二章⑥
「で、だ。――坂木夜花」
ふいに硬い声色でフルネームを呼ばれ、はっと目線を上げる。いったい何事だろう。今回のトンネルでのことについて、説教でもされるのだろうか。
おそるおそる隣を見れば、千歳がやけに真摯な顔つきで、真っ直ぐに夜花を見つめている。
「どうだった? 社城家の仕事は」
「……怖かった、すごく」
「それもそうか。じゃあ、俺と一緒に行動してみてどうだった?」
「どう、って?」
「あんた、ずっと警戒してたから。俺が術師として頼りになるかどうか、見てもらおうと思ってたんだけど」
《ポンコツなガキが頼りになるわけがないのです。ピンチだったのです》
「お前はちょっと黙ってて」
「…………」
睨みあう千歳と壱号をよそに、夜花は黙って考え込む。
千歳がそんなふうに気遣っていたなんて、思いもしなかった。
なるほど、どうして彼の仕事に付き合う必要があったのか疑問だったが、そういう意味もあったのか。とはいえ。
「どうして?」
「なにが?」
「私は所詮、社城の遠縁で見鬼を得たってだけで、確かに怪異との付き合い方はこれから慣れなきゃいけないけど、千歳くんを頼りにする機会はそんなにないと思う」
今日このあと千歳と別れたら、夜花はまた普通の生活に戻る。
学校へ行って勉強し、アルバイトをして生活と将来のために金を貯め、たまに祖母に嫌みを言われて腹を立てる。祖母と二人だけの家で、そんな変わらぬ暮らしがこれからも続いていくだけだ。見鬼の才を得たとて、大きく変化するとは思えない。
けれど、夜花の考えは次の千歳の言葉でひっくり返った。
「――夜花。あんたも、まれびとだろう」
息が止まる。心臓の鼓動が徐々に大きくなっていく。
「あんたも小澄晴と同じように、異境に渡ってなにか口にしたな?」
「な、んで」
なぜ、どうして、バレた? あの夢のことは誰にも話していないのに。突如漂いだした濃い緊迫感に、きん、と耳鳴りがする。
「わずかに……本当に、察知できないほどほんのわずかにだけど、あんたからも異境の匂いがする。俺以外はまだ誰も、気づいてないんじゃないか」
「異境の匂い……」
「最後の疑問に答えるよ。あんた、急に怪異が視えるようになったって言ってただろう。今日もトンネルの霊が視えていたみたいだし。それはたぶん、まれびとになったのが原因だ」
「…………」
「まれびとはしばしば、俺たちが使うような術とは違う特殊能力に目覚めたり、見鬼を得たりすることがある」
夜花はうつむき、唇を噛む。
千歳は元より夜花の返答を期待していないようで、滔々と語る。
「小澄晴は昨日、こう証言したらしい。……自分は先日ある湖に落ち、意識を失って夢を見た。夢で変わった青年から金の杯を受けとり、入っていた水を呑んだと。そのあと、人ではないおかしなものが視えるようになり、不思議な能力が自分に芽生えたようだ、と」
「…………」
「彼女はこうも言った。自分と一緒に湖に落ちた者がいる。名前は明かさなかったが――それは、あんただろう?」
全部、知られている。
そういえば行きの道で、夜花が小澄晴の名を出したときに彼は驚かなかった。夜花が晴と同級生であるとは教えていないのに。おそらくすでに調べがついていたからだ。
まれびとがどういう存在かわかるまで隠そうと思っていたけれど、無駄な足掻きだった。
「仮に私がまれびとだったとしたら、社城家は私を、どうするの?」
「別に。言っただろう、社城家は最高の待遇をもってまれびとを丁重に扱う。あんたにはなんの義務も責任も生じない。ただ、社城家を顎で使って贅沢でもなんでもすればいい」
夜花は絶句した。
そんなわけがない。怪しすぎる。あの社城家だ。途方もない権力を持ち、ひとたび社城家に睨まれれば、境ヶ淵を追われることすらあるという。
ただまれびとであるというだけで、社城家の築いた財産を湯水のごとく使うのが許されるなんて、とても考えられない。
「それだけ? 絶対に何か、裏があるでしょ?」
思わず詰め寄った夜花に、千歳は困ったように眉尻を下げる。
「いや……まあ、裏もないわけではないけど」
「ほらやっぱり!」
《裏なんてたいしたものではないのです。まれびとの能力で、祭祀やら仕事を手伝ってもらうだけなのです》
見かねた様子で口を挟んだのは、壱号だ。
《ヘタレのガキが変にもったいぶるから、いらない誤解を生むのです》
「誰がヘタレだ、誰が」
《お前以外にいないのです、このいけ好かない小童め》
壱号に睨まれ、千歳は「うるさいな」と顔をしかめた。
「手伝う……ほんとに? 今まで現れたまれびとも、そうだった?」
「もちろん。まれびとは貴重な存在なんだ。だから社城家が神祇官として率先して保護しなきゃいけない。単なる社城家の一方的な都合だよ」
「貴重って?」
「まれびとは術師とは異なる性質の能力を持つことがあるから、狙うやつも多い。ろくでもないやつに捕まったらどこぞに売られたり、人体実験の対象になったりって可能性もある。いわば珍獣みたいなものだ」
「珍獣……」
「でも、社城家の保護を受ければそういうことはない。自由な人生を送っていい。護り手っていって、術師の護衛はつくけどな。百年ほど前に現れたまれびとは女性だったが、幸せに暮らしていたぞ」
「……信じて、いいの?」
珍獣呼ばわりはどうかと思うが、夜花はほぼ肯定したも同然の言葉を口にする。
出来損ないと呼ばれるのはもううんざりだし、己の境遇に不満はある。とはいえ、贅沢な暮らしをしたいわけではなく、特別になりたいわけでもない。社城家とかかわるのは気後れする。
(でも)
変わりたいと望んだのも夜花自身。この機を逃したら、本当に元の生活に戻るだけになってしまう。
「いきなり社城家を信じろなんて言わない。一枚岩じゃないから、無邪気に信じられても困る。だからまずは、俺が頼るに値するか見てほしかった。ひとりくらい、頼れる人間がいないと先々不安だろ?」
気恥ずかしさからか、千歳は肩に垂らした三つ編みを指で弄びつつ言う。
(……そっか)
その姿を目にして、夜花の中でなにかがすとん、と落ち着いた。
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