第32話 帰りたい……あの腕の中に……
繋いだ手はいつの間にか指を絡ませた恋人繋ぎになっていて、二人は夜の繁華街をその余韻に浸りながら幸せそうに歩いていた。
えっ!……
だがその余韻を切り裂くような思念が
……
一瞬だけ、百合愛の寂しそうな顔を感じた気がして優しく声をかける。
「大丈夫?……」
「えっ? なに? 楽しいよ」
見上げた顔に曇りのない笑顔を見せた百合愛。
気のせいか?……いや……
と、勘違いに終わらせずに確かめる。
「ね、俺たちの間は……伝わるから……」
ある程度の以心伝心の感覚もまだ健在だ。だとしたら今のは?……
「ううん。……少し怖いだけ。人は幸せの絶頂が一番不幸を考えてしまうって聞いた事ある。失いたくなくて。多分今のはそういう事。それだけ今が幸せ。深優人くんは?」
「もちろん。じゃあ俺も。今が一番幸せで、そして怖い」
「フフッ、何だか変」
繋いだ手を解き、
「ああ、超怖い!」
「フフフフ、も~、普通に言って!」
その後も話しが途切れること無く二人の時間が流れてゆく。
*
その間、
……私にとって『あの日の約束』を交わした、正に私の存在理由そのものの人。それが奪われていくであろう瞬間に立ち合うこと、それがこれほどの苦痛とは思わなかった……
澄美怜にとってそれはまるで大事に育てあげた愛という名の子供を目の前で殺されてゆく―――そんな様子を縛り付けで見せられる程の激しい苦しみ。
―――小6のあの日……私が黒い恨みの感情を暴走させて自我を失って狂ってしまい、壁をイスで叩き続け破壊しまくった。
止めようと抗う母さんすら傷付け、危うく致命打になりそうな所へ帰ってきた兄さんが楯となって両手を広げた。
: + ゜゜ +: 。 .。: +
「ダメだよ、良く見て。僕は誰?」
「はっ……兄……さん……私……何を……」
「そうだよ、君の兄さんだよ」
その背後には頭から血を流す母とメチャクチャになった壁、無数の破片が散乱する部屋。
「お母さん!」
驚きの余りパニックで発狂しかかる
「僕を見てっ!」
「私の……兄さん……あああ……うわああああ……やだよ……こんな私……もうイヤッ……ねえ、もう消えたい、やっぱり消えてもいい?」
「だめ。落ち着いて。ほら、こうすれば大丈夫。受け取って。癒やしの力……」
そう言って優しく腕全体で
「ああ……ここが……この腕の中だけが……私の居場所……約束の日の……私の兄さん」
「僕は中学に入って帰りが遅い日もあるけど、良い子にして待ってれば必ず戻るから大丈夫なんだよ。信じてくれるね」
「ごめんなさい……良い子にする……」
: + ゜゜ +: 。 .。: +
―――それは今は通じない。
戻ってもきっと心が別の場所にある。
そしていずれ私は捨てられるに決まってる―――
回想から戻る
兄さんは私をずっと守ると言ってくれた。私が死ぬなら共に死ぬとまで言ってくれた。……だから消えずに生きてく事を選んだのに。
あの約束はもう終わったの? それも予告も無しに。
……そう、きっとそうだよね。
だって守るなんて、そんなの嘘。誰かのモノになったらこんな私のこと見守り続けられる訳ない!
結ばれる以外方法なんて無かったのに!
でも妹にその可能性なんて最初から無かったっ! 期待してた私がバカだった。
だから妹なんて嫌だったんだよ! もう何もかも嘘! 兄さんの嘘つき!
兄さんなんかっっ!
お兄なんか大嫌いだ――――――っっっ!
……うう……グスッ……うううう……
ふああああぁ……ごめんなさい……好き……好きだよ……大好きなんだよ兄さん……
今まで一度も約束を破らなかった。世界一優しくしてくれた。ズズッ……
嘘じゃないよね? 信じて良いよね?……
でも、妹じゃ守ってもらい続ける可能性がもう見えないよぉ。どうしたら信じて行けるの?
助けてよ……お願い! 信じさせてよ兄さん!
………………グスッ
……戻りたい……子供の頃に。そしたらお姉ちゃんとも一緒に居られる。兄さんも分かちあえる……
でも今は二人とも失うんだ……
ああ、もう無理。気が狂いそう。兄さん、あなたなら……こんな時どうしますか?
―――澄美怜は3年前の兄の姿を思い出した。
『トリスタンとイゾルデ、愛の死』 それをあの引き裂かれて絶望していた頃によく聴いていたのを目にした。
暗くした部屋の片隅で余りによく聴いていたからどんなものか尋ねた事があった。
膝を抱え遠い目をして兄は、
『絶望か、希望か……ひたすら亡き最愛を想って悶絶死してゆく曲』
とだけ答えた。
『悶絶死?……何それ、そんな事って。……そんなのばっか聴いてるとおかしくなっちゃうよ。……私が陽のあたる所に連れ出してあげたい……』
余りにも思い詰める兄にその命の危険を感じ、それゆえ一人にさせない為に無理にお節介を続けた
だが逆の立場になった今の
……兄さんもこんな苦しみの中にずっと居たんだね。良く耐えられたね。凄いよ。でもやっぱり弱い自分にはたった今日これだけでもう限界だ。
きっとまた発作が来る……
それで病院やら破壊やらでまた大迷惑をかけ続けるなら、そうなる前にやはり自ら消えた方が皆のため……
でもそうするなら
そうだ、彼を道連れに一緒に死ねたら……
「はっ…… 私ってなんて事! 」
ちらとでも思い浮かんだ事が恥ずかしくて堪らなかった。よく愛憎のもつれの殺傷沙汰の二ュースを『ホントあり得ない』 と軽蔑の目で見ていた。
その痴情がまさか自分の中にも在ろうとは。
<妹道その2>
兄の快活を何よりも願う兄最優先主義
兄へも見返りを求めない愛をそそぐ
自分に立てたモットー。その誇りまで自ら粉々にしてしまった。何が有ろうと今まで最優先で守ってくれた兄。
世界一優しくしてくれたその人を守れないどころか、こともあろうか手にかけるような想像を―――
あまりの情けなさに泣けてくる。その愛らしい瞳から大粒の涙が溢れた。
……本当にゴメンナサイ、兄さん……愛してます。こんなおかしい子だけど本当に愛してるんです……二度とこんなこと……。
でもこの愛する気持ちを捨てなければならないとしたら、それはこんなにも……こんなにも残酷だったんだね。
一度ハッキリ拒まれて、なのに単なる妹に戻りきれてもいない…
この日、澄美怜は愛の絶望を知った。
……私にとって唯一無二の人とわかっていながら
恋心を拒絶され、それは遠いところへ奪われてゆく
なのに優しくされ、嫌いにもさせて貰えず
自分を棄てる事も許されず、捨いに来てもくれず
距離だけ近くに居させられ、
忘れさせてももらえない
この地獄の中で……
只々この気持が干からびるのを貝のように閉じこもって待つしかないんだ………
兄さんも百合愛さんもこんなのを3年も……
―――途方に暮れ、もはや病みきった廃人になりかかる。
その顔からは完全に生気が失われ、闇落ちした瞳からは光も消えている。 掻きむしった頭髪は乱れたままでただ呆け続け、今晩自分を保てるのかさえ分からなかった。
『やっぱり……もう消えたい……』
暗い部屋でベッドに座った状態から死んだ様にバタリと横に倒れ込む。目の前にはコンソールの上にペン立て。
虚ろに淀んだ目が捉えたその中のカッターナイフ。
吸い込まれるようにその手が伸びて行く。
『みんな……ゴメンネ……』
するとその隣に放置されたスマホが目に入る。伸ばした手が宙で止まり、暫く焦点も合わずにある違和感のためにボンヤリとそれを眺めた。
違和感の正体は少し前に入っていたメッセの通知ランプが光っていたからだと気付く。伸ばした手でスマホを取り上げ確認すると、それは兄からだった。
▶▶ 公演前、早めに到着して先に食事出来たから、遅くなって皆が心配しない様にこのまますぐ帰るから
▶▶ 会場のネクストカミング予告に澄美怜の好きなアニメのフルオーケストラの演奏のが有ったからパンフ持って帰るよ。結構良さげ。もし興味あったら一緒に行こうな。
▶▶ パンフ画像
「にい……さん……はううっ……うくっ―――」
失った光が再び瞳にともり、潤み、瞬きも忘れられ、小刻みに肩を震わせる。
だらし無く半開きになっているそれからは、途切れる事なく液体がただダラダラと流れ続ける。
……以前、私に伏せて薊さんとデ-トした時に嫉妬に狂ってムチャな告白、なんて事もあったから、もしかして気を遣ってくれたのかも知れない。
だとしても今回のデートの最中に、その頭の片隅にほんの僅かでも私のこと考えてくれてた。
まだ捨てられてなかった……
更に両の目から感謝、そして惨めさが新たな筋となって
『私って……ホント何やってんだろ……』
そして、自らが作り出した拷問の牢獄が一瞬にして瓦解し、体中を拘束していた異常な緊張が解かれていった。
でももう届かないのかな、
届けちゃいけないのかな……
帰りたい……
あの腕の中に……
全力で自分を責め立て続け、疲れ果てた澄美怜。
メッセに返信すら出来ずに辛うじて安堵の表情を取り戻す。
そんな状態で夜中までさめざめと泣き続け、こんな自分の情けなさを呪い続けた。
そうして幾度も溜め息と涙を繰り返し、垂れ流し続けている内にそのまま眠りに落ちた。
拭われる事なくびしょ濡れになった想いを枕にして――――
**
この日、隣の部屋では蘭が壁に耳を当て続けていた。
何かあったら1階の親へと直ぐに伝えられる様にし、親へも今日だけは特に厳重に見守るように伝えてあった。
夕食時から鬱々とした姉に全員腫れ物に触るように気遣いしていた。
食後、
やがてすすり泣きが聞こえ始める。
『お姉ちゃん……』
胸が張り裂けそうになる蘭。壁を挟んで共に涙を流した。
蘭のスマホにも11時過ぎに到着予定とのメッセが兄から入った。9時閉幕から直帰でも電車と徒歩で2時間だった。蘭は気を利かせ、帰宅してもそっとしてあげて欲しいと返した。
鼻をすする音は夜中まで続いたが、結局蘭は、それが止むまで眠らずに見守り続けていた。
音が止んだ。 少しドキリとする蘭。
蘭はスマホの明かりを頼りに真っ暗な部屋に忍び込んで自棄行為を起こしていないか確かめ、無事を見届け胸を撫で下ろす。
ベッドの上では、びしょ濡れの枕の上で大好きな姉の疲れ果てた横顔が微かに寝息を立てていた。
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