二章③
こうして、明るいところであらためて見ると、彼のバンカラ風の格好は社城家の古風な屋敷によく似合っている。さらに大人顔負けなほど堂々としているせいか、仮に彼がこの屋敷の主であると聞かされても驚かない。
千歳を見遣った青年は、は、と鼻で笑う。
「あんだよ、てめえの客か。『落ちこぼれ』」
「そ。だから、あんまり虐めないでやってくれないか。
「てめえみたいなゴミ屑に呼び捨てにされる覚えはねえよ。……ああ、そうだ。今日の、まれびとと社城家の者の顔合わせ、序列外の落ちこぼれのてめえに参加資格はない。せいぜい外でウォーミングアップにもならない、どうでもいいクソみてえな仕事をしてこいよ。ま、てめえには難しいだろうがな」
ひとしきり意地の悪い言葉を吐き捨て、青年は千歳と入れ違いに門の向こう、屋敷の敷地内に進んでいった。
外見は悪くないのに、中身はとんだネチネチ下品男だ。
夜花はその背に向かって、あかんべをした。
「なにやってるんだ、あんた」
千歳に呆れ顔で言われ、つん、とすまして腕を組む。
「私、人の話を聞かない嫌みな人は全員、十歩に一回は顔面から転ぶべきって主義だから」
「どんな主義だよ」
千歳が軽く噴き出す。
だが、夜花にとっては笑いごとではない。というか、平然として笑っている千歳が信じられない。腹が立たないのだろうか。そんな態度では侮られるばかりなのに。
(まあでも、当事者なんてそんなものか。私もおばあちゃんにはたいして強く出られないし。身内が相手だと正面から歯向かうにはしがらみが多いから)
ふう、と大きく息を吐く。今朝は腹が立つことばかりで困る。
そうして会話が途切れたところへ、ちょうど夜花の予想していたとおりのぴかぴかの高級車が、すぐそばに停車した。
「じゃ、行こうか」
「うん」
と、千歳にうなずいて返したはいいけれど。
乗り込んだ車内の、広々とした革張りの座席で借りてきた猫のごとく大人しく、夜花は小さく縮こまっていた。
夜花と千歳の座る後部座席は足を伸ばして座ってもまだまだ余裕がある。椅子自体もふかふかしていて、滑らかな革の触感は慣れないが包み込まれるような安心感があった。
(やっぱり矮小な庶民にこの高級車は刺激が強いよ!)
座席だけでも何十万、いや、何百万とするのではないだろうか。汚しでもしたら、夜花自身が弁償のために売り飛ばされかねない。
社城家の財力をあらためてひしひしと感じる。
たかがいち地方の名士と侮るなかれ。社城家は全国でも有数の名家なのだ。
「緊張してるとこ悪いけど、さっそく話をしていいか?」
「……うん」
手のひらにじっとり汗をかきながら、夜花は小さく首を縦に振る。千歳は「そうだな」と思案している様子で、顎に手をやった。
「どこから話そうか」
「まれびとの話が聞きたい。今、一番知りたいのはそれだから」
「なら、そうしよう」
夜花の要望を受け入れた千歳は、静かな口調で語りだした。
「神祇官として、怪異や術や祭祀や……そういった『神秘』を扱うのが社城家の役目、というのはわかっている?」
「うん」
「社城家には実はもうひとつ、非常に大切で、大きな役目がある。それが、まれびとをもてなすことだ」
「まれびとを、もてなす?」
「そう。社城家においてまれびとというのは、こことは違う世界、異境や異界と呼ばれる世界からの来訪者を指す。その来訪者を迎え、世話をするのが社城家の仕事」
「……いわゆる異世界とか異世界人とは違うの?」
なんとなく、こことは違う世界というと、ファンタジーなイメージがある。剣や魔法の戦いのある殺伐とした世界と、その住人、というような。
千歳はかぶりを振った。
「異界――異境っていうのは、常世、蓬莱、竜宮……神話や昔話に登場するような、別の世界のこと。対して、俺たちが暮らすこの世界は
「なるほど……?」
千歳の説明は複雑だが、ゆっくり噛み砕けばどうにか呑みこめる気がした。
「まれびとは、たまにいる異境と人境を行き来してしまう人のこと。例を挙げるなら、浦島太郎なんかがそう。人境の青年が亀に乗って異境の宮殿、竜宮城にいく。そこでしばらく暮らし、また人境に戻った。あと、神隠しなんかもそれにあたる」
人が神隠しに遭うとき、その多くはなんらかのきっかけで異境に迷いこんでいるのだという。そして、神隠しで消えた人がしばらくして戻ってきた場合には、その人を『まれびと』と呼ぶことになるのだとか。
「ただ、厳密にいえば、異境に行って帰ってきただけでは『まれびと』とは言えない。……『
千歳の問いに、夜花はしばし考えた。
「黄泉に行って、黄泉の食べ物を飲み食いすると、黄泉の人になってしまって地上に戻れなくなるってやつだよね。イザナミが黄泉のものを食べてしまったから、イザナギと地上に帰れなくなった」
「それ。まれびとっていうのは本来、異境に渡り、異境のものを飲み食いして人境に戻ったイレギュラーな人間のことをいう。……昨日見つかったあの子」
「小澄さん?」
「そう。小澄晴は、どうやら異境に迷い込んでそこで水を呑んで戻ってきたらしい。およそ百年ぶりに現れた、れっきとしたまれびとだな」
どくり、と夜花の心臓が音を立てて脈打った。背中に冷たい汗が浮かんで、身震いしそうになる。
異境に渡って、水を呑んで。では、やはりあのときの夢は夢ではなく。
「どうかした? 車酔い?」
「ううん。……平気」
夜花ははっとして、急いで表情を取り繕う。
「……小澄さんはこれからどうなるの?」
「さて、どうなるか。彼女、まれびとであるだけじゃなく、序列一位に見初められたから」
昨日、手伝いの女性たちが噂していたのを思い出し、そらんずる。
「金鵄憑きの男性は生涯にたったひとり、つがいに定めた相手しか愛さない……?」
「そうだな。社城家の術師は喚応慿纏の儀を行い、『怪異憑き』になることで能力を底上げする。ただ、怪異に憑かれると、その怪異の特性が術師にも現れることがある。金鵄に憑かれたのは歴代で数人、全員が男性、かつ、ひと目で生涯の伴侶を見初め、死ぬまで愛したといわれている。小澄晴もたぶん、そうなる」
「あの、序列一位の人と結婚するってこと?」
「最終的には小澄晴自身の選択次第だと思う。彼女はまれびとだから、社城家では彼女を最高の待遇をもって丁重に扱う。彼女が欲するなら最高の衣食住を提供するし、一生遊んで暮らしたいならそれも保証する。けど、つがいの問題はそれとは別で、本人たちの意思によるよ」
「そう……なんだ」
「とまあこんな感じで、だいたいの疑問は解けたんじゃないか」
千歳は、ぐ、と伸びをして肩を回す。力が抜けたように笑う彼の顔はあどけなくてかわいらしい。
疑問が解消され、夜花も確かにいくらか心が軽くなった気がした。
素直にありがたかった。彼にとって無知な夜花にものを教えるのは、ただ手間でしかなかったはずだから。
「ありがとう、いろいろ教えてくれて」
「わからないことがあったら遠慮なく訊いてくれていいよ、これからも」
「うん。わかった、じゃあ訊くけど」
流れゆく車窓の風景を一瞥し、夜花は息を大きく吸った。
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