪子への声援が交錯する。
「菖蒲ヶ原さん、これじゃストリップだって。やめろよ」
「ス、ストリップってなによ、どういうことよ。私はダンスを披露しているの。裸で踊ってるわけじゃない。みんなが褒めてくれるわ」
周囲の男たちから手拍子が始まった。怒っていた雪子の表情がパッと明るくなる。慎二を無視して、また踊りだした。BGMは、おどけるような拍手と黄色い声援だけである。
腰の振りが大きく、いかにも安っぽいダンスだった。囲っていた輪が縮まり、慎二は男子たちに捕まって、外側へと弾き出される格好となった。
「慎二先輩、行きましょう。こんなところにいたらダメです」
これ以上の長居はロクなことにならないと、朧は即断する。
「でも、菖蒲ヶ原さんを放っておけない」
「ムダですよ。あそこにいるのは自分を見失っているただのバカ女なんです。アンドロイドなニセモノということです」
「それは違うって」
偽物という言葉に、慎二は敏感に反応してしまった。
「朧、そんなこと言うなよ。本物とか偽物とかって、そんなこと絶対にいうな。な、な」
怒るというより、すがるような言い方だった。この場で誰よりも打ちのめされているのが、彼であるのだ。
「わかりました。言い過ぎてしまって、すみません」
慎二の気持ちを考慮せず無遠慮に言ってしまったことを、朧は詫びた。
「いや、うん、ごめんな」
昂った気持ちを思わずぶつけてしまったことに、慎二も謝罪した。
ヒューヒューと、男子たちの下衆な声援が飛び交っていた。あれを踊ってとか、この曲に合わせてくれとか、ケイタイを掲げて音楽を流したりしている。雪子はそれらにいちいち応えた。練習したことのない無理なステップをするので、体がよろけたりする。そうすると下着が見えたりした。男どもは嬉々として声援を送る。
慎二は、もはや雪子に声をかけようとはしなかった。音楽室を出ていく朧の後に黙って続いた。
「仕事が終わってから、もう一人の菖蒲ヶ原さんを探してみることにします。あんがい、映画館とかゲーセンにいるかもしれない」その可能性が望み薄なのを、朧も慎二もわかっていた。
「わるいな、朧。たのむよ」
「では」
音楽室の、ややみだらな喧騒を背中に受けながら二人は歩き出した。朧は一度校務員室に戻ってから、業務を早めに切り上げた。慎二はしばし音楽室がある階をウロウロしていたが、肩を落として家路についた。
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