九月

 二〇二八年九月一日


 正直言って、精神科で看護師として長年勤務してきた俺の観点から言えば、「日記の男」の体感している世界は精神疾患による幻覚妄想の一言に片付けられる。――電磁波、テレビで自分のことを言っている、外の人間が全員自分を見ている、自分は天皇家の血筋である。統合失調症の特徴的な反応だ。不思議な事に全国津々浦々、どの統合失調症患者も似た様な妄想体験を語るのだ。

 と言うことでこの「日記の男」はおそらく統合失調症であると考えられる。そしてこの日記の内容にはおそらく、真実と虚構とが入り混じっていると考えられる。それは何故かと言うと、少なくともこの「日記の男」以外にもこのマンションで多くの人が怪異の体験をしている事。「日記の男」の語る日記の内容に事実とリンクする部分が多く見られる事などが挙げられる。

 つまり俺はこの日記に含まれた真実と虚構とを見極め、このマンションで何があったのかを明らかにし、そこに潜んだ怪異の元凶を明らかにしなけれなならない訳だ。


   二〇二八年九月三日


 しかし彼らは幸せなのだろう。俺よりも。


   二〇二八年九月六日


 廊下の奥から、ひたと言う素足で徘徊する様な足音が聞こえる。住人だろうか。深夜なのだが。


   二〇二八年九月八日


 近くの神社で買ってきたお札玄関上がってすぐの所に貼っておいた。まぁ、気休めだ。


   二〇二八年九月十日


 日記の中の情報と俺がここまで調べ上げてきた情報をここに纏めておく。

 ・早瀬恵美子の夫「早瀬文夫はやせふみお」は二十二年前、当時起業してまもない中小建設企業「安川建設」に頼み、住宅街の中の空き地であったこの土地に格安でマンションを建設した。日記に書いてある情報と照らし合わせるのなら、その際の地鎮は行われなかった様で、さらにこのマンションの地下には何かが埋まっているらしい。(ちなみに安川建設は十二年前に廃業となっている)

 ・早瀬文夫の亡くなった年は不明。同居していたと思われる義母も行方不明となったそうであるのだが、そちらの年代も不明。今から四年前となる二〇二四年には、おそらくまず先に早瀬翔太くんの妹が行方不明となり、同年息子の早瀬翔太くんが屋上から転落死している。早瀬恵美子は二〇二五年十月に救急搬送された後、今から半年前二〇二八年二月に市民病院の病床で息を引き取った。

 今はまだ見えて来ないが、上記にまとめた情報を元に、何か進展があればまたノートに記そうと思う。


   二〇二八年九月十二日


 深夜に郵便受けがバタンと開かれる音を聞く。


   二〇二八年九月十五日


 俺の部屋の前から、扉の開いた「306号室」へと粘液の様なものが続いているのに気付く。これはなんだろう。


   二〇二八年九月二十四日


 ふと思い立って、向かいの広場の一メートル程になった草を刈った。ホームセンターで買って来た手鎌で一週間もかかってしまった。夏であったら熱中症になっていただろう。初秋を待って正解だった。そして日記書いてあった祠は本当にあった。とても小さな、朽ち果てた祠だ。やはり日記の内容は現実ともリンクしているらしい。

 向かいの広場からマンションを見上げると、白い給水塔の建つマンションの屋上を望めた。屋上のヘリには手すりなどない。もし仮に早瀬翔太くんがこちら側に転落したのだとしたら、丁度この辺りに墜落するのではないだろうか?


   二〇二八年二十五日


 仕事に行くのが煩わしい。


   二〇二八年九月二十七日


 ゴミ捨て場に巨大なピンク色のスーツケースが捨ててあった。今日は粗大ゴミの日ではない。横を過ぎ去る時に、僅かに揺れた気がした。気のせいだ。

 あの日記を読み込み過ぎたのかも知れない。感化されている。


   二〇二八年九月三十日


 二人いる大家とはどういう事だろう。

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