【二〇二八年〜二〇二九年調査レポート】

八月

二〇二八年八月一日


 生活な必要な最低限の荷解きだけを終えてから、外の空気でも吸おうと玄関先に出た。気付けばもう夕刻になっている。正面には夕日に照らされた団地がそびえていた。空虚な室内の全貌がありありとそこに見えていた。西陽に染められたカーテンの無い無数の室内が、ただ寂寥せきりょう感を漂わせている。

 ゾッとしながら煙草に火を灯した。

 折角俺も体当たり系怪談師になったので、何か変わった事があったらこのノートに記録していこうと思う。

 なに、片手間の暇つぶし程度の調査だ。折角ここに来たのだから。

 

   二〇二八年八月十五日

 

 このマンションで暮らす様になってから、二週間が過ぎていた。始めは曰く付きのマンションだからと何かと身構えていたものだが、慣れてしまうとただ古いだけで別段何かあるという訳でもない。期待し過ぎただろうか。

 強いて言うならば、このマンションの住人たちの顔ぶれが総じて暗いという事だろうか。ゴミ捨ての際に何人かと顔を合わせて挨拶したのだが、いずれの住人からも反応らしいものは何も返って来なかった。まるで俺がここに居るという事にすら気付いていない様にぼんやりとして、何処かうわのそらといった様相で一律している。入居時の挨拶周りをしなかったのがいけなかったのだろうか? それにこれは後日気付いたのだが、全員ゴミの収集日を無視して、てんでバラバラのゴミを袋に入れて出している。だからかこのマンションの周囲にはやたらに猫が多く、青いネットの下に潜り込んでゴミ袋を漁っている光景がよく見られた。

 あまり治安が良くはないのかもしれない。


   二〇二八年八月十七日


 このマンションの事を調べてみると、ネット上でも様々な噂が飛び交っている様だ。中でも二年半前に早瀬翔太くんとは別に男の飛び降り自殺があったという書き込みが目に付いた。調べてみたが真偽の程は定かではない。そして同年九月にも何処かの部屋で自然死なのか自殺なのか、人が死んだという事であった。こちらも記事にはなってはいない……しかし岡井の奴め、叩けば叩くほどに埃の立つ物件じゃないか。

 

   二〇二八年八月十八日


 間取り一番奥になるベランダに出る部屋に初めから備え付けられていた古い木製の机に蹴つまずいた時に、何か物音がする事に気が付いた。まだ物は仕舞い込んではいない。よく調べてみると、引き出しの下に小さな穴が空いている。ボールペンの芯を抜き出して穴に差し込んでみると、引き出しが二重底になっていたらしく、そこから一冊の日記帳が出てきた。この奇天烈な机の仕様は岡井の不動産屋でさえ把握していなかったという事か。

 日記を開いてみると、やはり前の住人による日記帳のようだった。日付は今から三年前の二〇二五年のもので、一月一日〜十一月までの日記が残されている。

 その内容がザッと見た感じでも……ひどく奇妙だ。

 これが前の住人の残した遺留品であるという事ならば、この曰く付きマンションで巻き起こっていた現象を知る事が出来るのではないだろうか。


   二〇二八年八月十九日


 昨日見つけた日記帳を読んだ。

 これはすごい。子どものような丸く大きな字で綴られているのだが、その内容が徐々に滅裂に、最終的には壊滅的に錯乱した様相のものになっている。ここには「早瀬翔太」くんや大家であった「早瀬恵美子」の事も記されていて、まだ謎も多かったが、このマンションの事を知るにはこの名も知らぬ男の記した日記帳の内容を解明していくのが最適解のように思えた。この日記帳の内容が真実ならば、このマンションでは確かに奇妙な現象が巻き起こっていたと言う事になる。

 これは大発見だ。

 やはりこのマンションに越して来たのは正解だったようだ。俺の中で何か怪異な現象が今この瞬間に始まったかの様な気さえする。


    二〇二八年八月二十日


 日記を何度も何度も熟読している。この男の見ていた世界……サバ、猫、座敷のシミ、祠、ベランダの影、着物の少女、スーツケースの老婆、壁に描かれた怪文書、河童、早瀬翔太くん、ハコ、大家の奇怪な言動、岐阜の祓い師……まだまだ奇怪な点は書き足りないが、俺がこの日記を客観的に観察した結果、このマンションの怪現象には何かストーリーがある気がする。

 特に俺がそう考えるキッカケとなったのは、早瀬翔太の繰り返す「埋まっています、助けてください」というその台詞だった。

 当時「101号室」に住んでいたという早瀬翔太くんの母親と思しき元大家――早瀬恵美子は何故か早瀬翔太くんの存在を拒絶するような反応を見せ、この「日記の男」の元を何度か訪れては「私の子じゃないですから」と言っていた。そして次第に弱っていった早瀬恵美子は十月に救急車で搬送されていって、その後のことは記されていない。

 加えて早瀬恵美子は、家賃を取らなかったり退去を勧めたり、お祓いを依頼したりと、罪滅ぼしかの様な言動をとっている。思えばその行動の地続きで、大家は半年前までこのマンションへの入居者を断り続けていたのではないだろうか? 

 それと日記の中で大家がこのマンションの地下に埋まっていると話していたのは何の事だろう?

 もしかしたらこのこのマンションで巻き起こっている怪異には、何か元凶となっているものがあるのではないだろうか?


   二〇二八年八月二十一日


 玄関を出ると、廊下の奥で扉を開け放ったままにした部屋が一つ目に飛び込んで来た。「306号室」だ。一瞬サバが出て来るのではないかと思い身構えてしまった自分に自嘲を禁じ得なかった。


   二〇二八年八月二十三日


「101号室」を訪れる事にした。当時の大家の早瀬恵美子の住んでいた部屋は日記によればここである。そんな事を確認する為に一階へと階段を降りていく途中、いい歳にもなって俺は何をしているのだろう、と途端に自嘲を禁じ得ない様な気持ちになって来て、廊下に差し掛かった所で足が止まった。しかし同時に怪談師として、その結果がどのようなものであれ、真偽を確かめなければならないという使命感もあった。少し逡巡した結果俺の足は――「101号室」の前まで出向いていた。そして「101号室」を見上げてみたのだが、そこに例の表札は掛かっていなかった。

 日記によれば家人の名が消された形跡のある早瀬恵美子の表札があった筈なのだ。それを目にすればあの日記の内容が真実であるという物的証拠になると俺は考えていたのだ……しかしよく考えてみれば、半年前に亡くなった時点で表札なんかは取り外すものだろう、と遅ればせながらに気が付いてくる。そんな事など少し考えればわかる事である筈なのにどうして気付かなかったのか。なんだかこのマンションに来てから思考がうまく纏まらない気がする。俺もあの「日記の男」の様に、おかしくなっていき始めているのだろうか? とそう怪談師らしく思考を纏めた所で、俺は踵を返した。


   二〇二八年八月二十五日


 自宅の座敷に、黒いシミが浮き出して来ていた。これは日記にあったものと同じだと思い大興奮して、何枚も写真を撮ったのだが、どう言う訳か写真には張り替えられた綺麗な畳が映り込むばかりである。しかし俺の目には見える。なんだこれは……


   二〇二八年八月二十六日


 考えてみれば今の大家である対馬眞子に聞いてみれば、妹の早瀬恵美子の家庭で何があったのか、少なくとも早瀬翔太くんの転落事故は確かな事であるとしても、義母や夫、その娘も亡くなってしまったと言う噂について、その真偽くらいは知っているのではないだろうかと思い至った。

 大家はここには住んでいないので、入居時に貰った資料に書いてあった電話番号へと問い合わせてみた。

「妹とは疎遠だったので何も知りません。市民病院に入院してからは意識も戻らなかったので」

 ただ一言そう告げられて、一方的に電話を切られた。


   二〇二八年八月二十九日


 仕事に行かなければならないのがもどかしい。図書館に行ってこの地にまつわる文献を調べたり、市役所に出向いて古地図を調べたり、土地や伝承についても調べたりして、このマンションについてもっともっと調べなければならないのに。


   二〇二八年九月一日

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