サイキックな高校生はアンドロイドの夢をみますか
北見崇史
サイキック編
第1話
「そこ、どけてくれないかしら」
「え」
河川敷の土手の斜面に腰かけて、草野球の試合を見ながらぼーっとしていた新条慎二(しんじょうしんじ)は、背後からの唐突な物言いに少しばかり驚いていた。
「邪魔なのよ」
「ええーっと」
声をかけてきたのは女子高生であった。制服は彼と同じ私立雪風東高等学校であり、校章の色から同学年生だとわかる。
「屁をたれるわよ」
「え」
「あなたがそこをどかないと、屁をたれると言っているの」
その女子になにかを言い返す前に、慎二は周囲を見渡した。
河川敷の土手で野球を見ているのは彼だけであり、近くには誰もいない。右に数十メートル、左に数十メートル、人はおろか犬やモグラさえもいなかった。
「聞いているの」
「聞いてるよ」
慎二は立ち上がる。柔らかではあるが、傾斜がきつく立ちにくい草地の上で腕を組んだ。彼の意志としては、あくまでも、その場所のキープにこだわるつもりである。女子は右横五十センチまで接近していた。
「君は、ええっと、たしか特進クラスの、あやめ」と言って、そのまま黙った。十数秒が経過した。
「途中でやめないでよ。菖蒲ヶ原よ。あやめ、ではない、菖蒲ヶ原。ヶ原を割愛されるのは許容できないわ。ただし菖蒲(あやめ)という漢字を読めない情弱が、よくヶ原とだけ読んでくるけど、アニメで有名なあのキャラとかぶるのは本意じゃないから」
怒っているわけでも、冗談のつもりでもなく、あくまでも真顔でまくし立ててくる女子を、慎二は不思議そうに見ていた。
「ちなみに、名前は雪子。冷たい印象をもたれがちだけど、ハートは熱いから大丈夫」
どの範囲で大丈夫なのか判然としなかったが、気にしないほうがいいと思った。
「って、あなたに名前を教える義務はないわね。まったく親しくはないし、まして彼氏彼女の関係でもない。なんなの」
「なんなのと言われても、それはこっちが言いたいような」
突然、降りかかってきたイチャモンの連続に、慎二は戸惑いを通りこして呆れてしまっていた。
「ここはほら、どこでも空いているから、わざわざ俺の場所をとらなくても、その辺に座ればいいんじゃないか。チケットはいらないと思うけど」
「あなたの、その場所がいいの。いつもそこだから。チケット代を払う気はないわ」
その女子高生は少しばかり強めの、シャークな目線で見ていた。このジョーズには抗えないと、男子高生は観念する。
「では、どうぞ」
踏みなれた斜面から、左側に少しばかりカニ移動した。雪子は、頃合いに踏み潰された草地を真剣に直視した後、その位置に立った。
「まだ、なにか用があるのかしら」
彼女は腕を組んで野球を見ている。ただし、左右に、とくに右側に対する警戒は怠らなかった。
「・・・」
「なにか用があるなら、早く言ってよ、新条慎二」
一瞬だけ、可愛らしい瞳が左を見た。驚いた慎二と目が合ってしまう。
「俺の名前を知ってるのか。っていうか俺を知ってるのか。っていうかフルネームで呼び捨てかよ」
「あなたはわりと有名でしょう。もちろん、ネガティブな意味だけど」
ネガティブという状況を考えるに、彼には確固として思い当たるフシがあった。
「まあ俺は、変な意味で有名なのかもしれない」
慎二は納得する。ただしそれは自分自身への評価であって、いまここで彼が気にしていることに対する回答ではない。
「屁」と切りだした。
「へ?」十二分に可愛らしい顔が小首を傾げる。
「さっき、俺がこの場所を譲らなかったら、そのう、なんていうか、屁をこくとか言ってたから」
このセリフを言うだけでも慎二の顔は赤くなり、鼓動がやたらと速くなった。なにせ相手は、雪風東高校でもっとも美貌に恵まれた女子生徒だからだ。
菖蒲ヶ原雪子と比べると、ヘタなアイドルなど恥ずかしくて地下を歩くレベル、というのが大方の評価である。彼女と対面するだけで、たいていの男子が幸せな気持ちになる。ただし話しかけたとしても、つっけんどんな態度を当てられてしまい、撃沈するのが常であった。スタイル良く突き抜けた美人であるが、手強い女子としても知られていた。
「あなた、初めて口をきく女の子に、なんてハレンチなことを言うの。ぼくはヘンタイチカンです、っていう告白は、私以外の誰かにしてちょうだい。淑女に対して失礼千万だわ。通報ものよ。おまわりさんに言いつけてやるんだから」
さも汚いモノを見るような目つきでまくしたてた。
「いやいや、屁をこく、って言ったの、菖蒲ヶ原さんだから」
「私は、屁をたれると言ったのよ。屁をこくとか、どこのオッサンですか」
「ええーっと、だから」
慎二は存分に戸惑っていた。
「ええー、そのう」
「しー」
雪子が、鼻の前に人差し指を立てて静寂を迫った。そして、そのまま前にせり出した。よく整った可愛らしい小顔が慎二の顔へと接近してゆき、あと数センチまで近づいたところで止まった。極めてface to faceな距離であり、それは恋人同士でなければ許されない魅惑のコリジョンコースである。
張りつめた空気が二人を包んでいた。なにがしかの予感がした慎二は、禁断の問いを口にする。
「菖蒲ヶ原さん、まさか、屁、でそうなのか」
雪子がニヤリと笑う。
「マジ、か」
驚きと気恥ずかしさと、斜め上をゆく異質なエロティズムが高二男子の背中をワサワサとさすった。
「それじゃあ」
女子高生が吐息を洩らすようにつぶやいた。男子高生は、久方ぶりに生唾を呑む。
「ドーーーン」
「わあっ」
いきなり突き飛ばされてしまった。まったく予期していなかったために、慎二は斜めな芝生に仰向けに倒れ込んだ。
彼の胸を両手で力いっぱいに押し込んだ雪子も、作用反作用により、慎二と同じように倒れた。ただし、位置は反対側である。一対の花びらが開くように、二人は背中を斜面に乗せていた。
「おわっ」
仰向けになった新条は否応なしに空を見ていたのだが、すぐ目の前の上空を黒くて巨大な物体が、もの凄い勢いと速さで飛んできて彼女の上も通過した。
それは猛々しく回転しながら土の地面に着地した。さらに乾いた砂埃を撒き散らしながら、野球をしていた者たちへ猛然と突進する。まさに蜘蛛の子を散らすように、グランドから人が逃げだした。河川敷の土手を走っていた大型トラックからタイヤが外れて、それが疾走する凶器となって転がっていたのだ。
「あぶなかった」
もし突き倒されていなかったら、タイヤが激突して即死は免れなかったであろう。トラックの鋼鉄ホイール付きタイヤは、人体を軽々と破壊するだけのエネルギーと重量を有している。
慎二は呆然と倒れたままであったが、雪子はすぐに立ち上がった。細くて華奢な手を差し出して、彼の起立を手助けする。
「ど、どうも」
「どういたしまして」
小憎たらしいくらいの可愛い笑みを浮かべ、耳元の髪の毛を少しばかり手でなぞった。
「私は家に帰りますよ。まだ失礼なことを訊きますか」
「いや、もういいよ」
「そう」
「菖蒲ヶ原さん」
背中を見せた雪子を呼び止める。振り返った彼女は、腰に両手をかけて上半身を少しばかりひねって顔は斜に構えた。
「菖蒲ヶ原雪子ですけど、なにか」
「そのう、ありがとう。俺、あやうく死ぬところだった」
心からの感謝であった。雪子は満足したように微笑む。
「じゃあ、最後に」
そう言って、お尻を少しばかり突き出した。
「うっ。ここで、たれるのか」
今度こそくるのかと男子は身構える。どういうリアクションが正解なのかを考えるが、ほどよいアイディアを思いつく前に、彼女はさっと歩き出した。
「アディオス」
菖蒲ヶ原雪子は去ってしまった。スカしてはいるがどこか温かみのある態度に当てられて、新条慎二は名残惜しさを感じていた。
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