第27話

「ああーっ、ヤッバ」

 校門を出たところで赤川が叫んだ。

 一緒に歩いていた慎二が立ち止まり、どうせたいしたことではないと思ったが、少なくとも友達ならば心配しているフリをしなければならないと考えた。

「どうした、クラスの女子たちの名前でもド忘れしたか」

「オレにかぎって、そんなことはなかろう」

 胸を張る赤川を見て、ある意味頼もしいやつだなと慎二は思う。

「じゃあ、またブサイクになったとか」

「慎二、縁起でもないこと言うなよ。あの時の絶望感はハンパなかったんだから」

 赤川は雄別夕子のサイキックにより、イケメンからブサメンへ変身させられたことがあった。とばっちりのような被害であり、慎二や同じく姿を変えられた雪子と共同で、変身サイキックを捕獲する作戦を立てて実行した。紆余曲折の末、ようやく元の姿に戻ることができたが、その時の経験がトラウマとなっているようだ。表情が一気に暗くなった。

「わるいわるい。それで、どうしたんだ」 

「体育館の用具室に、生徒会の資料を忘れてしまったよ」 

「なんで用具室なんかに」

「体育の授業の前に顧問から渡されてさ。教室に戻るのが面倒くさかったから持って行ったんだ」

「盗むやつもいないから、明日でいいんじゃないか」

「いや、とってくるわ。失くしたらどやされるからな」

「じゃあ、一緒に行くよ」

 当然、友人である慎二も同行するし、そうであろうことは赤川も知っていた。振り返った二人が学校に向かって歩き出そうとした時だった。

「あ、ちょっと待ってくれ、ケイタイが」

 赤川のケイタイが震える。画面を見るやいなや即座に耳にあてた。彼自身はほとんど話さず、苦笑いをしながらうんうんと返事をしていた。その様子をチラ見していた慎二は、詳細を訊かずとも内容をなんとなく想像できた。

「クラスの女子からか」

「ああ、広末だ。島田と前橋とマックにいるから来いってさ」

 広末と島田と前橋は、教室で慎二に突っかかってきた女子三人組である。

「じゃあ行ったほうがいいな。資料はとってきてやるよ」

 慎二がらみで険悪になりそうな雰囲気をなだめたのはいいが、どうやら女子たちは赤川に貸しをつくったと思っているようだ。 

「悪いな。こんどバーガークイーンをおごるから」

「マックでいいよ。本来は俺がおごらなきゃならん立場だし」

 必ずハンバーガーをおごると約束して赤川は走り出し、慎二はやや肩を丸めながら学校へと歩き出した。   

「うう、さぶい。マズいな、風邪をひいたか」

 五分ほど進んだ慎二は悪寒が走っていることに気づいた。資料を回収して家に帰ったら、すぐに風邪薬を飲もうと決心する。

 学校に着いて校門を通るときには、寒さだけではなくてダルさまで追加されていた。多少の熱っぽさもあり、これは本格的に風邪をこじらせてしまったと確信する。

 当然ながら、放課後の校内は人がまばらだ。部活の生徒以外は帰宅しているし、部活をしている者たちもテスト期間が迫っているので早仕舞いとなっていた。夕暮れが迫っている。閑散とした校内に冷えた空気が凝固し始めていた。

「さっぶ」

 背筋を走る悪寒に責め立てられながら校内に入った慎二は、体育館へと向かった。用具室から資料の入ったクリアファイルをとったら、校務員室へ立ち寄って温かいお茶でも馳走になろうかと考えていた。

 体育館には誰もいなかった。試験期間が近いので、部活連中はすでに帰宅していた。

「さてと、赤川の資料はどこにあるのかな」

 用具室の中は、積年の汗臭と埃っぽさが絶妙に合わさって、健康に悪そうな空気が満ちていた。それを肺いっぱいに入れると、ひきかけている風邪が悪化しそうな気がして、慎二はできるだけ呼吸を浅く保っていた。引き戸を閉めて照明のスイッチを押すと、暗かった室内に白色が広がる。

「どこにもないな」

 そこには折りたたまれたマットや点数ボードなど、体育館で使用されるあらゆる用具類があるが、赤川のクリアファイルは見当たらなかった。隙間からの風で隅っこにでも飛ばされたと考えた慎二は、部屋のもっとも暗い場所へ行った。

「ん、なんだ」

 奥のほうから有機的な気配を感じた。目を細めながら近づくと、そこに大きくまん丸な尻があった。

「にょ~ん」

 それは、か細い声でそう言った。

「ええーっと、雄別さん、か」

「そうだよ」

 朝子であった。

 彼女は尻を慎二に向けた四つん這いの姿勢で、用具室の隅にいた。そのまま尻で応対するわけにはいかず、あらためて向き直った。正座というには女の子っぽくて、脚が開きすぎて床に尻がべったりとついていた。

「こんなところで、なにしてんだよ」

「ん~っと、にょ~ん、そのう、へへへ」

 下手くそな愛想笑だった。なにかを隠しているのはミエミエである。

「へそくりでも隠してるのか」

 慎二の問いにツインテールは困惑し、微笑み、狼狽すらしていた。いくつかの感情をその可愛らしい顔で表したあと、ふーっと大きなため息を漏らした。

「これなの」

 観念したように両手を差し出す。その手のひらには、一匹のモフモフがのっていた。

「ハムスター、かな」

「そう。ハムスターのジー君だよ」

 ツインテールの両手のひらでへくへくと鼻を動かしていのは、ジャンガリアンハムスターだった。

「ええーっと、捕まえたのか」

 一瞬、慎二は用具室に巣食う野良ハムスターを朝子が捕まえたのではと考えた。

「そんなはず、ないっしょ、にょ~ん。ジー君ね、あたしが飼ってるの」

 朝子のペットであるハムスターが、なぜに高校の用具室にいるのか、その謎を考えるのが面倒くさいと思ったが、話しの流れで訊かなければならないだろう。

「まさか、ここで飼ってるのか。そのじいさんを」

「ジー君だ、にょ~ん。今度間違えたらコロす」と、押し殺したアサシンの声が言った。

 こんなカビ臭い場所で死にたくないので、慎二はジー君の名を心に刻むのであった。

「ジー君をね、ここで飼ってるの」

 隅の奥にハムスター用のケージが置かれていた。フンの始末や床材の取り換えなど、しっかりと手入れがされていて、エサもてんこ盛りであった。

「こんなところでよく見つからないな。だって、誰もが出入りしてるんだぞ」

「ジー君って、昼間は寝てばかりだから音をたてないんだよ。それにこうやって使わない道具で隠しているから大丈夫なの」

 使われなくなった跳び箱の上の部分が、目隠し用のブラインドとなっていた。ケージにはヒーターまで取り付けられていて、電気の延長コードが目立たぬように這っている。 

「家で飼えばいいんじゃないのか。てか、ふつうは自分の部屋で飼うだろう」

「だって、あたしには家がないもん」

 意外な返答だった。一般的にいって、その意味するところに良い解答はほとんどない。  

「ひょっとしたら、雄別さんは家出しているのか」

「そうじゃないよ。もともとないの。家も自分の部屋もないし、だからジー君を飼う場所は学校しかないんだ。それと、あさっちだよ」

 慎二はしばしの熟考に入ったが、用具室に入ってから身体の調子が猛烈に悪くなっている。寒気とダルさが影響するのか、考えがまとまらない。朝子はウソを言っているのだろうか。それだったら理由が不明だなと思っていた。

「ジー君はね、賢いんだよ。あたしのいうことがわかるんだ。お利口にしてなさい、ていうとジーっとしてるんだよ。すごくかわいいにょ~ん」

「悪いけど、俺は行くよ」

 慎二の態度がぞんざいになったのは、朝子の話を聞いていたからではない。体調の悪化が急すぎて、一刻でも早く家に帰りたいと切望していたからだ。

「慎二、大丈夫なの。なんかヘンだよ」

 心配した朝子が、うつむいて乱れた呼吸を繰り返す慎二の顔を、やや下のほうからのぞき込んだ。

「大丈夫だ。なんでもないって。あまりくっ付くなよ」

 額を触ろうとする華奢な手を振り払って立ち上がろうとしたが、よろけてしまった。右側に倒れ込もうとする男子を、朝子は自らの体で支える。大きな胸が柔らかく押しつけられたが、発熱男子は、その感触を楽しむ余裕がなかった。

 朝子に支えられながら、慎二はソフトに着地することができた。あぐらをかいているが、ぐったりとしな垂れていて、肩で息をしている姿は誰が見てもつらそうだった。

「にょ、にょ、にょ~ん。これは重病だよ。どうしよう」

 ツインテールは焦っていた。

「そうだ、保健室があるにょ~ん。そこにつれていけばいいんだ」

 ナイスなアイディアは、思い立ったらすぐに実行しないといけない。

「慎二、立つにょ~ん。保健室に行くんだよ、保健室」

 耳元で保健室を連呼されたせいでもないが、急病人はそこへ行きたいと思った。朝子の肩を借りて、なんとか立ち上がる。そこからは一人で引き戸まで歩いた。ふらふらとしていて危なっかしい様子だった。

「あれえ、おかしいなあ。開かないぞ」

 引き戸は、しっかりと閉じられていた。慎二がいくら引っぱろうとも開く気配がない。クギでも打ったみたいに密着しているのだ。朝子も手伝うがビクともしない。

「ほんとだ、にょ~ん。すっごく閉まってるよ。ていうか、これきっと外からカギをかけられてるんだよ」

 二人がハムスターについてあれこれ話している時に、じつは体育教師がやってきて、合わせ引き戸の外錠をかけてしまったのだ。

 教師は干し魚を盗む野良猫並みのすり足であり、鍵のかけ方も絶妙にマイルドな手つきで、二人に気づかせるスキを与えなかった。もちらん彼自身は、中に生徒が侵入しているとはつゆほども思っていなかった。

「慎二、ヤバいにょ~ん。あたしたち、閉じ込められちゃったみたいなの」

 全身に悪寒が駆けずり回っている慎二には、閉じ込められたと泣きべそをかいている朝子の真剣度が伝わらない。

「ああ、そうなのか。じゃあ、ここにいるしかないだろう。俺は、とにかく寒いんだ」

 思考力の低下が著しかった。いまの慎二の優先順位は、とにかく座って目をつむり、静かに息をすることだった。そうしたくて仕方なかった。

「慎二、慎二、どうしたの。やっぱりヘンだよ。ねえ、病気なの」

 病人には慣れていないのか、朝子が狼狽えている。

「ううー、さ、寒い。なんでこんなに寒いんだ」

 相当な熱が出ているのだろう。耐えがたい悪寒に慎二の顔は蒼白となり、両手で自らの胸を抱きしめながらぶるぶると震えていた。少しでも熱を逃がさないために、身体の大きさを三分の二ほどに縮めている。そのいかにも具合の悪い様子に、朝子は申し訳ない気持ちになっていた。

「ねえ、さむいの。ごめんね、にょ~ん」

「寒い。死ぬほど寒い。まるで冷蔵庫だ」

 震えのために、カチカチと上下の歯がぶつかっていた。さすがに恥ずかしいと思ったのか、奥歯を噛みしめて耐えようとする。瞼を閉じて眉間に皺を寄せていた。

 慎二の苦痛をなんとかしてやりたくて、彼以上の太い皺を眉間に寄せて、朝子は必死に考えていた。一刻も早く看護の方法を見つけないと、大好きな友達がどこかに行ってしまうのではないかと、漠然とした不安でパニックになりかけていた。

「どうしよう、どうしよう」と狭い室内を右往左往していると、頭の中の小さな袋がポンと弾けた。グッドなアイディアが出てきたのだ。

「にょ~ん」

 ツインテールは病人の横に腰を下ろした。凍える慎二にぴったりと体を寄せると、そのままの姿勢を保っていた。

「これで、少しはあったまるの」

「うう~」

 朝子は大きなバストの持ち主である。それが発散する熱量で、高校生男子一人を十分に温めることができるだろう。自分の熱をあげることで、相手に心地よい温もりを感じてもらおうと考えた。風邪をうつされるかもしれないが、等価交換と思えばそれほど理不尽なものでもない。ここでの優先事項は、慎二を癒すことなのだ。

「慎二、まだ寒いの」

 二人が密着して数分経った。高熱で喘いでいる慎二は、愛くるしくて豊満な同級生が接していることに違和感を抱いていない。意識が朦朧としており、フィジカルな欲望にも、センチメンタルな感情にも浸る余裕がなかった。朝子の温もりも受け取っても、慎二はまだ震えていた。

「制服があるからあったまんないの。きっとそうだ、にょ~ん」

 当然だが、慎二と朝子は制服を着ている。肌と肌が直接触れているわけではないので、彼女が与えることのできる熱量は、かなり割り引かれていた。

「にょ~~ん、ふんぐ、ふんぐ」

 決意よりも先に脱いでいた。朝子は自ら制服をはぎ取り、上も下も下着だけの姿となった。

「慎二も脱ぐんだよ、ゴメンね」

 その躊躇いのなさは、病人である慎二に対しても発揮された。男子の制服を遠慮なしに、不器用な手つきで脱がせる。慎二をシャツとトランクスだけにし、さらにシャツを脱がせにかかった。

「寒い、寒いぞ。なにするんだよ、やめろ」

 ただでさえ凍えるような寒気に苛まれているのに、肌着を脱がされてしまっては体温を保持することができない。用具室内に停滞している空気が、サボテンの針のように突き刺さってくる。

「こうしないとダメなの。男の子ならガマンしてちょ。にょ~ん」

「うう~」

 結局、慎二はトランクスだけにされてしまった。

「じゃあ、くっ付く、にょ~~~ん」

「はあ、あっ・・・」

 慎二の肌を突き刺していた冷たくて硬質の刺激が、柔らかで温かな感触に変わった。

「このまま少しじっとしていてね。動くとね、あたしも恥ずかしいの。にょにょ~ん」

 朝子は慎二を抱いている。ブラとショーツだけの姿となり、肌と肌とを直にくっ付けることで、自らの温もりを無駄なく与えていた。

「ああ~、あったかい」

「そだね~」

 背骨の髄液まで波打たせていた震えが徐々に治まっていく。蒼白だった顔に、うっすらと血の気が戻ってきた。朝子はさらに体を押しつけて、大きな胸の発熱を余すことなく与えた。また、慎二も母に抱かれた赤子のようにそれを求めた。

 閉ざされた空間で思春期の男女がほぼ裸で抱き合っていたが、不純な様子は微塵もなかった。うす明かりのもとで佇む二人の様は、まるで母子像のように柔和であり、ある意味において美しくもあった。

 クラスメートからもらった温もりによって慎二は心地よくなり、まどろみに身を任せていた。さすがに肌を露出させたままだと寒いので、朝子は脱いだ制服を集めた。さらに気持ちが落ち着くようにと照明を落とす。そうして、お互いの吐息を聴きながら眠りの淵へ落ちていった。

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