第38話 これはまるで自分と逆ですね




 翌朝―――


 いつもの待ち合わせ場所で深優人みゆと澄美怜すみれを待つ百合愛ゆりあ。だが予想外の人物が永遠園家の玄関から小走りして近づいてきた。


「あら、蘭ちゃんおはよう」


「百合愛お姉ちゃん、きのう大変な事が有って、今日は先に行って下さいって」


 緊迫感のある声音で顔が曇っている。


「どうかしたの?」


 泣きそうに眉を寄せて、それが……と、知ってる範囲で伝える蘭。


「大変! どこの病院なの?」



  *



 その午後、百合愛ゆりあは急いで学校から帰り、病院に駆けつけた。


 受付で教わった部屋番号を頼りに辿り着くもドアは開いており、誰もいない。すると、通り掛かりの看護師が「永遠園さんなら集中治療室に行かれてます」との事、即座にそちらへ向かうと治療室の手前の待合ホールのベンチにうな垂れる深優人みゆとの姿が。



 声をかけると生気を失った顔を持ち上げた。


百合愛ゆりあちゃん……」


 ただならぬ形相。ベンチへ腰掛け寄り添いながら経緯を聞く百合愛ゆりあ

 その状況を聞かされ驚くが、何を言ってあげたら良いか分からない。


 ショックで青ざめる深優人みゆとを励まそうとするが、どうしても言葉が出ない。


 聞けば脇腹の裂傷の縫合は首尾よく行われ成功しているという。しかし内臓まで到達している損傷度、そして今だ意識も回復しておらず、状態が安定するまで集中治療室での対応だと言う。

 激しくぶつけた腰や頭部の精密検査を終え、戻ったところらしい。


 深優人みゆとはそれら長時間の付き添いと、澄美怜すみれを守りきれなかったショックのあまり激しく憔悴していた。普段なら言わない弱音をボロボロ吐き始めた。


「俺のせいであいつの将来が……どうして守れなかったんだ……」


 深優人みゆと澄美怜すみれに対して何か神から授かったものの様に思っていた。

 それは自らの前世のトラウマに対し、『大切な物を失わずに守り抜く』というやり直しの機会を与えて貰えた存在として。しかし――――


「ずっと、ずっと……託されて、大事にしてきたのに……只でさえ、他人ひとから預かった……特別な……」


 血縁の真実を知り、それは神からと言うより、父母からやり直しの運命を与えられ、妹を大切にしなさい、と預けられたような気持ちに変わっていたが故に発せられた言葉だった。



「―― ひと? 預かった?……それって?……どういう……? 」


 普段なら慎重に言葉を選ぶ深優人みゆと。後の影響を色々考えてしまう性格の筈が、その疲労に加え、話せる人が唯一心を開いている百合愛ゆりあだったせいか、つい聞かれるままに話してしまう。

―――全ての真実を知ってしまう百合愛ゆりあ




 ……それなら、深優人くんが選ぶのは……




 硬直する百合愛。しかし直ぐに気丈にも、



 ……なら今後、自分がすべき事は? 彼と澄美怜ちゃんにしてあげられることは?……



 その慎ましやかな唇を固く噤みしめた。


 しかし深優人みゆとはいつ迄も自分を責め続けた。百合愛ゆりあを前にして涙を隠そうともせず。 百合愛はただ何も言わず深優人みゆとの背に手を当て、一緒に泣いてあげることしか出来なかった。



  *



 かなり時間を要したが百合愛ゆりあの寄り添いも奏功し、自分を取り戻した深優人みゆと

 もう遅いから、と彼女を送る気遣いを見せたが、『まだ一人で帰れる時間だから』と遠慮した。


「深優人くんも体壊さない様にね、あと澄美怜すみれちゃんの意識が戻ったらお見舞いしたいから何か変化あれば教えてね……会えないのは寂しいけどそっちが大事だから頑張ってね。何か手伝えることがあったら何でも言ってね」


そう言って病院を後にした。




◆◇◆


入院2日目の事――――


 家族交代での澄美怜すみれの看病。その美しい寝顔をじっと見つめ続けていた深優人。


 長い睫毛がピクリと動き、少し眩しそうにゆっくりと瞳を開いた。


澄美怜すみれ!!」


 すると何やら不思議そうにこちらを見てふと放った言葉に耳を疑った。


「あなたは……誰ですか」


「―――澄美……怜……?」


「それが私の名前なのですか? ちょっと……思い出せません」


 総毛立つ深優人みゆと。だか自分が狼狽うろたえてはだめだ、と冷静を装いゆっくりと語り掛ける。


「ゆっくりでいいよ。君はある事でショックを受けてる。よく休んでから思い出せばいい」


 キョトリと首を傾げる澄美怜すみれ。その顔は愛らしいままだ。


「父さん母さんにも目覚めた事、伝えるから。直ぐに来るから安心して」


「それは……どんな人ですか? 」


 と無表情に問われ、事態の深刻さが見えてくる。


「頭とか、脇腹は痛くない?」

「今はそんなには」


「君は刃物で深手を負っているから暫くは動かない方がいい。とにかく無理はしないで」


 そう言って休ませる。色々思い出せてから話をした方が良いと判断した。


「私に何があったのですか? 体以外は……気分が悪いとかは無いので話しなら出来ますし聞けるので教えてもらえますか?」


 深優人は掻いつまんでまず事件の事を話した。それ以外は記憶がどこからどこまで欠落しているのか分かってから話した方がいいと判断した。


 聞けば、日常使う言葉やある程度の感情があり、人間関係などがよく思い出せないという。


「あなたに対して家族の様な暖かさ、そして強く慕っている様な感じがします。でも見たところとても若く、夫ではない様に見えます。 兄妹……いや、それとも違う……もしかして恋人とか、ですか? あなたを見ると何かそのような感情だけが感じられるのです」


「あ……う……その……」


「でも何かそれをすごい力で……無理に気持ちを押さえつけてる様でもあるのです」


 深優人みゆとはあまりにやる瀬無く、泣きたくなってうつむいた。どうにも言葉を失くし沈黙が続くと、そこへ医師を伴い一家総出で入室して来た。


澄美怜すみれ!」 「お姉ちゃん!」


 即座に医師による現況報告、手術の予後について説明された。やがて心配そうに見つめる妹・蘭の存在に気付いた澄美怜が、


「あれ、この人どっかで見た様な」


 そう言って首を傾げる。その場に一瞬希望が差す。


「―――あれは?……私?……ですか?」


 打ちひしがれる一家全員。記憶は相当混乱している様だ。


 思わず、お姉ちゃん……と洩らし、言葉を失う蘭。


 ……妹なのですね、と伏し目がちになる澄美怜すみれ


 ところで、と機転を利かせた医師が割り込んで、君、傷は痛む? と確認する。


「それは大丈夫ですが、それよりも下半身が……動かないんです」


 この追い討ちに家族の皆が蒼ざめる。


「先の検査では運動神経は傷付いていなかったようだから、一時的なショック症状かも知れませんね。ま、腰や頭などに打撲が認められるから次回は脳を含め、より精密な検査をしてみましょう」


 家族全員のメンタルを考慮し、医師が悲観的な空気を打ち消す。そしてあまり長い負担は良くないから、と一旦休息させる事になった。



  **



 翌日――――


 更なる精密検査を受け、診断の結果が出る。下半身については、やはり外傷的要因ではなさそうだという。脳についても大きな損傷が見つからない事から、そのダメージから来るものでない可能性が仄めかされた。

 説明を受けた家族達に希望が差し込む。



 それを受け、記憶の回復の為に出来るあれこれを試す事になり、まずは記憶の断片である小さい頃からのアルバムを両親が持参した。


 幼少期からの記録を淡々と眺める澄美怜すみれ。しかしメンタル世界に生きて来たこの娘にとって、外界の記憶にはさしたる反応が無かった。


 そこで、本人が気に入っていた『妹もの』のアニメを提案、やたら見せたがっていたあの頃とはうって変わり、淡々とした様子で視聴する澄美怜すみれ

 妹という自覚のない今は興味も薄く、たまにコメディシーンにクスッとする位であった。


 そこで思い入れの強かったアニメの視聴を提案した深優人みゆと。好きな物で刺激を与えられたら何かしら思い出すのでは? ―――と選んだのは二人の大好きな感動作『V・E・G』だった。


 あの涙腺を崩壊させたシーンらに時折りホロリとする澄美怜すみれ。しかしどことなく他人事のような感じで、


「これはまるで自分と逆ですね。感情以外があって感情を得てゆく話なのですね。

……私には感情が有って他があまり無い……それを得て行かないと……ですね」


「……何か思い出せる事は?」



[ ▼挿絵 ]

https://kakuyomu.jp/users/kei-star/news/16818093088379417542



「え……ええ……何か、言いたくて堪らないのに許されない……それを言うと切なくて泣きたくなる様な……やはり何かを強く追い求めている様な感情しか湧きません」


 余りに思い当たるものが。深優人みゆとは思わず微かに眉根を寄せて顔を伏せる。


 大好きなアニメでも上手くは行かなかった。硬直する空気。そんな苦々しい周囲の心中を察知した澄美怜。逆に僅かに微笑んでこう言った。


「でも記憶が一部なくてもそれって普通です。だって人間てよく忘れるし。ある人との記憶の全てを思い出せなくても、その前後の一部の思い出だけで人は生きてる。

 そのとき相手も自分もそれを許して生きてますよね。だから今、あなたは私を他人ではなく、その澄美怜すみれとして見てくれています。

 だったら私は澄美怜すみれです。記憶喪失前の私だってきっと人間関係の全てを思い出せたわけじゃない。今の私はその時より少し多くの事を忘れてるだけです」


―――その言葉には優しい気遣いと、何か説得力を感じた。その上で深優人みゆとの方を強い眼差しで見つめてこう言った。


「そして私はあなたが好きです。その感情だけは覚えているのです。よっぽど強かったのでしょうか?

 だから以前の私が慕っていたあなたとしてこの関係を継続してくれたら心強いというか……嬉しいです。そしたら私は今後多くを思い出せなかったとしても安心できます」


 そうして作り笑いする澄美怜すみれ


「それに、何か好きな人を改めてもう一度知り合っていくなんて、一度で二度オイシイ、みたいな。……これってオトクですよね」


 ……この重い空気をこの子は変えてくれようとしている。ホントは自分が遣るべきなのに……


 そう逡巡する深優人みゆとは切なくもぎこちない愛想笑いで返した。しかしそれも見抜かれて、


「悲しまないで下さい。あなたも私の全ては覚えておらず、何かしら忘れてるのにあなたはあなたとして私に関わろうとしてます。同じ事だと思いませんか」






< continue to next time >


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る