二章②

「は……? え、ごめん、もう一度言ってくれない?」

「だから。今朝早く屋敷にあんたのばあちゃんから電話があって、学校には欠席連絡しといたからそう伝えておいてくれってさ」

「あんの、くそバ……おばあさまめ……勝手なことを」


 夜花は唖然としたのち、猛烈な怒りに襲われる。危ない。つい口が滑り、汚い言葉を発しそうになった。

 昨日の宴会の手伝いを勝手に決めたばかりか、二日続けて学校を休むよう、本人の意思を無視して話を進める――こんなに非常識なことがあろうか。

「信じられない。本当に信じられない!」

「まあまあ。ともかく、座んなよ」

「……うん」

 夜花はむくれながら、千歳の向かいに腰かけた。

 すると、「お待たせしたかな」とエプロンをかけた松吉が皿を持ってキッチンから現れる。


「さ、朝ごはんだよ。召し上がれ」

 ローテーブルにサンドイッチの乗った皿と、カップが並べられた。

 サンドイッチは手作りらしく、耳がついたままの食パンに、今にもこぼれそうなほど具がたっぷりと挟んである。見るからに美味しそうで、夜花の空腹を刺激した。

 千歳が目を輝かせ、さっそく手を合わせる。

「いただきます。夜花も、遠慮せずに食べていいからな」

「うん。ありがとう」

「聞き忘れていたけれど、坂木さんは食べられないものはあるかい?」

「いえ、たいていのものは平気です。ありがとうございます」

 松吉に訊ねられ、夜花は首を横に振った。

 千歳と松吉の優しさが、祖母との生活で荒んだ心に沁みる。祖母との食事では、「出されたものは文句を言わずに食べろ」か「自分で作れ」のどちらかだ。

「今、飲み物も持ってくるからね」

 松吉はまるでレストランのウェイターのように、きびきびとした動きでキッチンに再び戻っていく。


 夜花も千歳に続いて「いただきます」と手を合わせると、サンドイッチをひとつ手にとってかぶりついた。

 しゃきしゃきとしたレタスに、ハムとたまごのほのかな塩味。さらにマヨネーズの酸味を含んだまろやかさと、マスタードだろうか、少しぴりっとくる辛さがほどよく効いている。

 想像よりずっと美味で、夜花は目を丸くした。

「美味しい!」

「だろう。サンドイッチは松の得意料理だから」

 千歳が破顔すると、ティーポットを持って現れた松吉は少し照れくさそうにする。

「いやいや、サンドイッチとカレーくらいしか作れないんだよ」

 そんなやりとりもありつつ、サンドイッチを食べ進め、夜花の気持ちもどうにか落ち着いてきた頃、千歳が切り出した。


「さて、今日の予定だけど。俺はこれから仕事に行こうと思う」

「仕事? 千歳くん、学校は?」

「あー……まあ、それはいいとして」

 いいんだ、とやや疑問に思うものの、話の腰を折らないよう口には出さないでおく。

 千歳は夜花の指摘を受け流し、「提案なんだけど」と何事もなかったように続けた。


「夜花、あんたも仕事についてこない?」

「仕事って、社城家の仕事だよね」

「そう。神祇官、というか術師の仕事ってやつ。怪異が視えるなら、実際の仕事も見てもらったほうがいろいろと話が早いから。道中でまれびととか昨日のことも説明するし」

 これからでも、学校へ行けば一時間目には間に合う。欠席を取り消してもらえるだろう。

 だが、やはり自分がいったいなにに巻き込まれたのかは、知っておきたい。このままでは気になって、勉強も手につかないに決まっている。

(それに、まれびと――もしかしたら、私も)

 あのときの夢で聞いた言葉と、この状況は無関係ではないのかもしれない。

「わかった。一緒に行くよ」

 夜花は腹をくくり、うなずいた。



 青い空に、薄く灰色の雲がかかっている。風に流される雲に透けて太陽の輪郭が見え、時折、明るい光が差す。曇りよりは晴れに近いような、微妙な天気だった。

 夜花は社城家の門前で、壱号とともに車を待っていた。

 どうやら千歳の仕事の現場はやや離れた場所らしく、車での移動が必須とのこと。千歳は車の手配をしに行ってくれている。

「てっきり、電車やバスを使うものかと思ってたのに」

《社城ではこれが普通なのです》

 夜花のつぶやきに返す壱号の口ぶりは、しれっとしている。

 社城家の自家用車を夜花も見たことはあるが、いかにもな黒塗りの高級車かつ、専属運転手付きだ。あれに乗るのかと考えただけで興味より緊張が勝り、背筋が寒くなる。

 と、他愛のない会話をしていると、「おい」と声をかけられた。


「はい?」

 驚いて顔を上げると、立っていたのは、顔の造作の整った不良感のある青年。年齢は二十くらいで面立ちは凛々しく、眼光は獲物に狙いを定めた猛獣のように鋭い。

 見た顔だ。確か昨晩、夜花と晴が池に落ちたときに「侵入者がいるのか」と怒鳴っていた。

「お前、なんだ? なにをうろちょろしてる」

「え、ああ、その……ええと」

 夜花は口ごもりながら、首を捻る。

 そういえば、夜花の現状に名前をつけるとしたらいったいなにになるのだろう。

(お客さん……だよね。たぶん。でも、招かれてるとも違うような? 宿泊客です、って言うのもなんか違うし)

 咄嗟のことに上手い言葉が見つからない。

 シンプルに「千歳を待っている」と答えればよかった、と気づくのに少しかかった。

 そしてその「少しかかった」時間は、目の前の青年の疑念を深めるには十分だったらしい。彼は忌々しそうに舌打ちする。


「またかよ。いるんだよな、たまに。お前みたいになにを期待しているんだか、いきなり押しかけてくる女」

「はい?」

「誰が目当てだ? クソ兄貴か? 俺か? それとも出波いずはか? 誰だろうがお前みたいな『なんにもない』、そのくせ妙に自信のある面倒な女の相手なんかしねえから。とっとと失せろ」

 どうやら勘違いされている。

 社城家の人々は、揃って整った外見をしている。金も地位もあり、外見のいい異性に惹かれる者は多い。おそらく、お近づきになるために屋敷に突撃する恐れ知らずもいるのだろう。夜花はそれだと思われたのだ。


「ち、違います! 私はえっと、昨日……そう、昨日! ここで宴会の手伝いをしていた遠縁の者でして」

 ますます青年の眉間にしわが寄る。

「あ? じゃ、その頭の上の埃みてえな怪異も遠縁だからか。なまじ屋敷に立ち入ったせいで、余計に思い上がったってわけだ」

「だから、そうじゃなくて!」

「残念だったな。今日のこの屋敷は『まれびと』を迎え入れるのに忙しいんだよ。お前の相手をしている暇はない」


 まれびと――たぶん、晴のことだ。夜花は黙り込む。

 どうやらこの青年は社城家の序列者らしい。屋敷に押しかけてくるファンがいるようだから、さぞ序列が高いのだろう。だとしたら、夜花の事情も話してしまえばいいのでは。話のとっかかりくらいにはなるはずだ。

「あの、私」

「待った」

 思いきって口を開きかけた夜花の声が、鋭く遮られる。


「千歳くん」

 屋敷の母屋のほうから、千歳が下駄を鳴らして現れた。

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