一章④
「ねえねえ、あなた誰狙いなのよ?」
「んー……私は特にこだわりはないけどね、序列入りしてる男性なら」
「わかるわ。美形揃いだもん、眼福よね。でも、あたしはやっぱり、序列一位の瑞李さまを狙いたいわぁ」
「高望みしすぎ!」
「だって、あの『金鵄』の瑞李さまよ? 顔立ちの美しさも群を抜いてるし、『金鵄』憑きの男性って生涯でたったひとり、つがいに定めた相手しか愛さないんですって。極上の男に愛されて生きるのが理想ってものでしょ」
「やだ、欲張りぃ。私は序列三位の出波さまがいいなって思うわ。優しそうだけど、慣れてそうで、ほどよくリードしてくれそう。序列も高くて将来も安泰だし」
「私は手堅く、八位の寺方さまとか、十位の柳河瀬さまあたりを狙おうかなぁ」
「本家筋じゃなくていいの? 欲がないのねぇ」
夜花は重たい息を吐く。
(身も蓋もない……というか、ちゃんと働いてほしい)
さっさとこの場から去りたい一心で、懸命に手を動かした。
途中で昼休憩を挟みつつ、宴会の準備に勤しんでいるうちに、いよいよ日が傾いてくる。
この頃になると、日中はあれほど無駄話をして仕事を怠けていた手伝いの女性たちが徐々にやる気を出し、さも最初から働いたかのように生き生きとし始めた。
特に宴会の参加者を宴会場である大座敷へ案内する役は人気で、夜花が口を挟む暇もないほどあっという間に分担が決まる。
別に案内役をやりたかったわけではないけれど、なんとなく腑に落ちない。
(なんだかなぁ)
明らかに外向きの笑顔で動き回る女性たちを横目に、夜花は使用人たちの指示で宴会の食事や酒、食器類などの準備を手伝う。
日が完全に暮れると、自動車がひっきりなしに正面玄関前に停車しだした。序列者たちが到着したようだ。玄関から次々と上がる声は、台所まで届く。
「序列十位、
「序列九位、
「序列八位――」
案内役を逃した夜花は、その声を遠くに聞きながら、ひたすら膳の上に箸と箸置き、小皿、グラスを並べていく。
宴会に参加できる序列者は十位まで。序列者以外では当主と、幹部会から八名。序列者の中で三人は不参加なので、膳は全部で十六ある。
前菜が出来上がってくると、夜花はそれぞれ膳の中央に置いた。
(綺麗なお料理)
細長い皿に色彩豊かな料理が少しずつ、華やかに盛りつけられている。野菜の飾り切りやカラフルな花麩など、見ているだけでワクワクしてくる。
どんな味がするのか想像もつかないけれど、きっと会場に並んだらもっと雰囲気が出て美しいだろう。
「皆さま、お揃いになられました! 配膳を始めて!」
ちょうど夜花がすべての膳に必要なものを揃え終わったとき、指示役の年嵩の使用人から台所へ、声がかかる。
「はい!」
夜花は慌てて膳を持つ。続けて、使用人やお手伝いの面々も次々に膳をとっていっせいに会場へ進み始めた。
そうして――廊下を、歩いていたときだった。
「ちょっと、貸しなさいよ。あたしが運ぶから!」
声がしたかと思うと、横合いから夜花の持っていた膳が乱暴に引ったくられる。
「あっ」
無理やり膳を奪ったのは、膳を運ぶ役からあぶれた手伝いのひとりだった。
夜花は咄嗟に、「ちょっと」と抗議の声を上げかけ、しかし、目尻を吊り上げた女性に肩で強く押しのけられた。
「え、わっ」
予想外の強い力で押され、夜花はそのままバランスを崩す。
しまった、と思ってももう遅い。着物で足の踏ん張りがきかず、開け放たれた縁側から庭のほうへ、身体は勢いよく転がり落ちていく。
さらに運悪く、その先には池があった。あっという間の出来事だった。
(あ……デジャヴだ)
夜花はまったく抵抗できないまま池に背面から落ち、尻もちをついた。
ずしゃん! と大きな水音が庭に響き、廊下が一気に静かになる。
学校の課外授業の折に湖に落ちたのは先々月の終わりのことだ。ひと月と少ししか経たないうちにまた水の中に落ちるとは、誰も思うまい。
湖に落ちたときと違うのは、池は膝くらいまでの深さしかないことだった。夜花は背中から下をぐっしょりと濡らし、呆然として池の中に座り込んだ。
夜花を押しのけた女性はさすがにやりすぎたと思ったのか、気まずそうに顔をしかめつつ、「あたしが悪いわけ?」とつぶやく。
他の皆も唖然とした面持ちで、あるいは困惑して立ち尽くしていた。
着物にどんどん水がしみ込んで下半身が冷えていくのを感じる。けれど、このまったく想像していなかった事態に夜花自身、どうしていいかわからない。
その、皆の動きが止まった数瞬。
今度こそ――ありえないことが起きた。
「きゃ、きゃあああっ!」
頭上から少女の、甲高い悲鳴がした。次いで再度、ばしゃん、という水の音。すでに濡れていた夜花の背と後頭部に水飛沫がかかる。
「え……? え?」
思考が追いつかない。混乱で身体も頭も硬直してしまう。
どうやら夜花のすぐ真後ろ、同じ池の中に誰かが落ちてきたのだと、そのことを呑みこむのにしばらくかかった。
(だって、どこから? この池に落ちるような高い場所は、近くにない。私の後ろになんて誰も落ちるはずが)
背筋が冷えたのは濡れたせいか、得体の知れない恐怖のせいか。おそるおそる、振り返る。
建物から漏れ出る明かりに照らされた夜の庭。水滴が光を反射して、きらきらと金の粒のごとくほのかに輝き、瞬いているように見える。
よく……とてもよく見知った、セーラー服と。それをまとい、座り込むびしょ濡れの少女の顔もまた、夜花はよく知っていた。
「……小澄、さん?」
このときの夜花は、化け物でも見たかのような表情をしていたに違いない。
ありえない場所にありえない人がいる。驚きと恐怖と、混乱と。あらゆる感情が頭の中でかき混ざり、他の反応をしようがなかった。
一方、少女――晴も、名を呼ばれたことで目の前にいる夜花を認識したらしい。眼球を落としそうなほど瞠目し、「え、坂木さん?」と小さく首を傾げる。
「あなた、どうして」
夜花が疑問を口にしようとするのと、廊下が騒然とするのとはほぼ同時だった。
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