第4話

 数日経ったある日のお昼休み、慎二は意を決して特進クラスに出向いた。入口のドア付近に立って、内部を観察する。生徒たちがグループを作って昼食をとっていた。机を合わせて大テーブルにしたり、一つの席に向かい合って、こじんまりと座っていたりする。クラスの定員が少ない分、すき間だらけで閑散とした印象だ。

 雪子は、窓際の一番後ろの席に一人で座っていた。周囲のざわつきなどまったく気にしていない様子で、手に顎をのせて窓の外を見ている。机の上には、お弁当箱が包みをほどかれることなく置かれていた。

「ええーっと、なにか」

 慎二に声をかけてきたのは、たまたま廊下に出ようとしていた見知らぬ女子生徒だ。一般クラスの庶民がうろついているのを、黙って見逃せなかったようである。

「ああっと、そのう、菖蒲ヶ原さんを呼んでほしいんだけど」

「菖蒲ヶ原さんに、何の用?」

「それは、本人に直接話すよ」慎二は、ややうつむきながら言う。

「君はたしか」

 その女子生徒が目をすぼめた。慎二のうつむき加減が若干深くなる。

「ああ、あの有名な人ね。いやん」

 そう言って、少し体をよじって防御の姿勢をした。慎二はバツの悪そうな表情だ。

「告白だったらムダだと思うよ。ショボーンな結果に終わるから」

 別の女子が来て、じっさいにショボーンな表情をつくって、くすくすと笑った。

「べつに、告白とかじゃないから」

 慎二がそういうと、ギャハハと笑った。何人かの男子生徒が敵意のこもった目線をぶつけていた。

「じゃあ、本人に直接話してきなさいよ」

「でも、特進の教室に入るのはちょっと」

「学級委員長の私が許可してあげる。ほら、行きなさい」

 背中を押された慎二は、異質な空気の中を、やや直角的な歩き方で進む。緊張しながらも、雪子の席までやってきた。必ずしも好意的でない好奇の目線が痛いと感じた。近くでおしゃべりしていた生徒たちが瞬時に黙る。

「あ、あのう」

 もちろん雪子は彼に気づいているが、相変わらず窓の外を眺めていた。

「菖蒲ヶ原さん、ちょっといいかな」

 周りの生徒たちのほうが注目していた。

「菖蒲ヶ原さん、聞こえてないのか」

「聞こえてるわよ」

 そう言ったが、目線は外を向いていた。

「ちょっと」

「話があるんでしょう」

 雪子が立ち上がった。花柄のお弁当包みの縛り目を持って、さっさと行ってしまう。慎二は、彼女のいなくなった席を数秒ほど眺めていた。

「どうしたの。行かないの。お昼なんだから食べながら話しましょう」

 彼女が教壇の前で待っていた。慎二があわてて後を追う。クラスのほぼ全員が見ている中、二人は教室を出て行った。

「せっかく二人っきりなのだから、どこで食べようかしら。青春アニメなら、屋上の広々とした場所でお弁当を食べるのだけど、当然のように鍵がかかっていて生徒はいけないわ。現実はそう甘くないのが残念ね」

「まあ、そうだよな」

「あなたは、いつもどこで食べているの。教室、ではないでしょう。トイレの個室とか」

「基本的にボッチであることは認めるけど、さすがに便所飯はないよ」

「やっぱりボッチなのね。同情してあげる、グスン」

 二人は廊下を歩きながら、昼食場所を探していた。

「そういう菖蒲ヶ原さんは誰とだよ。さっきは一人でいたようだけど」

「孤高よ」

「え」

「だから孤高なの。当然でしょ」

 雪子は慎二の一歩先を進んでいる。彼女の表情が確認できなくて、会話の呼吸が取りづらいと感じていた。

「結局、ボッチなんじゃないかよ」

「ボッチじゃない。孤高なのっ。今度、私のことをビッチ扱いしたら、ただじゃおかないから」

「いや、ビッチとは言ってないぞ。てか、ボッチをビッチと言い換えるなんて、どんだけボッチが嫌なんだよ。ボッチを避ける方法が自虐すぎるだろうよ」 

「運動部の部室棟なんて、いいんじゃないの」

 ボッチの話からどうしても遠ざかりたいのだなと、慎二は納得した。

「あそこは運動部しか鍵を持ってないけど。しかも、放課後しか許可されないし」

「誰が部室棟なんて言ったの」

「いや、いま言ったじゃないか」

「部室棟の裏にある日陰よ」

「ああっと、まあ、そうか。じゃあ、そこに行こうか」

 雪子を追い抜いて、慎二が先を歩こうとする。

「待って。あなたはお弁当を持ってないじゃないの。まさか、一日一食の貧乏高校生なの。涙がでるわ」

 雪子の表情が同情心に溢れていた。

「家は裕福というわけではないけど、子供が食うに困らない程度に父は稼いでいると思う」

 慎二の家族は、両親は離婚して父子家庭となっている。父親や自分では弁当を作れないので、たいていはパンで済ませていると説明した。

「そう、だったら私のを半分あげる」

「俺は、あとでパンを買うから」

 これより重大な事案について話し合わなければならない。緊張で腹の底が重く、あまり食べたくないと思っていた。

「えー、おいしいのに」

 彼女の言うことが、どこまで本気かわからない。会話の流れから、ほしいと言った途端に断られる可能性があると、慎二は疑っていた。

「そんなにいうのなら、半分もらってもいい」

 とりあえず、試してみることにした。

「はあ? 恋人同士でもないのに、女の子のお弁当を半分横取りしますか。そこまで卑しいとは思わなかったわ」

「はいはい、わかりました」

 雪子の真意は、いまひとつ掴みどころがなかった。ただ、そういうツンデレプレイを楽しんでいる、ということは理解できた。

 ほどなくして、二人は部活棟の裏に到着した。そこは風通しの良い日陰となっていて、色恋のことばかり考えている生徒が、なにがしかの行動に及ぶには最適の場所である。

「こんなうら寂しくて怪しげな場所に私を連れ込んで、どうしようというのかしら。ヘンなことをしようとしたら、大声を出すから。ついでに、たれたりもするから」

「話があるのはたしかだけど、この場所を指定したのは菖蒲ヶ原さんだろう。それと、なにをたれるのかは訊かないけれど、いちおう自重しておいてほしい」

「あら、そうだったかしら。まあ、同じことね」

 そう言って、雪子は腰かける場所を求めてその辺を探し始めた。

 ぜんぜん同じことではないと思いつつ、慎二も座れる場所を探す。重要案件を切り出すのは、お弁当を食べ終えてからにしようと考えていた。

「ねえ、この椅子は使えるんじゃないの」

 折り畳みのパイプ椅子があった。しかも都合よく二つである。

「壊れてもいないし、汚れてもいないようだ。きっと、しまい忘れたんだな」

「プロレスラーがよく観客を殴っている椅子ね」

「プロレスを観たことがないけど、それは興味深いなあ」

「今度連れていってあげるわ。もちろん、椅子でぶん殴られる役よ」

「ピアノの発表会にしてくれよ」

 座るに値するモノかどうかを、慎二が念入りに確かめてから座った。雪子も着席する。

「ええーっと、菖蒲ヶ原さん」

「なにか」

 二人は対面して座っていた。お互いの膝頭の隙間は数センチしかない。慎二は自分の椅子の隣へ彼女の椅子を置いたはずなのだが、気づけば顔を突き合わせていた。

「この位置取りは、なんていうか、そのう、窮屈すぎる気がするけど」 

「とても重要なことを話し合うのでしょう」

 雪子は両膝をぴたりと合わせ、その上にお弁当箱を載せていた。

「まあ、そのつもりだけど」

「だったら、この位置のほうがいい。だって、隣でボソボソ呟かれるのは好きじゃないわ。新興宗教の勧誘じゃあるまいし」

 突飛な教義の斜め上をゆくことを訊かなければならない慎二は、やや困惑気味だ。

「手を出して」と雪子が言った。

「て?」

「そうよ。物乞いが、物を乞うみたいに両手を差し出して」

「こうかな」雪子の謎指示に、慎二は素直に従った。

 雪子は上着のポケットから、やたらとキラキラ光る四角い紙を取り出して、それを彼の手の平にのせた。

「これ、なに?」

「銀紙よ」

 四つ折りにされたアルミホイルを展開すると、慎二の手の平は見えなくなった。

「そのままにしていてね」

 今度は自分の膝の上に置いていたお弁当箱の包みを解く。ふたを開けると、お弁当特有の、時間が経ったおかずの匂いが立ち昇った。さっき言った通り、昼食を分けてくれるのだと慎二は理解する。

「いつもアルミホイルを持ち歩いてるの」

「そうよ、女の子はみんなそう。たしなみね」

 それはないだろうと慎二は言いたかったが、黙っていることにした。

「ひょっとして、菖蒲ヶ原さんの手作り弁当とか」

「ふつうの女子高生が自分でお弁当を作るなんて、アニメの見過ぎか都市伝説ね。たいていはお母さんでしょう」

 雪子は、おかずとご飯のうち、それぞれ半分の量を分け与えた。

「ベーコン巻きアスパラガスとか、俺の大好物だ」

「それは良かった。早起きして作った甲斐があったってもんね。ちなみに、すごくおいしいのだから」

 そのお弁当は雪子の手作りであり、そのことを自慢したい様子だった。

 慎二は、アルミホイルに分けてもらったお弁当を膝の上においた。箸がないと困っていたが、雪子が小さなスプーンを手渡した。

「俺は食べないかもしれないよ」

 菖蒲ヶ原雪子の手作りお弁当を食べたくない男子は、病的な潔癖症でなければいないだろう。彼女は雪風東高校全男子のあこがれである。もちろん慎二も意識してはいるが。ちょっと意地悪してみたかったのだ。

「食べるよ。初めにご飯で、次は卵焼きね」

 最初にご飯を一口食べるのは、慎二が無意識にしている食事の流儀だ。

「まるで見たかのように言うんだな」

「見たよ。私は未来がわかるの。そういう能力があるから」

 いきなり核心を突いてきた。前傾姿勢になりそうな慎二を、可愛い笑みを浮かべた雪子がやんわりといなす。そのまま立ち上がっていたら、せっかくのお弁当が銀紙ごと落ちてしまっていただろう。

「まずは食べましょう。おなかすいちゃった」

「じゃあ頂きます」

 食器が皺だらけになったアルミホイル一枚なので、破かないよう慎重に食べ始めた。

「どう」

「美味い。とくにこの卵焼き、甘くて中は半熟で、これ、俺のドストライクだ」

「ふふ」

 無邪気な少年を、母親の目が見ていた。

「そういえば、飲み物を買うのを忘れた」

「大丈夫よ」

 雪子が上着のポケットから小さな紙パックジュースを二つ取り出して、一つを渡した。ブドウ味のする液体をチューチューと吸っては一息ついて、男の子は幸せを感じる。

「ごちそうさまでした。すごく美味かった」

「どういたしまして」

 雪子が慎二からアルミホイルを回収し、元のように四つ折りにしてポケットへ戻した。

「さてと、じゃあ、話し合いましょうか」

「そうだね」

 真顔になった二人は、あらためて向き合った。

「菖蒲ヶ原さんはサイキックだ。予知能力者・プレコグニション。間違いないはず」

 慎二は断定し、直球を投げた。それをキャッチした雪子は、ほんの少し笑みを浮かべた。

「その通り。私は未来がわかる」

「やっぱり」

 慎二の目線が鋭くなった。

「そして新条慎二、あなたもまたサイキック」

 今度は雪子がストレートを投げ返した。やや斜に構えて、キッとした目で見つめた。

「そう。俺はサイキック」

 彼も認めた。彼女が大きく頷いた。

「あなたの能力はテレポーテーション・瞬間移動でしょう」

「うん」

 お互いの能力についての告白が始まる。

「どれくらい制御できるの」

「菖蒲ヶ原さんのプレコグは」

「私のは限定的。とても限られている」

「俺のは限定的とかじゃなくて、衝動的というか突発的というか、とにかく制御不能なんだよ」

「あら、それはホントかしら。体育館の女子更衣室のロッカー」

 フフフと雪子が笑みを深くすると、慎二は憮然とした表情だ。

「それについて説明すると長くなるけど、説明させてほしい」

「そうね、長い話になりそう」

 雪風東高校のすべてに昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。もうすぐ食後の気だるい授業となるのだが、ふたりはサボタージュすること決意して校門から出て行った。


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