第17話

 岡島裕太は困惑していた。

 彼が立っているのは、繁華街のショッピングモール内にある映画館前である。デートの待ち合わせであり、相手は雪風東高校でナンバーワンとして誉れ高い菖蒲ヶ原雪子だ。彼女は、自称ナンパ師の岡島が口説き落としたくても、相手にもされない、歯牙にもかけられない難攻不落の孤城であった。忸怩たる想いを抱えたまま何度かモーションをかけてみたが、いつもいつも変わらず撃沈であった。

 それがどういうわけか、今朝にかぎって向こうから誘ってきたのである。喜び勇んで出てきたのだが、約束の時間になっても菖蒲ヶ原雪子はやって来ない。

「なんだ、こいつ」

 その代わりに現れたのが、雪風東高校の制服を着て樽のようにふくよかな女子であった。待ち合わせ時間ジャストに出現し、彼の前を行ったり来たり、時には立ち止まって鋭く睨みつけていた。

「しかも、鳥」

 そのふくよかな女子の右肩には白いオームがいて、黄色い冠毛をおっ立てながら岡島を見ていた。どの方向に進もうとも、つねに顔を向けている。不良に睨まれているよりもイヤだなと感じていた。なるべく、その女子と鳥が視界に入らないように顔を背けていた。

「来ないなあ、連絡してみるか」

 しびれを切らした岡島がケイタイを取り出した。通話履歴の画面とし、朝の番号へかけるためタップしようとした時だった。

「うわっ、びっくりしたー」

 突如として、三十センチほどの極短距離に大きな顔があった。よく肥えて、アゴが二重三重で迫力があった。なにをイラついているのか馬並みの鼻息を吐き出し、肩にのったオームが{エロいぞー}と叫んでいる。

「それで、どうなのよ」

 ふくよか雪子が問いかけた。

「ど、どうって、なにが」

 突然のことで、岡島はビビりながら問いかけ返す。

「なにがって、私がわざわざ来ているのに、どうなのってことよ」

 寸胴な腰に手をあてて、やや斜に構えてガンを飛ばしていた。

「あのなあ、何組の女子だか知らないけど、おれは背脂なんか持ってないぞ。あそこにラーメン屋があるから、大盛りチャーシュー麺を食えばいいんじゃないか。マシマシにしたら、すげえ脂多いからよ」

 その女子は脂っぽいものが食べたいのだろうと、わりと本気で思っていた。 

「背脂とかマシマシとか、なんのことよ。ていうか、それは私に対して失礼すぎるでしょ。ホステルで椅子に縛り付けちゃうわよ」

「意味わかんねえよ。てか、そもそも、おまえは誰だ」

 その問いには、フッと不敵な笑みを浮かべて答えるのだった。

「菖蒲ヶ原雪子ですけど、なにか」

 いつものキメのポーズで言い放ったと同時に、{めっさエロいぞー}と肩のオームが叫んだ。

「はあ?、おまえが菖蒲ヶ原さんなわけないだろう。なんの冗談だよ、縁起でもねえ。とりあえず脱脂してから来いよな」

「だ、脱脂ってなによ。豊満レデーに対しての差別発言だわ。訴えてやるから」

 ふくよか雪子が岡島に食ってかかっていると、ポケットのケイタイがブルブルと震えた。いったん背を向けてから画面を見る。相手は慎二であった。

「菖蒲ヶ原さん、調子はどんな具合?」

「調子もなにも、いまやってるの」

「路地で待ってるんだけど。ヒマだから早くしろって赤川が言ってるんだ」

「だから、やってるって。あっ、いない」

 岡島の姿がなかった。ケイタイを耳に当てながら四方を探していると、ピーちゃんが{くえー}と鳴いて二時の方向を見つめている。そこにはカフェのチェーン店があり、彼が入店してしまった。

「ああーん、もうスタボに逃げられたわ」

「逃げられたって、どういうことだ」

{スターボックス}というカフェに逃げ込まれたことを、イライラした口調で告げた。

「あいつ、私を邪険にするのよ。失礼なこと言われるし、頭きちゃう」

「菖蒲ヶ原さん、あいつになんて言って誘ったんだよ」

「素直に自己紹介したわ。菖蒲ヶ原雪子だって」

「それはダメだよ。姿が別人になってるんだから。テキトーなこと言って誘い出さなきゃ」

「どうして、この私がテキトーなこと言わなければならないのよ。菖蒲ヶ原雪子さんを甘くみないでくれる」

「いや、だから」

 その時、画面に横やりが入ったとの表示があった。

「ちょっと待ってて。あいつから着信が入ったわ」

 通話の相手が切り替わった。ふくよか雪子と岡島との通信となる。

「はい、菖蒲ヶ原です~。ええ、ちょっと道に迷っちゃってごめんなさい。え、スタボで待ってるの」

 スタボで待っているから店に入ってきてほしいと、岡島は言っていた。もちろん知っていたふくよか雪子だが、すっとぼけて会話を続ける。

「私、コーヒーアレルギーだから店の中はムリなの。匂いを嗅いだだけでジンマシンが出ちゃう。だから岡島君がこっちに来てよ。いま近くにいるから。ええーっと、ドーナッツ屋さんの横にある細い通路で待っているわ」

 慎二と極劣化赤川が待ち受けている路地へと直行させる作戦だ。

「え、閉所恐怖所? 狭いところはダメって、あ、ちょっと待って、切らないで」

切られてしまった。閉所恐怖症の岡島は路地には出向かず、あくまでもカフェで待っているということだった。

 通話が再度切り替わった。ふくよか雪子と慎二の会話に戻る。

「どうだった。こっちに来るのか」

「それがダメよ。スタボで待っているって切られちゃった。深追いすると怪しまれそうだし困ったわ」

 ふくよか雪子がため息をついていると、通話先が騒がしくなった。慎二のケイタイを極劣化赤川がぶん捕って言う。 

「おい肉まん女、オレ様がナイスな作戦をさずけてやるから、ありがたく聞けよ」

「ちょっとー、ブッサイクが私のケイタイに電波を流さないでよ。最新バージョンがブサイクになっちゃうでしょ」

「スマホがブサイクになるかよ。いいか、よく聞け」

 唐突に通話が切れた。慎二のケイタイを手にした極劣化赤川が、「こんチクショー」と一言吐き出してリダイヤルした。

「なによ、ダーウィン賞を受賞して死ねばいいのに」

「とにかく落ち着け。切るなよ。これは作戦なんだから」

 だが切られてしまう。仕方なく慎二が掛けなおし、極劣化赤川の作戦へ耳を傾けるように説得してから替わった。ブサイク男子が先ほどの発言を謝罪すると、会話できるほどには機嫌がよくなった。

「あいつは女の子が大好きで、とくに美人でセクシーには目がない」

「私のことね、わかるわ。でも今日の彼はぜんぜん振り向かない。おかしかった。きっと地球温暖化か太陽フレアが脳に影響しているだわ。ガンマ線バーストも考えられる」

 天体物理に詳しい自信過剰な女子に、極劣化赤川が作戦を告げる。 

「いいか、美人という要素はこのさい無視しよう。攻めるのはセクシーだ。セクシー路線であいつを店から引きずり出すんだ」

 セクシーという言葉に力がこもっていた。やや時間をおいてから、ふくよか雪子が問う。

「それで、具体的にどうすればいいの」

「あのスタボは客席のほとんどが外を向いている。きっとやつは、ガラス越しに外の景色を見ながら菖蒲ヶ原雪子が来るのを心待ちにしているはずだ」

「あたりまえでしょ」

「ええっと、そこでだ。肉まん、いや、いま現在の菖蒲ヶ原さんがその前に行って、おもいっきりセクシーを見せるんだよ。とにかくセクシーだ、セクシー。マックス・ウルトラ・ダイナマイトポーズでやつを悩殺し、ホイホイと出てきたところを路地裏に誘い込み、そのあとは、わかるな」

「拷問ね」

「違う。オレたちを元通りの姿に戻させるんだよ」

「断れば、拷問ね」

「だから違うっていうの。つか、どんだけドSなんだよ」

「でも、サイキックの発動は無意識の衝動なのだから、頼もうが説得しようがどうしようもなくてよ。本人も自覚してないのだから、けっきょくは拷問しかないでしょうよ」

「とにかく拷問から離れろ。超能力をやつがどう使うかは、その時に考えるから」

 岡島のサイキックがどうなるかは、ぶっつけ本番ということになった。とりあえず彼を連れ出して捕獲するというのが最優先事項である。

「わかったわ。あいつの前でセクシーポーズを見せつければいいのね」

「そうだ。ただし公衆の面前なので、くれぐれもやり過ぎないように。露出とかのサービスは必要ないからな」

{エロいぞ}とピーちゃんが口走った。

「エロじゃなくてセクシーだ。おい、大丈夫なんだろうな」

「大丈夫に決まってるじゃないの。泥船にのった気で安心しなさい」

「泥船じゃあ、沈んじまうってよ」

「泥船のような砂船よ」

「余計に沈むわ。マッハで沈むだろう」

「行ってくるわ」

 通話が終わった。ケイタイが慎二に返された。お互いの顔を見るが、両方とも不安げである。

「菖蒲ヶ原さんは大丈夫だろうか」

「ふむ。あの女、なにを仕出かすかわからないところがあるからな」

「いつもより大胆ていうか、無茶苦茶になっている気がする。おそらくサイキックで無謀な性格に変えられているんじゃないか」

「元の菖蒲ヶ原雪子をよく知らないが、さすがにあそこまでドSの女はいないだろうからなあ」

 相談の結果、ふくよか雪子が心配ということで、二人とも現場で様子を見ていることになった。状況がヤバくなれば、彼女を連れ出して逃げる算段をした。狭い路地を脱して、目標がいるカフェへと向かった。


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