七月
二〇二五年七月一日(かようび)
早くもセミが鳴き始めている。ひときわ目立つのがいるなと思ったら、一本の街路樹にアブラゼミの茶色い翼を生やしたスーツのおじさんがとまっている。きらりとメガネを光らせて振り返って来たので目があった。すぐに部屋に逃げ帰る。
二〇二五年七月二日(水)
「みーんみみん」とベランダでおじさんが鳴いている。酒焼けしたような声で一晩中がなりたてられて眠れなかった。
二〇二五年七月三日(木)
サバのおそらくメスの方が、向かいの広場で着物の少女と猫たちに囲まれて蹴り回されているのを見た。
二〇二五年七月四日(金)
真夜中、久方ぶりに「早瀬翔太くん」がチャイムを鳴らしてきた。ドアを開けると消えてしまうので、ドア越しに「もうすぐ夏休みだね」と言うと「たすけてくださいうまっています」と言う。
二〇二五年七月五日(土)
玄関の表札が「二十三号」に変わっている。少し迷ったがそのままにしておいた。僕は二十三号なのかもしれない。
二〇二五年七月六日(日)
いつも一人だが、ここにいればさびしいことはない。
二〇二五年七月七日(げ)
七夕だ。自宅の座敷の真ん中に短冊が一枚置かれているのに気付く。「死亡ごいいことあり」と書いてある。死んだらどうなるのだろう。
二〇二五年七月八日(火)
アブラゼミのおじさんの死骸が共同玄関前に落ちている。嫌な匂いが立ち込めていた。大家がほうきで死がいを掃いている。
二〇二五年七月九日(水)
ゴミ出しをしていると、頭上から黒いゴミ袋を落とされる。見上げるとまた四階の踊り場に黒い影が立っている。急いで四階に駆け上がると、またお地蔵さんが一つ立っていた。
二〇二五年七月十日(木)
「おかあさん、ごめんなさい」と部屋の何処かから声がする。男の子の声だと思った。
二〇二五年七月十一日(金)
「あかりをつけましょ ぼんぼりに」とひな祭りの歌を歌いながら、広場で着物の少女が猫の手を取っている。
二〇二五年七月十二日(土)
大家が訪ねてくる。随分と深いクマのできた痩せ細った顔で「ここを出て行った方がいいです」と言われた。仕事もないのに何処に行けと言うのか? 僕はここが住みよいので、と断った。
二〇二五年七月十三日(日)
ドアポストに手紙が入っている。大家からだ。「お願いです」と書いてある。僕は河童の国に永住した方が幸せだと思っているので、何をそんなに心配するのかわからない。
二〇二五年七月十四日(月)
屋上のヘリに五人の人影を見た。みんな膝をついて首を前に突き出す様にしている。何をしているのか。
二〇二五年七月十五日(火)
また大家が尋ねて来る。「ここは呪われてるんです。あの人の口車に乗って、地鎮もせずにこのマンションを建ててしまったのです。私の家族も、このマンションに住んだ住人も、みんな少しずつおかしくなっていって……お祓いも何度も行いましたが駄目でした。もう埋まってしまっているし。だからあなたもおかしくなる前にここを出てください。物件なら私がより良いものを紹介しますから」と頭を下げられた。何が埋まっているというのか。でも気味が悪い事を言ってもダメだ。僕をここから立ち退かせる口車には乗らない。
二〇二五年七月十六日(水)
またチャイムが鳴った。また大家かと思いながら出てみると二足歩行の鯖が立っていた。思わず抱きしめたがヌメヌメとして生臭かった。
二〇二五年七月十七日(木)
共同玄関前で箒を掃いている大家を見つける。随分疲れている様子だった。こちらに背中を向けた時に、大家の背中に白いシールが貼られているのが見えた。「にんげんふごうかく」と書いてある。
二〇二五年七月十八日(金)
夕方、食料が尽きたので近所のスーパーに行った。やっぱりヒソヒソとみんなが僕の話をしている。生活用品を少しとカップ麺、半額になった弁当を一つ購入したが、家に帰ってからよく見ればプラスチック容器の隅に入っているのは鯖だった。誰にも見つからない様にこっそりと捨てた。
二〇二五年七月十九日(土)
顔を真っ赤にした鯖が出刃包丁を持って自宅前の廊下を行ったり来たりしている。昨日鯖を捨てたのがバレたらしい。
二〇二五年七月にじゅうにち()()
電子レンジの黒い扉に、赤い顔をした中年の男が天井からぶら下がっている姿が反射する事に気付く。肉眼で見ると見えないが、電子レンジにだけ反射して見える。
二〇二五年二十壱日(土)
午前中の記憶がない。座敷に立ち尽くして天井を見上げていた。ハッと我に帰った。
二〇二五年七月二十二日(火)
夏休みに入ったのか、青いTシャツに短パン姿の「早瀬翔太くん」が一日中マンションをうろうろしている。追いかけると消える。
二〇二五年七月二十さん日(水)
なんとなく四階に上がってみたら、さらに上の階へと続いた階段があった。このマンションは四階建ての筈だ。二度と戻れない気がしたので引き返す。
二〇二五年七月二十四日(もく)
共同玄関の壁に「人間だいすき」と張り紙がされている。
二〇二五年七月二十ご日(きん)
向かいの団地の暗い一室で何か揺れている。目を凝らしてみると浦部さんが首を吊っていた。見間違いだろうか? すぐに消えた。
二〇二五年七月二十六日(土)
起きてから昼食をとっているところまでの記憶が無い。気付けばテーブル一杯になるだけの駄菓子を貪り食っていた自分に気付く。
二〇二五年七月二十七日(ニチ)
座敷の黒いシミが随分と盛り上がって来ている。小学生の頃の夏休みに朝顔の観察日記をつけた事を思い出す。
二〇二五年七月二十八日(月)
キッチンで黒い人影を見る。家賃払ってくださいよ。と言うとスッと消えた。
二〇二五年しちがーつニジュッキュ日(夏)
共同玄関前の盛り塩が黒くなっていた。
二〇二五年七月三十日(水)
着物の少女が向かいの広場のフェンスに寄りかかってゴミ捨て場の清掃をする大家を猫の様な目で見ていた。獲物を狙う時の様に目が細まっていて恐ろしい。大家にはおかっぱあたまの少女が見えていないらしい。
二〇二五年七月三十一日(もく)
自転車のサドルが戻ってくる。
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