第14話
二人が新条家に着くと、ふくよか雪子は慎二よりさきに靴を脱ぎ、そのまま廊下を進もうとした。
「あ、どこに行くんだよ」
「キッチンに決まっているじゃないの」
その場所へ行くのが当たり前のような言い方である。
「キッチンって、そうか、弁当を食べるのか。って、さっきさんざん食べてるか」
変身騒動があったためにふくよか雪子はお弁当を食べそびれていたが、かわりにカフェでたっぷりとカロリー補給をしたばかりである。
「夕食の準備をするんじゃないのさ。今日は泊めてもらうのだし、一宿一飯の恩義を、雪子さんのピチピチボデーで返してあげるのよ」
「まだ三時のおやつの時間でもないんだけど」
「菖蒲ヶ原雪子が美味しいものつくってあげるんだから、もっと喜びなさい。欲しがりの顔をしなさい。首をたれて床に這いつくばってもいいんだから」
「いやいや、とにかく今晩はスーパーの弁当なんだって。菖蒲ヶ原さんの分も買ってくるから、そんなに頑張らなくてもいいよ」
「ねえ、私の体を見て言っているの。この肉体にどれほどのカロリー補給が必要なのか知らないでしょう。出来合いのお弁当なんて不経済なものを買っていたら、お金がいくらあっても足りないわ。日銀が国債を買うレベルよ」
ふくよか雪子としては、お弁当を貶めたいわけではなく、自分で料理をしたかったのだ。慎二としては、なにを仕出かすかわからない変身女子に家のことを任せられないと警戒していた。ただし、いまの彼女と取っ組み合っても止める自信はなかった。
「じゃあ、まあ、ほどほどにたのむよ」
「オッケー。ほどほどにやってあげるから」
夕食の食材は、新条家の冷凍庫・冷蔵庫にあるもので調理となった。戻ってきた新条母が毎日張り切って料理を作るために、肉やシーフードが大量に買いだめされていた。
ふくよか雪子が世話焼き女房のようにテキパキと動いていた。湯を沸かしたり、炒め物をしたり、揚げ物をしたりと、とにかく忙しい。
居間で座っている慎二は、一抹の不安を感じながら待っていた。ときおりトントントンと、まな板を叩く小気味よい音がした。懐かしさ混じりの日常感に浸っていると、「おーりゃっ」と気合の入った野太い声がしてビビる。ふくよか雪子が切れない食材を出刃包丁でぶっ叩いているのだが、なかなかに物騒な響きで、ケージの中のピーちゃんまでもが黄色いトサカを立てて驚いていた。
数時間後、すべての料理が出来上がった。
「鶏モモ肉のから揚げに厚切りベーコンピザ、チーズハンバーグ、チーズがたっぷりポテトグラタンにジャーマンポテト、ジャンボメンチカツ&ジャンボクリームコロッケ、脂身たっぷり油そば。豚の冷しゃぶサラダ、豚足煮、豚角煮、余った豚肉全部入れたトン汁。慎二、どうよ。ちなみに全部美味しすぎて背骨が抜けちゃうんだから」
ダイニングテーブルでは置き場所が足りず、キッチンや冷凍庫など、あちこちに料理が置かれた。四方八方から食欲を刺激する匂いがただよっている。
「脂質のオンパレードで胸やけ必須だけど、めちゃくちゃ美味そうだ。ほっぺたは落ちても背骨は大丈夫だと思う」
「さあ、召し上がれ」
ふくよかなシェフが両腕を開いて、食べ盛り男子の食欲を招いた。
「豚足煮が美味そうでヤバい。母さん、こんなの買い込んでいたんだ」
「圧力鍋でじっくり煮て、トロットロなんだから」
いただきますと言って、慎二がそのトロトロ肉塊に箸を突き刺そうとした時だった。
「あれ、誰か来たのか」
玄関チャイムの呼び出しであった。新条家ではテレビモニター付きなので、来客の人相を確認することができる。
「もしかして、ご両親が返ってきたんじゃないの」
慎二とふくよか雪子がモニターを凝視した。見知らぬ男の顔が画面の九割以上を占有している。
「誰?」
「ええーっと誰かな。知らない顔だなあ」
モニターに映っている顔が引いて、上半身が露わになった。多少暗くなっているが、服装が認識できた。
「ねえ、うちの制服だよ。同じ学年だわ。慎二のクラスの男子じゃないの」
校章の色で二年生だとわかる。
「いや、うちのクラスではないよ。でも、こんな特徴的な顔は他のクラスでも見たことないような気がするけど。特進クラスじゃないのか」
「私のクラスは変わり者が多いけど、こんな男子はいないわ。顔が変過ぎじゃないのさ。どうしてここまで変顔を主張するのか意味がわからない」
「たしかに、すごく特徴的で、なんていうか」
それは生まれつきであって本人の意志ではないと慎二は思うが、本音としてはふくよか雪子に同調していた。
「顔が四角で目が離れていて、鼻がつぶれて出っ歯の黒虫歯で息が臭そう。菖蒲ヶ原雪子が、ありていに言っていいかしら」そう言って慎二の顔を見た。
「どうぞ」
「ブッサイク」
「ありがとうございます」
プッ、と二人は同時に吹き出した。
呼び出しのチャイムが鳴り響いていた。玄関先で待たされているブサイク男子は落ち着かぬ様子で、しきりにスイッチを押している。
「とりあえず、出てみれば」
ふくよか雪子の助言を受けて、慎二はマイクをオンにする。
「あのう、どちら様ですか」
「慎二、オレだよ、オレ」
マイクに口をつけるばかりに近づけて、ブサイク男子がなれなれしく言った。
「ええーっと、転校生?」
「オレだ、赤川だ。なんだか知らないけど、ヤバいことになって家に帰れないんだ。とにかく入れてくれよ。雨が降ってきそうなんだ」
外は暗くなり始めたばかりだ。雨の様子は確認できなかった。
「慎二、きっと頭のおかしな人よ。シカトでいきましょう」
ふくよか雪子は警戒感をあらわにする。
「いまの声、誰だ。まさかメシ炊き女でもできたのか。彼女か、彼女」
ブサイクな顔が画面いっぱいに広がった。即座にふくよか雪子の指がオフのスイッチを押した。
「いまのやつ、たしか赤川って言っていたような気がする。ひょっとすると大輝かな。いや、顔が全然違うし」
「赤川大輝って、生徒会長の?」
慎二の友人である赤川大輝は、雪風東高校の第三十代生徒会長である。イケメンで成績も性格も良く、誰とでも平等に接する態度は好感度満点であり、全学年の女子たちに知れ渡っていた。孤高なわりにはなにかと情報通の菖蒲ヶ原雪子も、気にはしていなくとも心の片隅にはファイルしている人物だ。
「生徒会長が、あんなにブッサイクなわけないじゃないの。赤川君を騙る不逞の輩よ。きっと私を拉致しに来たんだわ」
「ええーっ、どうして菖蒲ヶ原さんを」
彼女をさらうミステリアスな理由があるのかと、慎二は真剣な表情となる。
「神アイドルの雪子さんを欲しがるのは当然でしょ。美しいものを我がものにしたいとの欲求は、賛成はしないけど理解できるわ」
樽のようなぜい肉をプルンとさせて、ドヤ顔である。
「その異次元レベルの自信が、正直うらやましい」
うぬぼれが甚だしいと思っていたが、それを口にすると大変なことになるので深追いはしない。呼び出しの電子音がうるさかった。
「もう、しつこい男だわ。ちょっと行って追っ払ってくる」
「菖蒲ヶ原さん、それは危険だって」
「どうしてよ」
「菖蒲ヶ原雪子さんはアイドルよりかわいいんだから、なにされるかわからないじゃないか」と、これは皮肉である。
「その時は慎二が身を挺して私を助けなさいよ。もし命を落とすことになったら献花をしてあげるから安心しなさい。菖蒲ヶ原雪子が盆暮れ正月にお花を捧げて、お墓の前でドラムを叩いてあげるわ」
「俺は死ぬ前提かよ。それと暮れと正月ぐらいは静かに永眠させてくれ」皮肉が通用するほど、いまの彼女はか細くなかった。
二人が玄関まで来た。ドアを開けるのは慎二であって、ふくよか雪子が彼の背中に手を当てて身を隠している。ただ、そもそもの直径が違い過ぎるので誤魔化しきれず、大木の前に男がいるという画になっていた。
「おお、慎二。これで助かった。なんだか知らないけどオレの体が大変なことになったんだ。とにかく中に入れてくれ」
ふくよか雪子にブサイクと評された男子が、ドアを開けるなり入り込んできた。
「ちょっとまってくれ。君は誰だ。赤川って言ってたけど、大輝の知り合いなのか」
「なに言ってんだよ、慎二。オレだよオレ」
男子がなれなれしく、くっ付いてきた。慎二が嫌そうな顔して一歩引きさがり、ふくよか雪子が眉間に皺を寄せながら前に出る。
「ちょっとう、その見苦しい顔を近づけないでよね」
「それは差別的な発言になるよ。人権は大事にしよう」
「わかったわ、言い直す」
慎二に諭されて、ふくよか雪子が姿勢を正した。
「顔の造形的な意味において著しく瑕疵があるそこの君、なんの用なの。私は忙しいし、これからカロリーをたらふく摂るんだから、ちょっかい出すならおととい来なさい。明後日でもいいんだから」
この来訪は、あくまでも自分に対してだと確信している態度だった。
「慎二、この女は誰だ。二年生みたいだけど、こんなのいたっけ」
ふくよか雪子は制服を着ている。校章は二年生の色を示していた。
「菖蒲ヶ原雪子ですけど、なにか」
腰に手を当てて、ふくよかな女子高生がさっそくキメのポーズで言い放った。
「菖蒲ヶ原さんって、特進クラスの、あの菖蒲ヶ原さんか」
「そうよ」
どうだと言わんばかりに顔をツンと上げた。
「こんなデブが菖蒲ヶ原さんなわけねえよ、ふざけんな」
出っ張った前歯を突き出して、即刻否定した。
「デブとはなによ。失礼千万だわ。ブッサイクのくせに」
「ブサイクよりデブのほうが罪深い。これ真理な」
「豊満ボデーのどこが罪深いのよ。あんたなんか、一生ガリでも食べてなさい」
ふくよか雪子とブサイク男子が言い争いを始めた。お互いの容姿をかけた譲れぬ闘いである。
「二人とも、人権に配慮して話し合おう。ところで何度も言って悪いけど、君は誰なんだ」
「だから、赤川だよ。赤川大輝。おまえとは中学の時からの付き合いだろう」
イケメンで聡明な赤川大輝とは真逆のブサメン・まぬけ顔が慎二を見つめていた。
「家に帰ったら母さんに追い出されてしまって、なにがなんだかわからなくて、それで鏡を見たら別人になっていたんだ。赤川大輝の顔じゃなくて、知らない顔になっていたんだって。助けてくれよ、慎二」と、涙ながらに訴えた。慎二が決心した表情となる。
「君が赤川大輝だというなら、いくつか質問がある」
「おお、いいぞ。なんでも訊いてくれや」
ブサメン男子が真顔で受け止めた。
「中学生の頃、一番夢中になったことはなんだ」
「橋の下で放置されたエッチな本を探しだすこと」
「ふむ」
慎二が頷く。
「ネット上にいくらでも溢れているのに、なぜに捨てられたエッチ本か。しかも、赤川はふつうにモテてたのに」
「土やホコリにまみれた裸体が無残に遺棄され、そして水分を含んで皺くちゃになっているのがいいんだ。あと触れてはいけないモノを発見する喜びと、未成年が法を犯している背徳感がハンパない。慎二にも一冊あげたじゃないか。タヌキみたい顔したおばさんが荒縄で縛り上げられているやつだ。エッチに興味なさそうなおまえが、珍しく持ち帰ったよな」
「ふむ」
身に覚えがある慎二は大きく頷いた。
「なんだか極劣化してるけど、間違いなく君は赤川大輝だ。ようこそ我が家へ」
「おお、慎二。心の友よ」
突然現れた謎のブサメンが赤川大輝であると証明された。二人は固く握手をし、お互いの肩を叩いて再会を喜んだ。
「バカじゃないの。てか、男子はほんとロクでもない。頭の中エッチなことしか考えてないんじゃないの。ホントにバカ。橋の下でゼノモーフに襲われればいいのに」
ふくよか雪子は呆れて、フンと鼻を鳴した。
「菖蒲ヶ原さん、中学生男子をなんだと思ってるんだよ。湧き上がるリビドーをどういうふうに昇華させるのか、日々自我との格闘三昧なんだ。エスがつくりだす妄想は、無意識的な衝動であり抑えられるものではない」
「ところどころに意識高い系の言葉をつかうのやめてよね。そんなことで、ヘンタイ男子の汚名を返上できるなんて思わないことよ、そこの二人」
重そうな眉間をへの字に曲げて、ビシッと睨みつけた。
「なあ、慎二。さっきから菖蒲ヶ原さんの名前が出ているんだが、もしかして本人が来てるのか」
「それは、だから、そのう」
慎二の申し訳なさそうな目線を、ふくよか雪子の豊満ボデーが跳ね返す。
「私が菖蒲ヶ原雪子だって言ってるじゃないの。さっきからしつこいのよ。ハエとりリボンより粘っこいわ」
「ハエとりリボンを知っている菖蒲ヶ原さんはステキだ」
「私はなんでも知っているのよ。慎二の十八歳の誕生日に首に巻いてあげるわ」
「できれば、もっとさっぱりした物にしてほしい」
二人はテンポよく話している。その様子を見ていた極劣化赤川が気づき始める。
「ひょっとして、この女が菖蒲ヶ原さんなのか。まさか、そんなことはないだろう」
ふくよか雪子が両腕を胸の前で組んで、冷たい視線を赤川に流していた。慎二が遠慮気味に頷く。
「マジかよ。あの超絶美女がこんなにデブ・・・、いや豊満ボディーになっちゃったのか」
特徴的な出っ歯を、これでもかっ、と出して、ふくよかな女子高生の全身を舐めるように見ていた。
「あなたこそ、生徒会長の赤川君で間違いないの。女子たちが可愛がってやりたいと噂しているイケメンから程遠い存在になっているけど。アンドロメダ銀河よりも遠くなったわ。ブラックホールに落ちてしまえばいいのに。事象の地平線で永遠にさ迷っていなさいよ」
「この突き落すような上から目線のいい方は、まさに菖蒲ヶ原雪子だ。噂通りだな」
極劣化赤川は、ふくよか雪子が菖蒲ヶ原雪子だと確信した。
「ここで立ち話もなんだから、家の中に入ろうか。ちょうど晩ご飯を食べようとしたんだ。菖蒲ヶ原さんの手作り料理が美味いのなんのって」
手料理が美味いと聞いた瞬間に、極劣化赤川のお腹がググーと鳴った。
「そういえばめちゃくちゃ腹へった。デブ・・・、いや豊満ボディーが作るメシにハズレなし、っていうからな。きっと美味いんだろうな」
「よし、赤川も一緒に食べようか。ほら食事はやっぱり人数が多いほうがいいし。ね、菖蒲ヶ原さん、いいよな」
ふくよか雪子が作った料理なので、慎二の一存だけで他人に分け与えることはできない。しぶしぶにしても製作者の許諾が必要となる。
「イケメン生徒会長ではなくて、ブサメン君に食べさせるのは癪だけど、たくさん作っちゃったし、切れ端くらいだったら食べてもいいわよ」
「菖蒲ヶ原さん、ポリティカル・コレクトネスに配慮しよう。人類平等、皆兄弟の精神で」
「人類平等はいいけど、皆兄弟は外してくれないかしら」
ツンと背を向けて、廊下をスタスタと歩き出した。
「なんだ、どうなった。オレは歓迎されたのか」
ふくよか雪子の図太い背中に疑問をぶつけるが、極劣化赤川の声が届くころには彼女の姿は見えなくなっていた。
「もちろん大歓迎さ。赤川大輝が歓迎されないわけないだろう」
「そ、そうだよな。オレが嫌われるとか、どこの異次元かって話だ」
異次元レベルの劣化具合が致命的だと思ったが、友情を貴びたい慎二はあえて楽観的な態度を示した。ふくよか雪子の心情を察しきれず一抹の不安を抱えながら、安心してヘラヘラする極劣化赤川を居間へと案内する。
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