三章①「乙女心を弄ばれた。呪い、許すまじ」

 夜花は午後の暑い盛りの田舎道を、千歳と二人、自転車を押しつつ、ぽつぽつと歩いていた。

 遠くの林のほうから蝉の鳴き声が聞こえ、あたりに漂うのは土と草の匂い、周囲の田畑は見渡すかぎり青々としている。いかにも、田舎の夏らしい光景だ。

 向かっているのは、夜花の祖母の家である。これから社城家で暮らすにあたって、荷物を取りに行く途中だった。


(たった一日なのに、小澄さん、だいぶ印象が変わってたな……)

 歩きながら、ついさっき見かけた晴の姿を思い出す。

 彼女は和装だった。薄物だろうか、爽やかな水色の地に柳と金魚の柄が涼しげな着物をまとい、セミロングの黒髪を風鈴のモチーフの簪で結って。薄く化粧をしているようで、普段の彼女よりも少し大人っぽく、垢ぬけて見えた。

 瑞李といかにも仲睦まじそうに、談笑していたのも普段の彼女からすると珍しい。

 彼女の変貌ぶりは、金鵄のつがいに選ばれたからか、まれびとになったからか。


「夜花、どうかした?」

 黙り込んで思案していた夜花の顔を、心配そうに千歳が覗き込んでくる。

 年下の男の子に心配をかけてどうする。夜花は自分に呆れつつ、慌てて首を左右に振った。

「ううん。……そうだ、ごめんね。千歳くんの家に住むって勝手に決めちゃって」

「ああ、そんなこと。かまわないよ。どうせ、俺と松だけの寂しい二人暮らしだし。むしろ、あんたのほうが嫌じゃないの? 男しかいない家に住むなんて」

「嫌じゃないよ。千歳くんも松さんも親切だし、おうちの雰囲気も落ち着けるし……」

 母屋のほうは広すぎて、住むには大変そうだ。

 母と暮らしていたのはアパートだったし、祖母の家も平屋であまり広くはない。小さな家のほうが夜花の性に合っている。とは、失礼なので口にはしないけれど。


「そっか」

 でも、口にせずとも、千歳はすべてを見透かすような瞳で微笑む。

 昨日から、気になっていた。彼のまとう空気にどこか大人びた――否、老成したものを感じることが。

 朝、青年に嫌みを言われていたときも、まるで子どものわがままを「仕方のない子だな」と苦笑して眺めている大人のような態度だった。

 しかしよほどの大物かと思いきや、序列はなし。それどころか、落ちこぼれとさえ呼ばれている始末。

(外見はどう見ても中学生だけど……謎だ)


 そうして会話をしながら、暑い中、歩くこと数十分。

 二人は、夜花の祖母の家に到着した。自転車を玄関の横に停め、夜花は千歳とともに中に入る。

 鶴はちょうど仏間から出てくるところだった。どうせまた、朝から仏壇の前で過ごしていたのだろう。

「……おばあちゃん、ただいま」

「なんだ、もう帰ってきたのかい」

 この言い草である。連絡を入れずに外泊した孫娘の心配など、少しもしていなかったようだ。さっそく嘆息してしまう。

 しかし、そんな夜花をよそに、千歳が余裕たっぷりの笑みを湛え、背後からひょっこりと顔を出した。


「こんにちは。お邪魔してます」

「誰だい? 男は社城の人間以外、お断りだよ」

 中学生の客人に対しても、鶴は容赦がない。だが、この時ばかりは相手が悪かった。千歳の笑みが深くなったのを見て、夜花は内心「あ、腹黒い」と察する。

「社城千歳といいます、はじめまして」

「……なんだって?」


 人の目の色が変わる瞬間、というものを、夜花は初めて目の当たりにした。

 いつも孫が帰宅しても立ち上がりもしない鶴が、ぱっと身を翻し、御年七十とは思えないしっかりした足取りでこちらに寄ってくる。

「いくつだい?」

「一応、中学一年です」

「ふうん……序列は?」

「それはまあ、残念ながら」

 のらりくらりとした返答をする千歳を、品定めするがごとくまじまじと眺める鶴。異様な光景だが、夜花は恥ずかしくてたまらない。

 相手は子どもだ。だが、だからといって礼儀を欠いていいわけではない。祖母の態度は千歳に対してあまりに不躾だった。


「ちょっと、おばあちゃんやめてよ。千歳くんに失礼なこと言うの」

「なんだい。あんた、そのために連れてきたんじゃないのかい。……ちょっと待ってな、今、茶を淹れるから」

 夜花の反応などまるで気にせず、鶴は台所に去っていく。夜花はその場に蹲った。

「夜花?」

「ごめん……失礼なおばあちゃんで、本当にごめんね……」

 情けなさで涙が出そうだった。こんな身内がいるなんて、恥以外のなにものでもない。心配そうな声をかけてくる千歳に、夜花は謝ることしかできなかった。

「夜花、大丈夫。俺は気にしてないよ。あのくらい、たいしたことないから」

 千歳は柔らかい声で言い、蹲った夜花の丸まった背を、ぽんぽん、と宥めるように叩く。彼の中学生らしからぬ器の大きさに、ますます泣きそうだ。


 鶴に呼ばれ、夜花と千歳は居間のちゃぶ台につく。腰を下ろしてすぐ、夜花は本題を切り出した。

「おばあちゃん。大事な話がある」

「言ってみな」

 鶴はさして興味もなさそうに、茶をすすりながら先をうながす。

「――私、社城のお屋敷に住むことになったから」

 まさに、喜色満面。湯呑をちゃぶ台に置いた鶴は、無関心そうな顔から、夜花が今まで見たことのないようなうれしそうな顔になった。

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