三月


   二〇二五年三月一日(土)


 キッチンがどうにもタバコ臭い。僕はタバコなんて吸わない。換気扇を「強」にした。


   二〇二五年三月二日(日)


 上の階からドンドンを足踏みをする音がする。もう四、五時間こうしている気がする。眠れない。


   二〇二五年三月三日(月)


 夜中の二時、チャイムが鳴らされて目を覚ました。こんな時間に誰だろうと思ってドアスコープを覗いてみると、黄色の通学帽子を被った少年が俯いていた。ドアを開けると誰も居なかった。玄関先に袋に入ったリコーダーが一つ落ちていて「はやせしょうた」と書いてあった。


   二〇二五年三月四日(火)


 今日は特に何もない。


   二〇二五年三月五日(水)


「回覧板でーす」と玄関先から女性の声がするのでドアスコープを覗いてみるとサバだったから無視した。メスらしい。


   二〇二五年三月六日(木)


 バイトに行く時に広場でくるくる回っている振袖の少女を見る。仲間の猫たちも集まってきてくるくる回っていた。


   二〇二五年三月七日(金)


 自宅の鍵が別の鍵に替えられていて何度やっても回らない。「101号室」の大家を訪ねて事情を話した。髪の毛を後ろにまとめた白髪のおばさんが対応してくれた。表札に「早瀬恵美子」「●●祐●」「早瀬翔太」「早●●ず」と書いてあった。読み取れない部分は油性ペンでぐちゃぐちゃに塗り潰されている。


   二〇二五年三月八日(土)


 塩を手に入れたので四階のお地蔵さんの所に行ってふり掛けてきた。階段を降りていく時に「ぎゃああ」と小さな悲鳴が聞こえた。


   二〇二五年三月九日(日)


 またサバの弁当しか廃棄にならなかったが、食べるものも無かったので持ち帰った。サバは残そうかと思ったが、また捜しに来られても面倒だと思って我慢して食べようとしたが、身と皮の間に沢山の髪の毛が挟まっていてやっぱり駄目だった。


   二〇二五年三月十日(月)


 玄関先から「昨日あなたの捨てたサバです」と夜じゅう囁かれていた。やはりサバが来たらしい。今度は男の声だった。


   二〇二五年三月十一日(火)


 四階のお地蔵さんが消えてひな人形とおだいり様になっていた。


   二〇二五年三月十二日(水)


 サバが中腰になってドアポストから僕の部屋を覗いているところに出くわした。サバは廊下に立ち尽くした僕へと振り返ってきて、濁った目としばし見つめ合う。パタンとポストが閉められて、サバは悠然とした背中を見せながら「306号室」へと帰って行った。


   二〇二五年三月十三日(木)


「302号室」の浦部さんからまた封筒が届いていた。

「303号の女は、80才~以上なので、あと数年ぐらいと思います、最後なので、あなたの部屋の、男が、目的だと思います。なぜなら、あんだけ、ことわりつづけても、ひつこく、求愛するのがおかしいです。

気をつけないと、女の、おもいどおりのはこびになります。

だから、ぼくが、じゃまになってます、ぼくは、ここらへんが、

しおどきと思います、今のままつづきますと、自宅を出るかもしれません

その時は、報告します。こわいことです。

彼とはなれるのがさびしいです。」

 僕は一人暮らしなので他に男の人はいない。


   二〇二五年三月十四日(金)


 一階の掲示板に「最近ゴミの分別を守らない人がい〼」と張り紙がされている。その隣に新しくプリントされたゴミの分別表もあった。


・『燃えるごみ』

 月曜日、金曜日

・『燃えないごみ』

 水曜日

・『粗大ゴミ』

 第一木曜日

・『魚の首』

 第二木曜日

・『新聞、雑誌、ダンボール』

 第三木曜日

・『ビン、かん』

 第四木曜日

・『使えないヒト』

 第五木曜日(二〇二五年は一月、五月、七月、十月)

・『にんぎょう』

 第五金曜日(二〇二五年は一月、五月、八月、十月)


 いくつか知らない分別があって驚いた。


   二〇二五年三月十五日(土)


 夜中にまたチャイムが鳴らされて目を覚ました。ドアスコープ越しに覗くとやはり黄色の通学帽子を被った少年がうつむいている。「キミの家は一階だよ」と伝えたけれどまるで反応がない。前回の事もあるので無視したら「たすけてくださいここあけてください」と言って、その後一時間程ドアノブを捻られつづけた。


   二〇二五年三月十六日(日)


 上の階でまたドンドンと足踏みが始まったかと思ったら、いきなり五十人くらいに増えて家が揺れた。地震の様だった。


   二〇二五年三月十七日(月)


 バイト先の畑中さんに挙動不審だと言われた。マンションから近いので、いつサバが来るかわからないんです。と言うと首をひねられた。


   二〇二五年三月十八日(火)


 人一人が入るくらいのサイズの暗証番号付きのピンク色のスーツケースが自宅前に置かれている。動かすと中から「ヒャアア」と老婆の声がするが、暗証番号がわからない。とりあえず押し入れに置いておくしか無い。


   二〇二五年三月十九日(水)


 一日かけて芥川龍之介の「河童」を読み返した。主人公の二十三号が、他人から病人扱いされているみたいで悲しくなった。彼は本当に河童の国に行ったと言うのに。


   二〇二五年三月二十日(木)


 朝四時の「303号室」のお経で目を覚ます。よく聞いてみるとお経ではなく、「甲斐性なし」「人でなし」「グズ」「出来損ない」と気が滅入る様な単語を連発している。


   二〇二五年三月二十一日(金)


「306号室」が開け放たれている。覗いてみようかと迷っていると、銀色に光るサバの鼻先が突き出して来たので全力で逃げた。


   二〇二五年三月二十二日(土)


 息子さんの置いていったリコーダーを返そうと思い、一階の大家の元を訪ねた。しかし「はやせしょうた」なんて知らないと言う。表札には確かに「早瀬翔太」と「早瀬恵美子」と書いてある。他は塗り潰されているが。


   二〇二五年三月二十三日(日)


 誰かがうちのシャワーを浴びている。中年男性が痰を絡ませるのを聞いた。


   二〇二五年三月二十四日(月)


 玄関上がってすぐの所に、金色の立派な花器に入った百合の花束が置かれている。葬式用だろうか? 花器を包んだ薄茶色のラッピングに、僕の苗字が雑多に書かれたシールが貼ってある。


   二〇二五年三月二十五日(火)


 向かいにある無人の筈の団地の一室に電気が灯っているのを見た。カーテンもないので中が丸見えなのだが、その部屋だけ時間から切り取られたかの様に普通に一家が団らんしていた。


  二〇二五年三月二十六日(水)


 朝方、昨日電気の付いていた向かいの団地の一室を覗き込んで見るも、どこからどう見ても廃墟にしか思えない。


   二〇二五年三月二十七日(木)


 トイレをしていると、何処からか「ミャー」と聞こえた。「みけ」と呼んでみると便器のタンクの中から「ミャー」と声がした。タンクの蓋を持ち上げてみると、お札が沢山浮いていた。


   二〇二五年三月二十八日(金)


 バイト先で、僕の住んでいるところが幽霊マンションだと聞いた。あんなにいいところなのに。


   二〇二五年三月二十九日(土)


 一階の掲示板に「お地蔵さんに塩をかけないでください」と書いてあった。申し訳ない。


   二〇二五年三月三十日(日)


 一階にある共同ポストの「306号室」の所に「カツオです」と書いてある。ウソをついている。


   二〇二五年三月三十一日(月)


 家の壁を外からトントンと小突いて、僕の部屋を一周していく者がいる。天井からも左右の壁からもする。どうやっているのだろう。

 

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