二章⑧
そうして、そのやたらと煙たい部屋にすべて納得する。
(ああ、確かにこれは堅苦しいのが苦手な人ね……)
床の間を背にどっかりと座り込んでいる男性は、予想に反することなく『イケオジ』に類する風貌ではある。いや、もしかしすると『ちょい悪オヤジ』のほうかもしれない。
乱れ気味の癖毛に、無精ひげの生えた、彫が深めの鼻筋の通った顔。まとった着流しはだらしなく崩れている。
だらりとひじ掛けにもたれかかって、ぷかぷかと煙管をふかしており、夜花たちが入室しても、体勢をあらためる素振りさえ見せない。
しかし、斗鬼も千歳もそのことについて指摘しない。これが平常運転なのだろうか。
「そこ、適当に座っといて」
斗鬼が外から襖を閉め、室内に三人だけになると、当主はいかにもやる気なさそうに夜花たちに着席を促す。
夜花は遠慮がちに用意された座布団の上に腰を下ろし、千歳は躊躇なくいきなり座布団の上に胡坐をかいた。
「あー、なんだ。俺が五十三代当主の社城
そんな自己紹介があるか! とツッコみたくなるような、極めていい加減な当主の名乗りに、夜花は呆気にとられっぱなしだ。
これが当主とは、やはり騙されているのでは? という疑いすら湧いてくる。外見から言動まで、あまりに胡散臭い。
「坂木……夜花、です。その、初めまして……?」
「どうも、初めまして。面倒だし、単刀直入に訊くけど」
半開きの眠たそうな目で貞左は眼球だけを動かし、夜花に視線を寄越した。空虚な瞳だ。けだるげであるという以外にはなんの感情も読み取れない。温度のない目だった。
「君、まれびとなんだって?」
肺の奥まで深く煙管をひと吸いし、煙を吐き出す貞左。世間話でもしているかのごとき軽さである。「君、高校生なんだって?」に質問を変えても同じテンションになるだろう。それくらい、どうでもよさそうな訊き方だった。
「はあ、そうみたいです……?」
自覚らしい自覚が怪異が視えるようになったくらいしかない夜花には、そうとしか答えようがない。夜花をまれびとだと言っているのはあくまで千歳ひとりだけ。夜花自身には確かめる術がない。
「んー、まあ、言われてみればそんな雰囲気もしないでもない……か?」
貞左は空虚な瞳で、ぼーっと夜花を見つめてから、首を捻って言う。
なぜ語尾に疑問符をつけるのか。当主なら社城家がもてなす役目を負うというまれびとについて詳しいはずだし、不安になるのでもっとはっきりと断じてほしいのだが。
夜花の内心を察してか、貞左は億劫そうにのろのろとした動きで頭を掻いて、口を開く。
「俺はさあ、当主としちゃ、劣等生なわけよ。赤点ギリギリ、落第ギリギリ。器じゃないわけ。だから、君くらいかすかなまれびとの気配なんて、まず感知できないの。千歳きゅんのアンテナは高性能すぎ」
「はあ……」
いきなり始まったぼやきに、夜花は反応に困ってしまう。千歳はといえば、呆れたように半眼になっていた。
いや、千歳『きゅん』などと呼ばれて怒っているのかも。
「ただねえ、千歳きゅんが嘘吐く理由なんてないからさ、ひとまず君もまれびとだってことで俺は認識しとくわ。見たんでしょ、異境と人境のあわいの管理人を」
「異境と人境のあわい……の、管理人?」
「あー、そう、こう、変な木のある変な空間? で、そこにいる変な格好の男のことなんだけど」
なるほど、夜花の見たあの夢の場所は『異境と人境のあわい』というらしい。そして、あそこにいた青年がその管理人であると。
夜花は理解して、うなずいた。
「見ました。ええと、ずるずるっとした神さまみたいな服装の人で、水が入った金色の杯を差し出してきて……その水を呑んだらどうなるんですか? って訊いたらまれびとになるって言われて、呑みました」
「うん? 君、管理人に質問したの?」
「はい。しました」
「この水を呑んだらどうなるかって?」
「はい」
なにかいけなかったか、と怯みながら夜花が肯定した途端、貞左はぶはっ、と大きく噴き出す。
「あはははは、管理人に大真面目にそんな質問するなんて、わははは、ありえねえー!! あっひゃっひゃっひゃ! うえ、ごほ、げほ」
突然、噎せるほどに腹を抱えて笑い出した貞左。咳きこんでもなお、わはは、と笑い続けている。
夜花は困惑して、隣の千歳にこっそり質問した。
「私、変なこと言ったかな?」
「変なことっていうか、……まあ、変な空間にいる変な男に、真正面から『この水呑んだらどうなるのか』なんて訊くやつ、そういないだろ」
答えつつ、千歳までも堪えきれずに噴き出す。
(そんなに変なことじゃないと思うんだけどな。だって変なものだったら呑むの嫌だし)
そういえば、あの青年も夜花が問うたら意外そうに目を瞬かせていた。
貞左はひーひーいいながらひとしきり笑い、しばらくしてどうにか笑いをおさめると、肩で息をして、夜花に向き直る。
「ともかくだ、君はまれびとになった。なったからには、いろんなやつから狙われる。それは聞いてるよね?」
「……はい」
実感がないながらも、夜花は小さくうなずいた。
「できれば、小澄晴さんと同様、君の身柄もうちで保護したい。君にもうちで暮らしてもらう」
千歳の話を聞いたときから、なんとなくこうなる予感はしていた。まれびとを守りたいなら、屋敷で保護するのが一番手っ取り早い。素人の夜花でも容易に想像はつく。
夜花は、躊躇いなく答えを出した。
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