第29話* 百合愛の記念日とオワコン澄美怜 妹のままでいさせて②



 そして夜のとばりは二人を載せた小舟を 


 やさしく闇にかくまってゆく――――




  : + ゜゜ +: 。 .。: + ゜ ゜゜




 

 震える細い肩。―――その最後の響きの余韻が消える前から、百合愛ゆりあは涙を流していた。


 何故なら百合愛ゆりあの中の曲想はまるで今の自分の境遇そのものを表している様に思えたから。

 だからこそ激しい喜びの感情に襲われた。


 ――――その理由。



「私にも……見えた……月夜、海、水面の煌めき……深優人みゆとくんと同じように……」




 そしてそれはただ見えたのではなく、もはや完全にそこに同化していた。持っていたハンカチをそっと百合愛ゆりあの頬に当てる深優人みゆと


「そっか。良かった……同じで。なんか嬉しいな」


「ありがとう。スッゴク気に入った、この曲。記念日、ささやかな……ううん、遥かにそれ以上の記念日になったよ。この気持ち、今最高に高まってる。……深優人みゆとくんは?」


「もちろん俺も」


 それなら!! ―――― 期待で胸が熱くて止まらない。


 互いの瞳は潤んだまま捉えてもう離れない。瞳孔の更にその奥まで射抜くほど見つめ合う。百合愛ゆりあは目を静かに閉じた。


 二人は長い時と距離を乗り越えて、遂に幸せな気持ちで顔を重ねた。


 最初は全ての優しさを持ち寄り合って、そっと。


 そして逢えずに堰き止められていた想いは決壊し、この数年を取り返さんばかりに激しく、そして気の済むまで唇を奪い合い、そして抱擁した。


 悲しい思い出が新しい思い出となって上書きされた。 そしてこれがどんな結果となって行くのかを百合愛ゆりあだけが勘づいていた。


 顔を離した直後、百合愛はまるで熱病にかかって力尽きたように脱力して深優人みゆとの肩に持たれかかかる。

 果てた情熱はやがて安らぎへと落ちついて行き、満足げに溜め息をついて深優人みゆとの胸に顔をうずめた。


 そのまま止め忘れていたオーディオからは次のプレイリスト曲『マーラーのアダージェット』が二人を優しく祝福するかの様に、ただ静かに流れ続けていた。


 幸福感で埋め尽くされ、時間ときの静止したこの部屋で、百合愛は一生この日を忘れないだろうと確信した。




▼マ―ラー交響曲 第5番 第4楽章

「アダージェット」

https://youtu.be/Fvb1ITRFXhc?si=si0R90BbXuwTwDMO





  **





―――その頃。澄美怜すみれの部屋では。



『スミレ、俺、ずっと隠してきた事がある』


『お兄ちゃん、急にどうしたの?』


『スミレのこと、好きなんだ!』


『待って! でも私達兄妹だよ』


『だけどもう自分に嘘をつけないんだ……一度でいい。キスしたい』


 壁ドンッ


『……ダメだよ、そしたら私…』


『一度だけでも!』


『ダメ! 兄さんお願い……このままで』


『一度だけ!』


 アゴクイ、


『イヤッ! ――― “ 妹のままでいさせて!”』


『もうムリ!』


『あっダメ! ンッ!』


 ……


『スミレ。ずっと……こうしたかった……

 ゴメン……ありがとう』


『……そんな……私だってずっとガマンしてたのに……こんな風になるなら妹になんか生まれたくなかった!……もうこの気持ち止められないよ。どうするつもり?』


『……世間の誰を敵に回そうとも、それでもずっと好きでいる。キミの為に生きる!』


『……深優人みゆと兄さんがそんなに言うなら、私も!………』


……そして幸せになる―――


      ―――〈fin〉




『……』 シ――――ン……




 はぁ――っ…… ああ虚しい。


 こんな妄想、中学生までは何通りでも作れたし浸れたのに……現実とほぼ逆設定だからかな……でも私だって妄想の時ぐらい求められたいし……


 チョイおこ顔で不満げにその愛らしい頬をプィッと膨らませる。


 ……以前だったら私の遊び相手をしてくれてた休日のこの時間、お兄ちゃんは居ない。


 はぁ……好きだよ、お兄ちゃん……。お兄ちゃん、好きです。好きなの、深優人みゆとさん……深優人! 好きだよ!……深優人くん……兄さん……お兄、しゅき。

……好き、好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き―――――――――――――――――っっ!!……


 ふぅ……あと何千回か想えばこの気持ち、届くかな……な~んて。ふふ。



 絶対に届きっこない。



 だって今まで何万回とそう呼んだのに届かなかったし。でも持て余した時間はこんな事に使ってしまう……ううう……。



 深優人みゆとのベッドで兄の枕を抱く澄美怜すみれ


 おにいなんか、もうこうしてやる! と枕をハムッ、ハムッ、ハムッ、ハムッ、とあま噛みの嵐。



[ ▼挿絵 ]

https://kakuyomu.jp/users/kei-star/news/16818093087880653046



 そしてバフッと顔を埋めた。


 ……確かにお兄ちゃんとの遠ざけ合いは解決したけど、『寸止め妹』状態の振り出しに戻されて、そのくせ恋愛感情だけは日々順調に育ち続けてしまってる。


 薊さんの時もそうだったけどきっと今回も焦る対象があるせいなんだろうな……



―――その後の澄美怜は最悪だった。



 帰って来た兄と廊下で出くわす。すれ違い様につい兄の匂いをかいでしまうのはもう無意識レベルなのだが、人一倍嗅覚の鋭い澄美怜すみれにはハッキリ分かってしまう。

 百合愛ゆりあのシャンプーなのか香水なのかその覚えのある香気を感じ、嫉妬で呼吸さえ忘れる。


 いつもの堂々巡りが始まり、早々に部屋へ逃げ込んで頭を抱えた。


 う~、兄に恋してる妹なんて、結局ここでジ・エンドって事なんだよね。でもだからって好きな気持ちを簡単に止めるなんて出来ないよ……


 現在、澄美怜すみれは、男女パートナーを否定され、そして自らも妹志願状態。このまま全てを諦める前に出来ることは無いのか―――


 恒例の悪足掻きが始まる。


「そもそも恋愛やら結婚なんて無ければ、この妹というポジションは最高にして至高な筈なんだよね……」


 ……そうだよ! うちみたいにシスコンな兄ならずっと仲良くしてられるハズだし近くに居られる。もしちょっとくらい仲違いしたところでその縁は一生切れてしまう事も無いし!!


 そう、妹・最強っ!!


「もう結婚なんて古い! そんなのオワコン終ったコンテンツだ――――っ!! 」




 シ――――――ン…………………………

 うぐっ……




 くぅ~っ……結局自分が一番恋したいクセしてその対象にして貰えなくなった途端、オワコンだって事にしてつい逃げ場を探してしまう……

 いや逃げ場なんかじゃない! だってこんなに結婚が急減してる世の中、きっと理由がある……かも……有って下さい……



 結局いつもの悪癖・ネット検索で逃げ口上を漁り始めてしまう。無駄にハイスペックな愛用のノートPCをマウスも使わずこれまた見事なショートカットキー操作だけで恐ろしく流麗に操る。


 全くもって見事なヲタクそのものであるが自覚はない。 何とも研ぎ澄まされたデジタルスキルだ。


 カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ……パンッッ


 そんなオワコンを叫ぶ巷の声は―――――


○嫁とか彼女とかはムダな必要経費

○結婚は別れた時に男に不利

○つき合うと男の負担大

○結婚後も尻にしかれる


「こんなの真実が通じ合うあの二人が耳貸すような話じゃない! こうじゃなくてお兄ちゃんがずっと恋人を求めない人生へと誘導出来ないかなぁ? 」


 ……もし独身を選べばずっと一緒にいられるし、シスコンなら大事にもしてくれる。私の望みはお兄ちゃんの心の中を独占したい。いつも私の事を考えていて欲しい


「ん? オカシイ……」


 ……別に恋人でもないのに結構いつも私のこと考えてくれているかも。まあ百合愛ゆりあさんはもう別格として……


 う~ん、じゃあ何が不満? やっぱり抱きしめ合ったり、キスしたりデートとか旅行とか? イヤ違う!


―――妹はいずれ恋人や結婚相手の前に没っして行く。お兄ちゃんに見放されたら私は消えてしまう。


 ……待てよ、てことは今後ずっと一緒に居られれば別に妹だって不満はない。……って、そんな妹なんてあるわけないか。



「あーもうなんだかな―、……いや、こうなったらもっと掘り下げてですねー…… 」


 カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ、


 ッパシィィィィッッ―――― 。


 神技の如き目にも留まらぬキー操作。enterキーを華麗にはじき終わると、ピアニストの如くしなやかに跳ねそよいだ美しい指が頬まで舞い上がる。

 そのかるた取りの如きキレに加えバレリーナばりの優雅な手捌きは見るものがいれば最高に絵になるが、単なるボッチでここまでヲタクだと無駄に可愛い女子の無駄に流麗なだけの動作である。


『ン?!』


『恋愛より幸福度が高い現代人の生き方と現代式恋愛論』


 思わず身を乗り出し、ムム、これは必見! と、目を皿にしてモニターの角度を微調整する。






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