二章⑩

   ◇◆◇


 煙たい和室で、千歳は貞左に向き合う。

 夜花をあまり長い時間放っておくわけにもいかないので、「で」とさっそく会話を切り出した。

「なに? 用件は手短にお願いしたいんだけど」

「彼女がまれびとだというなら、君にとっての……救いの鍵になるって認識で間違いない?」

 貞左は千歳の要望に応えるように、ずばり、核心をついてくる。

 やはりその話だったか。千歳は軽く息を吐き、「さてね」と返した。

「まだわからない。そうだったらいいと思うけど、そうじゃないかもしれない。ただ、可能性は高いと思ってる」


 今年、千歳がこの時期にこの屋敷にいたのはまったくの偶然だった。

 二十四年に一度、六年間にわたって行われる社城家の『家督継承の儀』。通称『継承戦』と呼ばれるそれは、序列入りしている社城家の若き術師たちが、次期当主の座をかけて争う儀式だ。

 七月四日――今年、旧暦で五月末日の前日のあたる昨晩は、序列者たちが屋敷に集い、いわば継承戦の前夜祭とも呼べる宴会が盛大に行われるはずだった。

 序列に入る権利を持たない千歳は意図的に、この日、この屋敷に滞在することを避けていたのだが。


(うっかりしてたんだよな……)

 今回にかぎって、どういうわけか失念していた。

 今年の三月にいつもの放浪から屋敷に戻り、すぐに継承戦の始まる年だと気づいて、また放浪に出かけようとしたが時すでに遅し。

 目の前の男に、屋敷に留まり、宴会に出てほしいなどと無茶ぶりをされ、末席にて参加するはめになった。

 次世代を担う序列者たちはまだ若く、千歳の正体を知らない。

 三月にひょっこり現れた、序列に入れない落ちこぼれの社城の縁者。彼らの千歳に対する認識はその程度で、昨晩は「なぜお前が宴会にいるのか」という視線がそれはもう、痛かった。

 しかし、そうして無理をして宴会に参加した結果、イレギュラーは起こった。


 貞左は浮かべていたニヤニヤ笑いを引っ込め、また物憂げな表情に戻って煙管の煙を吸い込む。

「まさか同時に二人のまれびとが現れるとはねえ……前例はないんだろう?」

「俺の知るかぎりでは、ない」

「あーあ、よりにもよってどうして、俺なんかが当主のときにそんな面倒そうなことが起きたんだか」

 貞左の途方に暮れたような声音に、千歳は多少同情する。もし自分が彼の立場だったら、同じようにはた迷惑だと頭を抱えただろうから。


 社城家の当主はきっかり二十四年で交代する。就任から十二年後に『継承戦』を行い、残りの十二年のうち六年をかけて次期当主を決め、もう六年で引き継ぎをし、次へとバトンタッチするのだ。

 二十四年も当主をしていれば、不測の事態にも無論、遭遇する。だが、まれびとが二人同時に現れるなどという異例中の異例は、特に難儀な部類だろう。

 千歳がその場に居合わせたのも含め、なにか、人智の及ばない作為的なものを感じる。


「まあ、頑張れ」

 千歳は適当な励ましの言葉を口にした。

「他人事だと思って、いけしゃあしゃあと。こうなったら徹底的に君を巻き込んでやろうか」

「……もし、彼女が『鍵』なら、どうせ勝手にそうなる」

 目を伏せ、感情を押し隠してから、千歳はまた目線を正面に戻す。

 片鱗はすでにある。あのトンネルで、夜花の言葉に従って霊たちの動きが止まったように見えた。あれが彼女の力なのだとしたら、まれびとの中でも普通ではない。

 抑え込まないと、蓋が開いてしまいそうだった。期待、希望がいっぱいに詰まった箱の蓋が。もし蓋が開いて、期待や希望が溢れ出したらきっと最後に残るのは絶望だ。パンドラの箱とはそっくり真逆に。


(でも、本当に夜花がそうだったら、俺はあの子を利用することになるんだな……)

 あの、ごく普通の『いい子』を自分のために利用する。胸に、ちりりと痛みが走った。

 いや、今さらだ。胸を痛ませる資格なんてない。さっきからずっと、自分は夜花をそばに引き留めようとしている。それこそ、利己的な思惑の表れなのだから。

 千歳は小さな笑みを貞左に向けた。


「大丈夫、あんたはちゃんと当主できてるよ。だから、この事態も乗り越えられる。息子たちも序列一位と四位で将来有望だし」

「そりゃどーも。で、君の呪いのことはいつ話す?」

「長く隠しておくつもりはない。明日ちょうど新月だし、一緒に暮らしたらバレるのも時間の問題だから」

 そろそろいいだろう。千歳は話を打ち切って、立ち上がる。そうして、襖に手をかけて出ていこうとしたとき、貞左がぽつり、と呟いた。


「君の呪い――いや、祝福が無事に解けることを、俺も祈ってるよ」

 千歳は彼の言葉を素直に受け取ることにして、振り返って、破顔する。

「ありがとな」

 襖を開け、真昼の日差しに照らされた廊下へと千歳は一歩、踏み出した。

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