八月


   二〇二五年八月一日(きん)


 大家は二人いたらしい。隠れたって僕にはもうバレている。

 

   二〇二五年八月二日(土)


 そういえば、マンションの二階に踏み込んだ事がないという事に気付いた。日々貯金を切り崩すだけの生活で他にする事も無いので二階を覗きに行ってみる。「201号室」〜「208号室」には人の気配があり、様々な奇声が聞こえて来た。動物園を思い浮かべた。


   二〇二五年八月三日(日)


「二十三号」と書かれた僕の部屋の表札の横に、いつの間にやら黒いクレヨンの落書きがある。

「じっさいにスタート

 死亡ご

 人の死亡ご

   スタート

えいえん

のいのち

 夢であいましょう

   人はだれでも死亡ごスタート」

 とある。死んだ先があるのか、と感動する。


   二〇二五年八月四日(月)


 怪談の隅で様々な中年男性が亡くなっている。見れば全員アブラゼミの羽を持っている。まさに死屍累々という奴だ。僕が一歩階段を踏み鳴らすと「ミミンミンミンッ!!!」と叫んで一匹のおじさんが僕に体当たりをしながら空に飛び去った。驚いた。


   二〇二五年八月5日(ひ)


 今日は一日中「河童」を読んで過ごした。

 ベランダから外の様子を窺うと「大阪581ゆ・394」と書かれた黄色いナンバープレートがフリスビーの様に飛んでいった。


   二〇二五年八月六日(みず)


 気付くと自分が向かいの団地の広場で一心不乱に何かを掘り起こしている。体中泥まみれだ。何を掘り起こそうとしていたのだろう。何か大切なものだったと思う。


   二〇二五年八月なのか(木)


 かじられたきゅうりが落ちていた。


   二〇二五年八月はち日(金)((((


 捨てた筈のピンク色のスーツケースが居間の中央に戻って来ている。中で暴れるみたいにして動いている。老婆の声ががなり立てられていたが、しばらくすると死んだ様にうんともすんとも言わなくなった。


   二〇二五年八月九日(どーーー)

 

 再び大家が訪ねて来る。腕や足に包帯を巻いていた。「私はこのマンションに入居した方々が不幸になると知っていながらも、この家を様々な人に貸し続けてきました。このマンションを建てる際に負った多額の負債があったからです。しかし夫に先立たれ、義母も行方不明になり、去年には下の娘も行方知れずになって、息子も不慮の事故で亡くし……住民たちにも数えきれないだけの不幸が立て続いて……私はもうどうにも良心の呵責に耐えられなくなりました」と話していた。どう言われようとこの家は出ませんとキッパリ告げて奥の部屋まで引っ込んだ。


   二〇二五年八月十日(日)


 マンションの屋上から、おいでおいでをする三十人くらいの人影を見る。あの人たちはもうスタートしているんだ。と思った。少し羨ましい。


   二〇二五年八月十一日(月)


 二〇二五年八月十一日(月)


 家の前が騒がしいなと思ったら、神職の格好をした年老いた男がギザギザの白い紙の付いた棒切れをパッパと振っている。けれどしばらくすると悲鳴を上げて逃げ去っていった。「306号室」の方を見ていたから、サバでも見たのだろう。


   二〇二五年八月十二日(火)


 すごい物音がしたので外に飛び出してみると、上から「早瀬翔太くん」が降ってきて、向かいの広場に墜落する所だった。うつ伏せになったランドセルの側で着物の少女がくるくる回っている。大慌てで広場に行こうとしたら、二人の姿が煙のように消えた。そこには祠だけがある。首を捻って自宅に戻ると、閉じた玄関の向こうからまた同じ音がした。繰り返している。


   二〇二五年はちあつじゅうさ(スイ)


 久しぶりに「芥川龍之介」の「河童」を読もうとページを開いたら「人間だいすき」と、でかでかとした一文に変わってしまっていた。


   二〇二五年髪月14系(化粧水)


 シャワーから無数の細麺が飛び出して来て、ニュルンと僕の体を撫でていく。箸を持って急いで戻るともう麺がない。


   二〇二五年タイガー月十五日(きん)


「303号室」の前に身長二メートル程もあるであろう着物の女が二人立っていた。一人は何重にもなった赤いあでやかな着物を着ていて、髪をキレイに結って顔を真っ白に塗っていた。眉毛は丸い点二つ。横に居るもう一人は白い着物を着て、垂らした黒髪を横で纏めていた。こちらも顔が真っ白で、二人とも微動だに動かずに前を見据えている。巨大なおひなさまと官女のマネキンだろうか? 少し大家の「早瀬恵美子」の面影がある様な気がした。どちらともそっくりな顔立ちをしている。


   二〇二五年八月十六日(土)


 また二階が気になって訪ねて見た。前見た時とは違ってどこもかしこもアスファルトがひび割れて荒廃していた。住人は何処に消えたのだろう。


   二〇二五年八月十七日(にち)


 大家が足を引きずりながら歩いている。こんなに腰が曲がっていただろうか? すっかり老け込んで見えた。老婆の様だ。先日に見たおひなさまのきらびやかな姿とは対照的だ。


   二〇二五年八月十八日(月)


 座敷のシミから酒を飲んだように顔の赤い中年男の生首が突き出していた。声を掛けても目も合わせない。夜になると「おええっ」とえづいて気持ちが悪いので。悪いが包丁で首を削ぎ落とした。「すまなかった。すまなかった、俺が全部悪かった。俺がいなくなったら全部丸くおさまるんだな? そうなんだな?」と口早に言っている。流石に痛そうにしていたが血はでなかった。


   二〇二五年八月十九日(火)


 部屋が魚臭い。腐ったような臭いがする。


   二〇二五年八月に十日(水)


 朝、目が覚めると自分の口がひとりでに「おとうさんにあいたいおとうさんにあいたい」と言ってしばらく止まらなかった。


   二〇二五年八月二十一日(木)


 日を開けずにまた大家が訪ねて来る。全身に包帯を巻いて顔の半分しか見えない。「私ももうじきに連れていかれます。だからその前に今一度、退去のお願いをしているのです。建物の老朽化などと適当な理由を付けて強制退去をさせていただこうとも思ったのですが、そうしようとするとどうしたって関係者各位で不幸が立て続いて手続きがうまくいかないのです」そこまで聞いてバタンと玄関を閉めた。僕は河童の国をでない。


   二〇二五年八月二十二日(金)


 鍋の中に得体の知れないスープが入っている。毒だと思ってシンクに流した。背後から男が舌打ちするのが聞こえた。


   二〇二五年八月二十三日(土)


 魚臭いのは僕の部屋だけじゃなく、このマンション全体だと気付いた。


   二〇二五年八月二十四日(にち)


「はやくだせ」と老婆の声が何処からか聞こえた。


   二〇二五年八月二十五日(月)


 テレビで僕の特集をやっている。


   二〇二五年八月二十六日(火)


 近所のスーパーに入店すると、店内に居た全員が一斉に僕を見た。押し黙ったままの無表情に堪えきれず、踵を返して自宅に帰った。


   二〇二五年八月二十七日(水)


 全身が痒い。血が出ているのにも気付かずに肌を掻き続けていた。


   二〇二五年八月二十八日(モク¥¥¥¥)


 郵便受けに手紙が入っている。

「おかあさーん おとうさーん

 いいね いいね にんげんっていいね

 いいね いいね にんげんっていいね

 一回死亡

    一回死亡

 死亡ごスタート」

 と乱れた字で書いてある。やっぱり死んだ後があるらしい。気になってたまらない。


   二〇二五年 はちうがぁつにじうきぃいいうち(金)


 最近記憶が無い事がある。今日は鏡の前に立ち尽くして剃刀を口に突っ込んでいた。前後に引かなくて良かった。


   2025555555 八月さんじう(没)


 サバが活け造りになって玄関先にいる。猫が持ち去っていった。元々苦手なので興味ない。


   20:25八月31(タイヨー)


 台所におだいりさまがぶら下がっていた。

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