二章①「トンネルの怪異ってベタだよね」

 カーテンの向こう、窓の外がぼんやりと白んで、徐々に明るくなってくる。

 やがて、ピピ、チチ、と鳥の囀りが聞こえだし、夜が明けたのを認めざるをえなくなってきた。


(全然、眠れなかった……)

 夜花は知らない天井が明るくなる様を眺めて絶望的な気分になりながら、夏用の薄い掛け布団を顔まで引っ張り上げる。しかし、当然ながら今さら眠気など訪れない。

 どうして眠れなかったのかといえば。

 昨日の怒涛の出来事、衝撃の連続、さらには突発的な外泊に心が高ぶってしまい、目が冴えていたからである。


 一夜明けてもまだ、夜花の頭の中は混沌としている。

 池に落ちたこと。

 なにもないところからいきなり小澄晴が降ってきたこと。

 その小澄晴が、序列一位の社城瑞李の伴侶に選ばれたらしいこと。

 今まで視えなかった怪異が視えたこと。

 まれびと、という単語。

 千歳に助けられ、彼の家に世話になっていること。

 夜花にとってわからないこと、考えなければならないことが多すぎて、脳も感情も追いつかない。

 眠れなかったとはいえ、うとうとと微睡んでいる時間はあったので、すべてその間に見た夢なのではないかと淡い期待までしてしまう。


(そうだよ、夢だよ)

 夜花は布団を跳ね上げ、勢いよく起き上がった。

「全部、夢だ。間違いない。昨日はなにもなかった。絶対そう」

《それはただの現実逃避なのです。きちんと現実を直視するのです》

 唐突にそばで響く、人ならざるものの声。夜花の中に芽吹いていた『昨日の出来事まるっと夢説』が瞬時に枯れた。

 声のしたほうを向くと、窓辺に真っ白な毛並みの手のひらサイズの小動物、否、小怪異がいる。小さな座布団に鎮座するその姿は、さながら皿に乗った大福だ。

 千歳からお目付け役としてつけられた雪うさぎの怪異。種族名は『ゆきうさ』。個体識別番号でいうと『壱号』になるらしい。

 壱号はどこか呆れを含んだじっとりとした赤い瞳で、こちらを見ている。


「やっぱりまだ、怪異が視えてる」

 夜花は頭を抱えた。

 昨日のはなにかの間違いで、寝て起きれば元どおり怪異とは無縁の平凡な暮らしに戻るはず――と、淡い期待をしていたけれども、そんなことはない。

 これは異常事態だ。

「どうして急に視えるようになっちゃったのよ……」

《ごくまれながら、後天的に怪異を認識できるようになった例も皆無ではないのです》

 特に答えを求めて呟いた疑問ではなかったが、壱号が律儀にも返してくる。

 夜花は「いやいや」と首を横に振った。

「怪異が視えるのは、霊力が高いからでしょ。その霊力の高さは、生まれつきの素質で決まるって聞いたよ?」

 これでも社城家の遠縁、……端くれだ。怪異を視えなくても、術師がどういうものかくらいは知っている。


 怪異を視る力、術師の用語でいう『見鬼』を持つことは、術師にとって基本だ。見鬼の才があれば術師として最低限必要な霊力の高さがあり、なければ術師になれる可能性はほぼゼロと決まっている。

(それに私は怪異憑きにもなれなかったから、霊力があるはずない)

 社城家には、生まれたばかりの一族の赤子に『喚応慿纏の儀』を受けさせるという、独自のしきたりがある。

 喚応慿纏の儀とは怪異を呼び、人にとり憑かせる儀式であり、これによって術師の霊能力を底上げできる。より霊力の高い子どもには相応に強い怪異が憑き、霊力が低ければ弱い怪異しか憑かない。また、十分な霊力がない場合はどの怪異も寄ってこない。


 たとえば、昨日視た序列一位、社城瑞李の金鵄。

 あれは高位の神鳥で、ほとんど神に等しい神代の生き物だ。ゆえに、その金鵄が憑いている瑞李は最高の霊力を持つ、まごうことなき最高の術師とされる。

 一方、夜花は出生時に受けた喚応慿纏の儀において、どの怪異も寄ってこなかった。だから『出来損ない』なのだ。

 夜花の言葉に、壱号はまばたきで肯定の意を示す。

《それはそうなのです。ただ、例外もあるのです。生まれつきの霊力が高くなくとも、なにかのきっかけで怪異と距離が近くなれば、怪異を視ることが可能になるのです》

「怪異とお近づきになった記憶はないけど……」

《それも含めて、今日あらためて話す約束なのです。さあ早く起きて、支度をするのです!》


 壱号のふわふわとした高い声が、まるで祖母のようなことを言い出す。

 昨日会ったばかりだというのに、すでに小姑のごとく容赦がない。口が悪いというより口うるさい、のほうが正しい。

 昨日の朝までは、まさか怪異に世話を焼かれる日が来るとは思いもしなかった。

(私、いったいどうなっちゃうんだろう)

 ――どうにかなるかもしれないし、ならないかもしれない。

 ようやく、あの夢の中の青年の台詞が実感を伴って、夜花の胸に迫っていた。



 今日は金曜日、つまりは平日で学校も平常どおり。

 夜花は登校する気満々で制服に着替え、身支度を整える。ちなみに、壱号は何も言っていないのに自ら夜花の頭の上に飛び乗ってきたので、そのまま連れていくことにする。

 ところが、意気揚々とリビングに顔を出した夜花は、千歳にとんでもない事実を告げられ、愕然とした。

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