第47話

{菖蒲ヶ原雪子個人日誌 20✖✖ 三月四日 午後四時}


 最後の男が死んでしまった。咳が出て熱が出て、肺に水が溜まって死んだ。同じような患者を何度も看取ったが、呆気なく亡くなるのは仕様ですらある。

 この研究施設に避難しているのは、女性よりも男性のほうが多かったのだけれども、とうとういなくなってしまった。噂では、どこかの軍事大国の貯蔵していた生物兵器が、あの大災害で外部に漏れてしまったということだ。男だけに感染するというウイルスが拡散、致死性は百パーセント。風邪のように空気感染するから、逃れるすべはない。

 女たちは絶望した。やがて、ここにいては絶滅するだけだとの考えに取り憑かれた。東京に行けば、政府が助けてくれると信じるようになった。私と朧は反対したが、リーダーの笹谷という人がヒステリックに叫んで、私と朧を除く生き残った全員が従った。持てるだけの携帯食料を身体にくくり付けて、雄別の研究所を出て行った。

 あれから何度も大地震があったし、異常気象でとても寒い冬が長く続いた。おそらく、海峡を越えることもなく全滅しただろう。ここには私と朧だけが残った。ずっとそれを望んでいたけれど、皮肉にも世界がなくなってしまってから、私たちだけの家を持つことができた。



「これはなんなの。いや、彼はなんなのと言ったほうがいいのかしら」

 第一研究室の広さは、それほど大きなものではない。学校の教室一つ分よりも、やや小さいくらいだ。四方には電子機器と工作機器が隙間なく設置され、大きなガラス窓の向こうにはモニター室まであった。

 手術台よりも若干穏当なベッドに、一体の男性があおむけになって寝かされていた。その傍らに立っているのは、ねずみ色の作業着姿を着た朧とエプロンをかけお玉を手にした雪子だ。

「アンドロイドさ」

「アンドロイド? ええーっと、ロボなの」

「ロボじゃないよ。筐体は強靭さと耐久性を兼ね備えたナノ分子レベルの合成皮膚とチタン合金の骨格だけど、頭の中は、つまり脳みそは機械ではなくて有機体なんだ」

 雪子がこの部屋に通されたのは初めてである。いつも朧が一人で仕事をしていて、鍵をかけていた。今日は夕食であるアルファルファ米の雑炊をつくっていたら、いつになくハイテンションな朧がやってきて、是非とも見せたいものがあると言って、この部屋へ連れてきたのだ。

 その最先端分野の研究所で、羽間朧博士のチームは人造人間、アンドロイドの製造に携わっていたが、完成間近になって大災害が起こってしまった。チームは自然消滅してしまい、朧一人でコツコツと作り続けていた。

「どうりで、電力をとられるわけね。電子レンジの電源が何度落ちたことか」

 外部からの電力供給は完全に消失している。屋上に設置されたソーラーパネルで電気を得ていた。大部分が壊れてしまったが、それでも朧の研究と雪子のつつましい料理には、ほどほどに足りていた。

「ねえ、それって誰かの脳をロボ、じゃなくてアンドロイドに移植したってこと」

 手垢で汚れたゴーグルを制服の裾で拭きながら、朧はゆっくりと首を振る。

「いいや違う。わたしが命を吹き込んだ。脳をつくったんだよ。機械的で無機質なそれではなくて、有機的な脳だ。生きているんだよ。まあ、電子機器との融合体としてではあるけれど」

 雪子は首をかしげる。朧が嬉々として説明を続ける。

「ヒントは、子供の頃に見た海外のSFドラマなんだよ。有機体のコンピューターっていうのがあって、それは素敵だなって。それで有機半導体を思いついたんだ。ベースは特殊な処置を施した粘菌細胞で、染色体の劣化を防止して細胞を不死化したんだ。永遠の命ということではないけど、ナノチップと融合させているから、寿命はかなり長いはず」

「なんだか難しくてわからないわ。ふつうのコンピューターチップとかじゃだめなの」

「ダメさ。このアンドロイドは機械としてではなくて、人間として生きてほしいんだ。それには無味乾燥に完璧なのはダメで、不確定さや不完全さ、冗長性なんかが必要なんだよ。時計仕掛けではなくて、それこそエモーショナルに、時として衝動的な行動を期待しているんだ。だって、それが人間だからさ」

 朧は、人型のアンドロイドではなくて、アンドロイド型の人間を造っているのだと自慢した。大きな胸の前で腕を組み、一人でウンウンと頷いている。

「それで、そのう、この男の子は動くのかしら」

 朧のそばで横たわっているアンドロイドは、まるで人間と見紛うほどの出来栄えだった。そのあまりの精巧さに、雪子は感心を通りこして見とれてしまう。

「もちろん。エンターキーを押せば、この子はわたしたちの子供となるんだ」

 それを押してしまったら、ここから先の人生に重大な変化が生じ、それ以前の自分には戻れなくなるのでは、と雪子には期待含みの不安があった。 

「この子に名前はあるの」

「名前は、山田一郎だよ」

「なにそれ、ダッサ。おっさんじゃないの」

「そんなことないだろう。ごくごく平均的で親しみやすいじゃないか」

「却下」と、雪子はにべもない。

 多少憤慨した様子の朧だったが、命名に関しては思慮が足りなかったことを自覚していた。雪子の削除を受け入れて、新たな名前を二人で考え始めた。 

「ねえ、新条ってどうかな」

「新条か。ありふれていそうで、そういえばあまりないな。ていうか、名前より先に苗字かよ」

「小学四年生の時に、すごくカッコイイ男の子がいて」

「まあ、新条って苗字だったんだろう」

「そうそう」

 なつかしいくも淡い思い出に浴して、雪子は、はにかんだ表情になる。

「下のほうはどうするんだ」

「あなたの好きだった男の子の名前でいいわよ」

「男を好きになったことなど一度もないよ」

「あら、そうだったわ」

 無粋なことを言ってしまったと、雪子は謝罪する。

「それじゃあ、慎二なんてどうだ」

「いい名前だけど、ちなみに誰のだったの」

「じいちゃんが飼っていた雑種だよ。いっつも部屋の隅にいて、物憂げな顔が印象的だったなあ。ちょっと変わった犬だった」

「犬に人間みたいな名前をつけるって、おじいさんは変わった人だったのね」

「酒とタクアンが大好きな人だったよ」

 施術台に横たわる好男子なアンドロイドを、雪子はやや複雑な表情で見ていた。

「まあ、いいわ。慎二にしましょう」

「雪子に起動ボタンを押させてやるよ」

「私は遠慮しておくわ。朧がやって」

 朧は腕を組んで見つめていた。そのまま動かずに十数秒、根負けしたのは雪子のほうだ。

「わかったわ。どうしても私にさせたいみたいね」

 キーボードのエンターキーの上に、華奢な人差し指がやってきた。しかし、すぐに降下するのではなくて数センチ上に留まっていた。

「やっぱり怖い。だって、これを押した瞬間にもしショートしちゃったら、この子が死んじゃうかもしれないし」

「ここで雷でも落ちたら、フランケンシュタイン博士の怪物になっちゃうかもな」

 冗談を言いながらも、朧は辛抱強く待っていた。

「ねえ、さっき子供って言っていたけど、私たちに子供は無理でしょう。女同士の夫婦なのだから。だけど、こうして男の子を授かろうとしている。世界が滅茶苦茶に壊れてしまったのに、いいのかしら」

「いいんだよ。慎二はわたしたちの子供なんだ。世界が滅亡しかけている中で生まれたけど、自慢の息子なんだよ」

 パートナーの心強い励ましに、雪子はウンと頷いた。思い切って、そして、そうっとキーを押した。

「動かないわ」

 アンドロイドは微動たりもしない。人形であることを主張するように、じっと横たわったままである。 

「あっと、言い忘れてた。この子の脳には基本情報がインプットされていて、すでに活動しているんだよ。現在は高校二年生で、両親が離婚していて父親と白いオウムと暮らしている。サイキックなるイレギュラーが発生していて、ふつうの高校生というわけではないけどね」

「サイキックって、超能力のこと?」

「彼には瞬間移動の能力があるんだ。サイキックは摩訶不思議で説明不能な超常現象だよ。ちなみに高校二年生の雪子は予知能力がある。サイキックつながりで慎二と付き合うことになったんだ」

「ちょっと待って。どうしてこの子の頭の中に私がいるの。しかも予知能力者って、なんだか、うさんくさいわね。それに恋人同士ってどういうこと。そんなの聞いてないから」

 パートナーに相談することなく、勝手に配役させられたことについて、口を尖らせて抗議する雪子であった。

「そんなに驚くことないだろう。脚本の背景は、どうしても身近なものになってしまうし、知らないうちにカップルになったんだから。ちなみに、わたしだってちゃんとキャスティングされているんだよ」

「どういう役で出てるのよ」

「中卒の非正規校務員」

「中卒で公務員なの」

「公務員じゃなくて、学校の用務員のことだよ」

「用務員のおじさんなの。朧は男じゃないけど」

「こまけえことはいいんだよ。それより早く、目覚めのキッスを」

「はあ?なに言ってんのよ」

 ポカンとしている雪子に、朧は起動に関してのメカニカルなアドバイスをする。

「アンドロイド・新条慎二の目覚めは、愛している恋人からの熱いチューで成し遂げられるんだ」

 ねずみ色の女が、ドヤ顔で言い放った。

「ええーっと、この子は山田一郎なんでしょう。私と付き合っているのは、そのダサい名前の時ということになるじゃないの」

「そんなの設定変更でどうにでもなる。いままでの山田一郎としての経験と記憶を、新条慎二という名前に全置換するんだ。ほらよっと」

 キーボードをササッと操作して、過去に遡っての設定変更が完了した。

「それではお姫様、キッスを」

 騎士がお姫様にかしずくような恰好で朧が言う。

「私はアラサー女よ。高校生の男の子がおばさんにキスされて、果たして目覚めてくれるかしら」

「大丈夫だよ。熟女でも受け入れるように設定してあるから」

 雪子は不安そうにチラ見する。

「ベロチューはナシな。雪子のは強烈だから」

 アラサー女が、もう一人のアラサー女をキッと睨んだ。それ以上のからかいは、今夜の献立に重大な結果をもたらす覚悟をしなければならない。

「さあ、どうそ。慎二の最愛の女、菖蒲ヶ原雪子さん」

「もう、しょうがないわね」

 雪子はベッドに横たわる王子様をしばし見つめてから、チュ、と軽く接吻した。

 ハッとしたように、慎二の瞳が見開いた。ゆっくりと上半身を起こすと、二人を見てほっこりとした笑みを浮かべる。

「菖蒲ヶ原さん、機嫌がよさそうだね。朧も一緒だったんだね」

 慎二は、まるでいつものような態度だ。

「驚いた。この子、どうしておばさんの私を知っているの」

「慎二の意識の中では、高校二年生の菖蒲ヶ原雪子とアラサーの菖蒲ヶ原雪子に区別はないんだ。両方の間に断絶はないし、それぞれが拒絶することなく共存しているんだ」

「どういうこと」

「慎二は夢を見ているんだよ。その中では高校生をしていて、わたしたちと青春しているわけさ」 

「どうして、そんなことさせているのよ」

「精神面での成長を促しているんだ。廃墟になった世界でおばさん二人と暮らしていたら、ババ臭いアンドロイドになってしまうからな。現実と虚構を同時に存在させて、それぞれの面から自我を発達させるんだよ。矛盾を感じさせないように調整はしてあるから心配はない。この子には、やってもらわなければならないことがあるからな」

 そのアンドロイドは、雪子と朧に軽く頭を下げてからベッドを離れた。  

「どこへ行くの」

「外に行ってくるよ。川でアメマスを捕まえて、野草があれば採ってくる」

 この子になにをさせるのよ、と母親の目線が朧に突き刺さった。

「いやあ、まあ、どうせなら働き者の息子のほうがいいだろう。消費期限切れの保存食料ばかりじゃなくて、たまに焼き魚も食べたいし。だから、よく働くように動機付けしておいたんだ」

 作業服姿の母親が悪びれることなく言う。

「じゃあ、行ってくるよ」

「気をつけて。天気が悪くなったら、すぐに帰ってくるんだぞ」

「朧は心配性だなあ」

 アンドロイドは、かすかな笑みを浮かべながら研究所を出て行った。

「あの子、ほんとに大丈夫なの。夢と現実がごちゃごちゃになっているようだけど」

「あれでいいんだよ。思春期の男の子らしく不明瞭でさ」

「どこがよ」

 雪子は右肩をコンコンと叩いて、腰に手を当て少しばかり反り返る。もし慎二がアメマスを釣ってきたら、塩焼きではなく煮つけにしようと目論んでいた。

「やっぱり、川魚は塩焼きが一番だよな」

 パートナーの意図を察知した朧は、それとなくけん制するが料理人の決心は変わらない。

「今日はアメマスの煮つけね」

「ふう」と、朧が乾いた息を吐き出した。


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