二章⑨
「わかりました。お世話になります」
「ふうん?」
あっさりとした簡潔な返事が意外だったのか、貞左は目を瞬かせる。
「……家なんて、雨風をしのげればどこも同じですから」
どこに寝泊まりしても所詮は他人の家。祖母の家だろうが、社城家だろうが、夜花はどうせ間借りするだけの居候で、立場は変わらない。
貞左は夜花の言葉に少し気の毒そうな顔をした。けれど、すぐにまたどうでもよさそうな表情に戻る。
「そ。ちなみに、この母屋と千歳きゅんの離れ、どっちがいい?」
「……千歳くんの家で」
「じゃあ、決まりだ。ただ、君がまれびとであることは、今のうちはまだ伏せておきたい。君の身分は社城家に住み込みで働く、術師見習いってことにしこう」
貞左の言葉に、夜花の心の中でセンサーがぴくり、と反応する。
「住み込みで、働く?」
「ああ、そんなに重く考えなくていい。この屋敷で暮らして、たまーに千歳きゅんや、序列者たちの仕事を手伝ってもらうだけ。手伝いも、専門的なことじゃなく適当な雑用でいいし」
「なるほど、雑用係というか助手というか……?」
「そうそう。呑みこみが早いね。基本的な護衛――『護り手』は千歳きゅんに任せるよ」
隣をうかがうと、千歳は腕を組み、「ふむ」となにやら考え込んでいた。
「当主、俺が護り手でいいのか? 自分で言うのもなんだけど、力量不足で俺には荷が重くないか」
ややあって、千歳が顔を上げて問う。貞左は眉を跳ね上げた。
「本気で言ってんの? 千歳きゅんほどの適任はいないでしょー。力量なんて十分だし経験も豊富、かつ、当の序列者たちには侮られてるから、妙な勘ぐりも受けない」
「経験ねぇ……」
千歳はそれきり口を噤む。代わりに、夜花は再び貞左に視線を戻し、発言した。
「質問なんですが、その見習いの仕事って、お給料出るんですか?」
一番大事なのはここである。
夜花は今、学校近くの飲食店でアルバイトをしている。時給は九百五十円、基本週三日、六時間の勤務だ。扶養から抜けないように、と考えてももう少し余裕はあるが、勉強に支障が出るので抑えている。
ああ、と貞左は宙を見つめた。
「さすが、管理人に質問した子は違うね。ええと、君、アルバイトしてるんだっけ。……それだと、うーん、ちょっと困るな。アルバイト中の警護は難しいし、できればうちにいる時間を長くしてほしいからさー。そだ、今のアルバイト辞めてこっちに来てくれたら、扶養から外れないギリギリいっぱいの額を給金として支払う。これでどう?」
「いいんですか!?」
夜花は思わず、身を乗り出してしまう。
正直、平日の学校終わりに十六時から二十二時まで働き、帰宅してから授業の予習復習をするのは体力的にきつい。それでいて、稼げるのはだいたい年に八十万程度。
今のアルバイトにそこまでこだわりがあるわけでもなし、辞めることで年収が上がるならこんなにありがたいことはない。
「ま、こっちからお願いしてることなんでね。君はまれびとだから、最高待遇は当たり前。もちろんうちに生活費も入れなくていいし、仕事量の多寡も君が決めていい。もし働くのが嫌なら金だけ寄越せってのもアリ」
こんな上手い話があっていいのかと一瞬、疑念が頭をよぎるが、しかし、このまま逃すのはあまりに惜しい。
夜花が葛藤していた時間はごくわずかだった。
「私、その仕事やります!」
「おいおい、そんな簡単に……」
窘める千歳の声は遠い。慎重になったほうがいいのは重々承知している。それでも夜花にとってわりのいい仕事は、喉から手が出るほど掴みたいものなのだ。
なぜなら、たくさん金が貯めなくてはならないから。
守銭奴でもなんでもいい。高校生のうちにできるかぎりの貯金をしたい。そして早く――自分の足で立つのだ。
「じゃ、決まりだな」
貞左は笑みを湛えたまま、煙管をくわえる。
「千歳きゅん、まれびとさまがこう仰せだ。君にも君のうさちゃんたちにも働いてもらうぞお。これまでのんべんだらりと暮らしてたツケってことで、ひとつよろしく」
「……わかったよ」
大きく息を吐き、あきらめたように千歳はうなずいた。
「さて、この件はこれでおしまい。まれびとさまはちょっと部屋の外で待って、千歳きゅんは残ってねー」
貞左がお開きの旨を告げ、夜花は彼に「これからよろしくお願いします」とだけ言い残し、ほくほくと部屋をあとにする。
はじめはどうなるかと思ったけれど、終わってみればなんでもない。
単に住処が変わるだけで済んだうえに、わりのいい仕事も手に入った。夜花からすると、いいことづくめだ。
襖を開けて廊下に出ると、斗鬼が待機していた。
「お話は終わりましたか?」
「はい。千歳くんはもう少しかかりそうですが。……あの、お手洗いをお借りしてもいいですか」
夜花が訊ねると、斗鬼はうなずく。
「はい、どうぞ。ではわたくしめが、千歳さまに言伝ておきます。場所はおわかりですか?」
「はい。ありがとうございます」
場所は宴会のときに覚えたので問題ない。ここからでも迷わずいけるだろう。
(ささっと行ってこよう)
千歳を待たせては悪い。
夜花は目的地につくなり、手を洗ったり、身だしなみを整えたりと手早く用を済ませて、早々にその場をあとにした。
来た道をひとり戻りながら、夜花は内心で笑ってしまう。
(こういうとき、物語の世界だったら厄介な人にばったり会っちゃったりするんだよね)
そんなことを考えていたからか。
廊下の曲がり角を折れた矢先、前方を、見知った少女が青年と連れ立って歩いている後ろ姿が見えた。
「――小澄さん」
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