大阪府北河内の河童のいるマンションについて

渦目のらりく

片寄大輝

一月

   【片寄大輝】


    二○二五年一月一日(水)


 何日か前のもえるゴミの日に、マンションのゴミ捨て場で日記帳をひろった。一度も使用された形跡ないまっさらな状態だったので、せっかくだから一月一日から一年間、日記をつけてみることにした。一つの事を長くつづけられたことのない僕だが、やりとげられたらすこしの自信になる気がした。


   二○二五年一月二日(木)


 世の中はまだお正月。テレビ番組は面白いものばかりでうれしいが、めでたそうにした人々のにぎわしいライブ中継など見ると少し気が滅入る。自分はこの落ちぶれた生活から抜け出せないでいるのに、世の中の人には明るい未来があるような気がしてしまう。


   二○二五年一月三日(金)


 バイト先の人たちがお正月休みに入っているので、連日コンビニのバイトに入っている。近所なので歩いて行く。僕のバイト歴はまだ二か月くらいで夜勤担当だ。その方が給料も高くなるのでそれでいい。だけど誤算だった。近所のスーパーが休みだから、意外に忙しい。廃棄の弁当を二つ持って帰った。


   二○二五年一月四日(土)


 ゴミ捨て場が一月三日まで休みだったので、たくさん溜まったゴミ袋をバイト明けに出した。マンションの共用玄関を出た先にあるゴミ捨て区画の青いネットをカラスが器用にめくり上げながらゴミをついばんでいた。僕のゴミ袋にはプラスチックしか入っていない。


   二○二五年一月五日(日)


 一階にある共同ポストに郵便物が詰め込まれていた。一通くらい年賀状が入っているかなと思ったけれど、全部どうでもいいチラシだった。


   二○二五年一月六日(月)


 お正月休みは今日で終わりらしい。テレビ番組も華やかなムードから通常のものへと戻りつつある。帰省ラッシュというので世間は今日も賑わしいらしい。テレビでやっていた。玄関先の洗濯機を回してベランダに干してから、僕は今日もコンビニに夜勤に行く。


   二○二五年一月七日(火)


 昨日夜勤のバイトに出勤する時に、僕の部屋から二つ奥の「306号室」の扉が開け放たれたままになっているのを見た。明け方帰ってきてもまだ開いていた。時折ある事だった。廃棄になった鮭の弁当を貰って帰った。魚はあまり好きじゃないが、これしか廃棄にならなかったので仕方がない。


   二○二五年一月八日(水)


 今日はバイトが休みだった。日がない一日テレビを見て過ごした。


   二○二五年一月九日(木)

 

 明け方、隣の「303号室」からお経が聞こえて来るので目が覚めた。しかしうちのマンションは鉄筋コンクリートだった筈だから、結構な声量だ。時刻を見ると朝四時だった。水を飲んでからまた眠った。

 

   二○二五年一月十日(金)


 日用品の買い出しに、自転車に乗って近くのドラッグストアとスーパーに向かった。買い物を終えると、僕の自転車のサドルがなくなっていた。仕方が無いので立ちこぎのまま帰った。明日になったらサドルが戻っていたらいいな。


   二○二五年一月十一日(土)


 昨晩、夜勤に行く時にまた「306号室」の扉が開け放たれていた。翌朝帰宅してもまだ空いている。家主が換気しているのだろうか? 僕はこのマンションには昨年の暮れに入居したばかりであいさつ回りもしてないので、どんな人が住んでいるのかわからない。


   二○二五年一月十二日(日)


 ゴミ捨て場の塀の上から黒猫が僕を見下ろしていた。「ミャー」と鳴くのでなんだと思うと、カラスに荒らされたゴミ袋から飛び出したのか、古い文庫本が一冊アスファルトに投げ出されている。猫に拾えと言われた気がして持ち帰った。古くて薄い本だった。見ると芥川龍之介の「河童」だった。


   二○二五年一月十三日(月)


 芥川龍之介の「河童」が面白い。主人公である二十三号は、本当に河童の国に行ったのだろうか? それとも全てが彼の妄想なのだろうか。


   二○二五年一月十四日(火)


 夜勤に行く時に「3」と書かれた向かいにある団地が無人である事にいまさら気が付いた。確かにひび割れたアスファルトの所々から草が生えていて、ずらりと並んだ無数の部屋にはどれもカーテンがなく、月明かりにぼうっと照らされている。ベランダの手すりに猫が座って目を光らせていた。


   二○二五年一月十五日(水)


 久しぶりに自転車に乗ろうと駐輪場に向かったけど、サドルはないままだった。自転車で出かけるのをあきらめて芥川龍之介の「河童」を読んだ。


   二○二五年一月十六日(木)


 真ん中の座敷の隅に黒い大きなシミがある事に気が付いた。丁度人間程もある大きなものだが、今日まで何故気付かなかったのかと言うと、入居した当時から置かれたままになっている木枠のベッドの下敷きになっていたからだった。少し模様替えをしようと思った際に発見してしまった。このシミは何だろう? 


   二○二五年一月十七日(金)


 夜ベッドで眠っていると、襖で仕切ったキッチンの方から男の咳払いが聞こえた気がした。襖の向こうを覗く勇気は無かった。朝四時になると「303号室」からお経が聞こえ始めて、また目が覚めてしまう。


   二○二五年一月十八日(土)


 昼中、ギィと音を立てて玄関扉のドアポストが押し上げられる物音がした。見に行くが、何も入っていない。


   二○二五年一月十九日(日)


 廊下の蛍光灯が切れていたり、点滅していたりする。少し気味が悪い。点滅する廊下を見渡していると、一瞬光った廊下の奥で、開きっぱなしになった「306号室」の前に立ち尽くす黒い人影を見た。住人だろう。


   二○二五年一月二十日(月)


 バイト先でよく一緒になる畑中さんから、最近顔がやつれてきたと言われた。口下手な僕は返す言葉に困って。芥川龍之介の「河童」が面白いですよ、と伝えた。畑中さんは奇妙そうな顔をして僕から目をそらした。


   二○二五年一月二十一日(火)


 朝方、帰宅するとまた「306号室」の扉が開いていた。昨日の事もあるので思い切って玄関の中を覗き込むと、所狭しとゴミが詰め込まれていて、奥に見えるテーブルでダウンジャケットを着込んだおじさんがガタガタ震えながらビールを飲んでいた。やっぱりただの換気だったらしい。


   二○二五年一月二十二日(水)


 またドアポストを押し上げられた。急いで覗きに行くとパタンと玄関のドアポストが締められて、廊下を走り去っていく足音がした。のぞかれている。


   二○二五年一月二十三日(木)


 夜勤から自宅のマンションに帰って来ると、頭上から黒いゴミ袋が目の前に落ちて来た。見上げてみると、最上階の四階の階段の踊り場に、手すりに寄りかかる黒い人影が立っていた。朝日を受けているのに、真っ黒だったのが不思議だ。


   二○二五年一月二十四日(金)

 

 また「306号室」が空いている。灰色の猫が入っていったので気になって見に行ってみると、おじさんは退去したのか、家具も何も無くなって今度はもぬけの殻になっていた。もう引っ越してしまったらしい。靴さえ無い。


   二◯二五年一月二十五日(土)


 今日は弁当の売れ行きが良く、廃棄になったのはサバの弁当一つだった。僕は少し迷いながらも、お米が付いているからいいかと思って持ち帰って、サバ以外のところを食べた。サバは苦手だ。


   二〇二五年一月二十六日(日)


 一階の共同ポストの壁に管理人からの貼り紙があった。一面白のガランとした壁に、チラシの裏を利用した手書きのメモで「入居者募集してます。家主 早瀬090-××××-◯◯◯◯」とあって、その隣に「収集日以外にゴミを出さないでください」とあった。隣にはプリントされたゴミ収集日が貼られている。


・『燃えるごみ』

 月曜日、金曜日

・『燃えないごみ』

 水曜日

・『粗大ゴミ』

 第一木曜日

・『新聞、雑誌、ダンボール』

 第三木曜日

・『ビン、かん』

 第四木曜日


   二〇二五年一月二十七日(月)


 日記はいつも一番奥の部屋に初めから置かれていた机の上に投げ出していたのだが、よーく探してみると面白い隠し場所を見つけた。これなら誰にも見つからない。どうしてかわからないが日記はここにあるべきな気がする。これで誰にも見つからない。これは僕だけの秘密の日記帳だ。スパイ映画みたいでカッコいい。


   二〇二五年一月二十八日(火)


 今日は特に何もない。


   二〇二五年一月二十九日(水)


 一階にある共同ポストに一通の茶封筒が入っていた。封筒には「302号室です。おやじには見せてはなりません。読み終わったらすぐにすてて下さい。」と手書きで書いてある。

「当分の間、今、住んでいるところ

から出たほうがよい出す。

身の危検があってからでは、おそいから、わかった、ぜったいにそうしなさい。

302号」

 と書いてあった。最近誰かがうちのドアポストを押し上げる事と関係あるだろうか。


 二〇二五年一月三十日(木)


 サドルはまだ戻っていない。


 二〇二五年一月三十一日(金)


 ベランダに誰か立っているから洗濯物が干せなかった。

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