二月


   二〇二五年二月一日(土)


 バイトから帰ると「306号室」が開け放たれている。中を覗いてみると、最初見た時と同じ様に、雑多に物が積み上げられた部屋でダウンジャケットを着たおじさんがガタガタ震えながら座っていた。帰って来たらしい。


   二〇二五年二月二日(日)


 バイト先から帰ると、四階からまたゴミ袋が落ちて来た。また四階の階段の踊り場の手すりに黒い人影が寄りかかっている。「今日はゴミの日じゃないですよ」と伝えると黒い人影は引っ込んでいった。


   二〇二五年二月三日(月)


 バイトに出勤しようと家を出ると、向かいの団地の一室に電気が灯っていた。団地の周囲には立ち入り禁止のテープが貼られている。


   二〇二五年二月四日(火)


 バイトから帰ると、玄関先に「田辺」「原澤」「横井」「山井」「梅田」「北川」「ホロヴィッツ」の表札が掛かっている。どれも僕の苗字では無かったので外しておいた。いたずらされている。


   二〇二五年二月五日(水)


 昼間テレビを見ていると、キッチンの方でなにか軋む音がする。覗きに行くが、何もない。


   二〇二五年二月六日(木)


 朝四時に隣の「303号室」のお経で目を覚ます。食器が揺れるくらいの声量になっている。


   二〇二五年二月七日(金)


 バイト先で廃棄になったのがまたサバ弁当しかない。仕方がないので持ち帰ったが、サバはそのまま捨てた。


   二〇二五年二月八日(土)


 買い出しに行こうと駐輪場に行くと、自転車のサドル部分にふさふさのブロッコリーが突き立っていた。これは良いと思って走り出した。


   二〇二五年二月九日(日)


 廊下の隅に、ひな人形が一体ポツンと座っていた。汚れてくすんでいる。夕方になるといなくなっていた。


   二〇二五年二月十日(月)


 四階から小さなこけしを落とされた。四階に居る黒い人影だろう。


   二〇二五年二月十一日(火)


 向かいの団地とうちのマンションとの間に、草の伸びっぱなしになったちょっとした広場がある。そこで赤い振袖を着たおかっぱ頭の女の子が一人で踊っていた。三階から見下ろしていると、手を振られたので振り返した。


   二〇二五年二月十二日(水)


 トイレに誰かはいっている。


   二〇二五年二月十三日(木)


 座敷の黒いシミが人型になっている。下からにじんできているのだろうか。


   二〇二五年二月十四日(金)


 一階の共同ポストの隣にある掲示板に「最近サバを捨てる人がい〼」と張り紙がある。


   二〇二五年二月十五日(土)


 今日はバレンタインデー。少しそわそわしていると、ドアポストに何かが放り込まれた。見に行くとコロッケが一つ捩じ込まれていた。郵便受けが油まみれになった。洗わなければ。


   二〇二五年二月十六日(日)


 バイト先に行く時に、広場で着物の女の子がくるくる回っているのを見た。二十二時近いのだが、近くの団地に住んでいる子だろうか?


   二〇二五年二月十七日(月)


 一階の共同ポストに茶封筒が投函されていた。見るとまた「302号室」の人からだった。

「大事な話はぜったいに、屋内でいったらあかん

楧(横)の女が気いておるからな

わかった。

302号」

 と書いてある。横といったら、朝四時に大声で読経している「303号室」の事だ。女の人が住んでいるらしい。


   二〇二五年二月十八日(火)


 思い直してみると「303号室」の事を忠告してくれた「302号室」の方はとても良い人だと感じたので、お礼に芥川龍之介の「河童」が面白いと言う事を伝えに行った。表札には「浦部うらべ」と書いてあった。インターフォンを鳴らすとチェーン越しにツルツル頭のお爺さんが出てきて、何かに怯えているみたいにビクビクとした片目を覗かせていた。僕が「芥川龍之介の河童が面白いです」と言っても「303号室の女に聞かれとるで、聞かれとるで……」と呟いてばかりで、何だか会話が噛み合わなかった。


   二〇二五年二月十九日(水)


 バイト帰り、また四階からゴミ袋が落ちて来た。四階に人影が立っている。これはもう怒ったと思い、息を切らして四階まで駆け上がると、階段の踊り場に赤い前掛けをしたお地蔵さんが立っていた。


   二〇二五年二月二十日(木)


 僕の家の表札が「トミー・マッケンジー」になっているので外しておいた。


   二〇二五年二月二十一日(金)


 バイトに行く時に、暗い廊下の先でまた「306号室」が開け放たれていた。少し覗いてみると、またガランとした空き家になっていた。また出て行ったらしい。


   二〇二五年二月二十二日(土)


 今日もまたサバの弁当しか廃棄にならなかった。サバだけ捨てて後は食べた。


   二〇二五年二月二十三日(日)


 夜中、玄関先から物音がしたのでドアスコープを覗いてみると、人型の二足歩行のサバが、出刃包丁を持って廊下を徘徊していた。濁った魚の目をギョロギョロしている。僕を捜しているのだろうか?


   二〇二五年二月二十四日(月)


 昨日のサバのものであろう、廊下に伸びた粘液の道筋が、「306号室」へと続いている。今日は扉が閉まっていた。


   二〇二五年二月二十五日(火)


 ベランダに立ち尽くした人影が二人に増えている。


   二〇二五年二月二十六日(水)


 向かいの広場で女の子が踊っている。三階の廊下から身を乗り出して見下ろしている僕に気付くと「ミャー」と鳴いた。猫だったのか。


   二〇二五年二月二十七日(木)


 向かいの団地の方角から祭囃子が聞こえて来る。


   二〇二五年二月二十八日(金)


 四階からゴミ袋が二つ落ちて来た。衝撃で破れたゴミ袋の中身は全て魚の首で、一斉に猫が群がって全て持ち去っていった。見上げると人影が二つに増えている。四階まで駆け上がると、お地蔵さんも増えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る