第5話

 突然、新条慎二が瞬間移動した。

 一年生だった七月の、ある金曜日のことであった。教室で数学の授業中、一番後ろの席にいた慎二は、あと少しで授業が終わるというタイミングでジャンプした。

 瞬間移動した先は体育館だった。女子更衣室の掃除用具を収納しているロッカーの中へ着地した。到着には勢いがあり、しっかりと閉じていた扉を押し出すように開け放った。

「あの時、あなたはちょうど私の前に転がってきた。おぼえているでしょう。ていうか、見たでしょう。私の下着姿を」

「わるい。テンパっていたんで、記憶があいまいなんだ。誰がどういう状態だったのか憶えてない」

「それが本当のことなら、人生で最大のボーナスタイムを無駄にしたのね。男として無能過ぎて合掌するレベルよ」

「それは、あの時の俺を鼓舞しているのか、それともバカにされてるのか」

 女子更衣室は大騒ぎとなった。慎二は、清掃用具のロッカーに隠れて女子の着替えを覗いていた容疑者となったが、もちろん本人は否定した。

「あなたは、とにかく慌てていて、結局、昼休みに遊んでいたらロッカーで寝てしまったと、それこそ寝ぼけた言い訳をしていたわ。まったくもって失笑ものだったけれども」

「俺のテレポーテーションは、俺の意思とは関係ない。あの時はただ数学は大嫌いで、どこかに行けたらなあとぼんやり思っていたら、あのロッカーの中へ飛んでいたんだ」

 たとえ言い訳に聞こえたとしても、真実をハッキリさせなければならないと思っていた。

「でも、それはあなたの意思だったんじゃないの。だって数学の授業がイヤだから、どこかに行きたいと思ったんでしょう。しっかりと瞬間移動の能力を発揮したってことじゃない」

「だから、飛びたいなんて本気で思ってないし、テレポーテーションできるなんて知らなかったし、そしてここがすごく重要なとこだけど、女子更衣室を覗こうなんて思ってなかった」

「あら、そうなの。まあ、でも無意識も意識のうちっていうし」

「無意識的にも思ってないよ」

「それはウソ。だって、男子っていやらしいことばかり考えているじゃない。もう、いっぱい考えているでしょう」

「それを否定できないのが、男はもの哀しい生き物だよ」

「ぷっ」

 誰かの受け売りなのだがウケたようだ。いい笑顔を見せる雪子に、まんざら悪い気でもない慎二だった。

「とにかく、俺はジャンプしたくてしたわけではないし、あの場所を選んだわけでもないよ。気づいたら飛んでしまったんだ」

「まあ、信じてやろうかな。慎二君だし」

「俺の名前をオヤジギャグ風に言わないでほしい」

「ふふ」

 二人はカフェにいた。ペア用のテーブルを陣取って、対面しながら座っている。

「それで、菖蒲ヶ原さんはどこまで予知できるんだよ。いま、こうして午後の授業をサボってお茶していることも知っていたとか」

「そうでもないのよ。私も慎二と同じで、自分の予知能力を制御できないの」

「名前で呼ばれるのは、なんというか、こそばゆい感じがするなあ」

「じゃあ、慎二君」

「べつに呼び捨てでいいよ。てか、そういう問題じゃない」

 雪子が唐突に席を立った。なにか機嫌を悪くするようなことを言ってしまったのかと、慎二は不安になる。う~んと心当たりを探っていたら、彼女が帰ってきた。

「ここのアップルパイ、おいしいのよ」

 二皿のアップルパイを持ってきて、一つを慎二の前に置いた。怒ったわけではなさそうだと安心する。

「うわあ、ありがとう。いただきます」

「高いけど」

 アップルパイを食べようとした慎二は、口の十センチ前でその甘いサクサクを急停止させた。

「ええーっと、おいくらかな」

「なに言っているの、おごりよ。当然でしょ」

 太っ腹なお言葉に、今度こそ気兼ねなく食べられると安堵する。

「高いけど」

 甘いカリカリが、またもや空中で静止した。

「菖蒲ヶ原さんって、ひょっとしてドS的に難易度高めの女じゃないの」

 ドS女は笑みを浮かべた。

「低くはないかな」

 さもおいしそうにパイを頬張る同級生の顔は、いつまでも見ていたいと思えるほどに価値があった。目線を落とすのがもったいないのか、慎二はパイを見ずにかぶりついた。

「話をもとに戻すけど、菖蒲ヶ原さんの予知能力も突発的で、限定的ということか」

「そうよ。たとえば明後日の午後三時に何が起こるのかを考えてみても、まったくダメね。なんにも浮かんでこない。目の前でお値段の張るアップルパイを食べている男の子なんて、これっぽっちも見えなかったわ」

「もし見られていると知っていたなら、なんかソワソワするなあ」

 いかにも高級そうなアップルパイを齧り、そのサクサク具合とリンゴのデカさに満足しながら話を進める。

「じゃあ、どういうふうに予知するんだよ」

「それが、ある時、ふっと映像が見えるのよ。もちろん、頭の中でだけど。案外ハッキリとした画というか、動画というか、そういのが浮かんでくるの」

「草野球を見ていた俺が、トラックのタイヤに激突してえらいことになる未来を見たとか」

「そうよ。ぐちゃぐちゃになった慎二の肉片を拾い集めて、炭火でこんがりと焼いて食べている私を見ましたよ」

「それ、ドSを通り越してシリアルキラーだ。てか、食べようとしたのかよ、俺を」

「そうなる前に、ちゃんと助けてあげたじゃないの。感謝をハダカミダラ星人の歓迎の踊りであらわしなさい」

「ハダカミダラ星人を知らないし、きっとモザイク必須な踊りのような気がするので遠慮しとく。でも、あの時はありがとう。俺は菖蒲ヶ原さんに救われたよ」

「私は新条君を救いましたよ。なぜなら、そう予知したから。そういえば慎二がロッカーからとび出してくることも予知していたかな」

「なぜ、俺のことを予知したんだ」

「知るわけないじゃないの。私のプレコグは慎二のジャンプと同じで、ところかまわずなのよ」

「そうなのか。てっきり俺を気にしているのかと」

「ちょっとー、へんな期待はしないでよ。壮大な勘違いは、自らの墓碑銘を刻むことになるからね」

 ここで慎二は、あることに気づいてしまう。

「ちょっと待ってよ。いま重要なことを見逃すところだった」

「なによ。私のアップルパイはあげないからね」

「あの時、ロッカーから俺が出てくるのを予知していたのなら」

「予知していたのなら、なによ」

 口を半開きにした慎二を見て、雪子は、なんてマヌケな顔なのだと思っていた。

「どうして、下着姿のままだったんだよ」

「は」

「見知らぬ男がロッカーからでてくるのを予知していたんだから、ふつうの女の子は服を着るでしょう。ジャージを着たままでしょう。でも菖蒲ヶ原さんはブラとパンツだけだった」

 まじまじと自分を見つめる男の顔を直視できない雪子であった。

「わ、忘れたのよ。ちょっと考え事をしていて、あ、そういえばトムがロッカーから出てくる時間だったって思いだしたら慎二が出てきたんだから。てか、しっかり憶えているじゃないの。このドヘンタイ」

「トムって、なに?」

「出歯亀を、英語でピーピング・トムっていうじゃないの」

「出歯亀なんていう言葉を女子高生は使わないよ。しかもピーピング・トムっていうのがオッサンだ。めちゃくちゃオッサンだって」

「なに言ってんのよ。私はオッサンじゃにゃい」

「語尾がにゃんこ言葉になっているけど」

「慎二がおかしなこと言うからでしょ。これ、あげないからね」

「あ、それまだ食べかけなのに」

 半分ほど齧って皿に戻していたアップルパイを、トンビが油揚げをかっさらう早業で自分の口に入れた。むしゃむしゃと食べつくして、コーヒーを飲んだところで一息ついた。

「ひょっとして、菖蒲ヶ原さんは見せたがり女子なんじゃないかと」よせばいいのに、男の子は追撃してしまう。

 シャークで鬼女的な眼光を突き刺していた。胸に鋭い痛みを感じた慎二は、左右に目線を泳がせて、皿の上に残量しているフケのようなパイカスを食べる。

「お互いの能力のことを、マジメに話し合いましょうか。マジメに」

 ふざけているつもりはないのだが、慎二は真面目なサイキック女子とあらためて向き合った。


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