四章④

 ついぞ晴と話すタイミングを得られないまま、一日が過ぎた。

 移動教室の際など、話しかける機会はないかとうかがっていたものの、彼女は常に通りすがりの生徒たちの注目の的であり、夜花にもその渦中に飛び込む勇気はなかった。

 そんな状況が変わったのは、放課後になってから。

 夜花が知佳とともに教室を出ようとした、まさにその矢先だった。


「あ、あの……!」

 背後から、切羽詰まったような声をかけられて、夜花は足を止めた。

 朝に続いて、二度目の『聞かなかったことにしたい案件』だが、周囲の視線がこちらに向くのを感じる。ここで夜花が無視をしたら、夜花が彼女をいじめているととられかねない。

「なに?」

 振り返ると予想どおり、すぐ後ろに意を決した表情で晴が立っている。


「その、わたし、坂木さんに話がある……から、あの、一緒にきてくれ、ませんか……?」

 晴の口調はしどろもどろで、語尾に近づくにつれて声も小さくなっていく。

(今ここで声かけてくるの!?)

 放課後になったばかりで、教室にはまだクラスメイトが大勢残っている。これではいい見せ物になってしまう。

 一瞬、わざと夜花を巻き込もうとしているのかと疑う。

 だが、自信なさそうに目を泳がせ始めた彼女に、他意はなさそうだった。ただ、声をかけ慣れていないだけか。


「夜花」

 隣の知佳が、興味と心配とを含んだ声で夜花を呼ぶ。

 ここでやたら時間をかけて人目につくほうが、のちのち面倒になる。夜花は観念して、うなずいた。

「わかった。じゃあ、小澄さん。場所を変えない?」

「え、あ、うん」

「知佳、先に帰ってていいよ」

「了解」

 そうして夜花は知佳と別れ、晴とともに廊下に出る。できるかぎり、注がれる視線を気にしないように、夜花は人気のないほうへどんどん進んだ。


「あ、あの、坂木さん。瑞李も来てくれるっていうから、先に合流……してもいい?」

 斜め後ろをついてくる晴が、途中、そんなことを言う。

「……いいけど。合流って、どこで? まさか正門前とか言わないよね……?」

 夜花が訊ねると、晴は口を噤んでやや困惑する素振りを見せた。そのまさかだったらしい。

「ご、ごめんなさい! わたし、こういうの、本当によくわからなくて……瑞李には裏門のほうに来てもらうから、それならいい?」

 わたわたと慌てた様子でスマホを取り出し、電話をかける晴。まるきり挙動不審だ。

 夜花のほうも一応、千歳に連絡を入れる。スマホのメッセージアプリを開き、晴と話すことになった旨と、場所は裏門近くの人気の少ない場所になるであろうことを手短に入力し、送信した。すぐに既読はつかなかったが、そのうち見てもらえるはずだ。

 瑞李への連絡がついたようなので、夜花は晴とともに今度は裏門を目指して歩き出す。


「小澄さんは、社城のお屋敷に住むことにしたの?」

 移動中、夜花の問いに、晴はどこかほっとした顔で首肯した。

「う、うん。そうなの。瑞李が全部、手配してくれて……」

「よく家族が許可してくれたね」

 そう返したのは、単純な興味だった。夜花は両親を亡くし、社城家が大好きな祖母と二人暮らしなので居を移すのもスムーズだったけれど、普通そうはいかないだろう。

 一般的な家庭なら、女子高生が急に親元を離れて他人と暮らすといえば、まず難色を示すはず。


(小澄さんの家は、ごくごく一般的な幸せそうな家だった記憶があるし)

 親しくはなかったが、晴とは同じ幼稚園の、同じクラスに在籍していた。その頃の記憶を手繰り寄せたかぎりでは、晴の家は両親が揃い、愛のある、まったくもって人並みな家庭だったと思う。夜花もまたそうであったように。


「あ……うん。でも、わたしはずっとあの家を出たかったから」

 晴の曇った表情が、彼女が家庭になにか問題を抱えていることを物語る。

(意外)

 言い方からして、屋敷に移り住む件は、晴の家族より晴本人の意向が尊重されたのだ。

(でも……そっか。そうだよね。現状に満足していたら、夢であの水を呑むことは選ばないのかも)

 もしかしたら、そういう葛藤を抱えた人間にこそ、あの異境と人境のあわいの管理人は選択を迫るのかもしれない。


 会話を交わすうち、二人は裏門に到着した。

 すでに社城家の自動車がそばに停車しており、そのかたわらに瑞李が立っているのが見える。

 彼の姿が視界に入るなり、晴は「瑞李!」と名を呼びながら駆け出した。そうして飛びついた彼女を、瑞李は危なげなくしっかりと受け止め、二人は軽く抱き合う。

 まるで長いこと離れ離れになっていた恋人同士のよう。


「あ、俺が最後か」

 内心呆れて立ち尽くしていた夜花の背後から、のんびりとした声がする。振り返ると、千歳が近づいてくるところだった。

「千歳くん」

 思わず、夜花は歓喜に目を潤ませてしまう。あの二人と二対一で話すことにならなくて本当によかった、と心の底から安堵が湧いてくる。

「メッセージ見て、助っ人が必要かと思って」

「必要! すっごく必要! ありがとう」

「ははは。熱烈すぎ」


 千歳の得意げな顔が頼もしい。やはり、頼りになる人だ。伊達に不老不死を自称していない。

 夜花は強力な味方を得て、あらためて晴と対峙することになった。

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