第三章 風景庭園と中庭の謎④

「ところで公爵、今日はご自慢の花を見せて頂けると聞きました。いつお披露目頂けるのですか?」


 アイリの一言に、公爵の顔が嬉し気にほころぶ。挑発的な視線が、アイリに向けられる。


「実はもうお披露目しているのですよ。海外から取り寄せた新種なのですが、男爵にはどれかお分かりになられるかな?」


 公爵の言葉に、アイリは会場を見渡す。この庭には花壇も垣根もない。アイリの目は、テーブルの中央に飾られた花に向けられる。


「青い色の花だと噂に聞きましたが……」


 様々な花が折り重なるように飾られていた。だが、その中に目当ての花を見つけることが出来ないのか、アイリがイライラし始める。


 サラはその肩を、控え目に叩く。振り向いたアイリに、一つの花を指し示す。


「アイリさま、たぶんあの花です」


「これが?」


 サラが指差したのは、四枚の花弁の大ぶりな花。中央には鮮やかな黄色の花冠をいただいている。


「おそらくはランの仲間だと思います。赤や黄色、白色のランの花は見たことありますが、青い色は初めて見ました」


 説明するサラの隣で、アイリは食い入るように花を見ている。その表情は険しい。


「ほう、分かりますかな。いや、素晴らしい。近年、我が国が領土に加えた東の大半島、そこの丘陵地帯で発見された青いラン(ブルー・オーキッド)です。ようやく手に入れることが出来ました」


 代わって話に入って来たのは、ハートフォート公爵。アイリとは対照的に、その顔は嬉しさに溢れている。苦労して手に入れたこの花を、とにかく自慢したくて仕方ないらしい。


 サラにも、その気持ちはよく分かる。


「東の大半島ですか? 長い船旅を、よくぞ枯れずに持ち帰れたものです」


「そうです、そうです。半島から本土までの長い船旅を、枯れずに生き残る植物は本当に少ない。だが、そこはリンドリー博士の手腕ですよ」


「リンドリー博士?」


 聞き覚えのない名に、サラは首を傾げる。だが、公爵にはそれが意外だったらしい。


「なんと、リンドリー博士をご存じないのですか? 植物学の権威であり、海外から植物輸入を一手に担うリンドリー種苗店の経営者であられる。実はこの花も博士に勧められて購入した物です。三百ポンドだったが、よい買い物になりました」


「三百ポンド!?」


 その金額にサラは言葉を失う。三百ポンドといえば、医師や弁護士など中産階級の年収に匹敵する。ちなみにサラのような家内使用人の平均年収は、おおよそ十二から二十ポンドがせいぜい。文字通り桁違いの話だ。


 サラと公爵の話が漏れ聞こえたのか、三百ポンドという金額に反応したのか、テーブルの周りに人が集まり出す。競うように青い花を観賞しては、賛辞の言葉を口にする。その様子を、公爵は満足そうに眺めていた。


 その時、離れたところで歓声が上がる。見るとローン・テニスを始めたらしく、長い裾を翻し、ドレス姿のご婦人方がボールを追っていた。


「サラ、帰るぞ」


 突然、耳元で囁かれる。驚いて振り向くと、もうアイリは人混みを掻き分けていた。


「ま、待って下さい、アイリさま。もう帰るんですか?」


 慌てて追いかける。


「ティーパーティーは長居をせず帰る方がスマートなんだ。だから、ご婦人方はお茶やお菓子を出されても、手袋を外したりしない」


 言われてみれば、多くのご婦人は革の手袋をしたままカップを持ち、菓子を摘まんでいる。もちろんアイリも手袋をしたままだ。


「なるほど」


「それに、僕の目的はもう済んだ」


 庭から広間を抜け、玄関ホールに戻って来た。そこでサラはあることに気付く。


「あっ、ウィリアムさま!? アイリさま、ウィリアムさまを忘れていますよ?」


「忘れてはいない。役目は終わったから置いていく」


 何のためらいもなく、アイリは答える。本当にダシなんだ、とウィリアムが少し気の毒になるサラ。


「でも、どうやって帰るんですか? あたしたち、ウィリアムさまの馬車で来たんですよ」


「大通りに出て辻馬車を捕まえる」


「その恰好で、乗るんですか?」


 辻馬車は屋根なしで乗り合い、アイリはフリルたっぷりのドレス姿。随分と目立ってしまう。サラはそれを心配する。


「構わん。ウエディングドレスで街中を走ることに較べたら、大したことはない」


「確かに。先に行って、馬車を捕まえておきます」


「頼む」


 サラはアイリを追い越して、大通りへと走り出した。



「サラ、あれは青い花なのか?」


 幸い空いている馬車を捕まえることが出来た。その馬車の中、アイリは唐突とうとつに話を切り出す。


「公爵さまの花のことですか? まあ、青っぽい花、というのが正解でしょうね」


 アイリの言いたいことが分かり、サラは苦笑いを返す。


「あの花を見た時、正直青いとは思わなかった。どちらかといえば淡い紫、大目にみても青みを帯びた紫どまりだ」


「正確な表現だと思います。園芸でいう『青』の範囲は広いですから」


「本当に真っ青な、鮮やか青い色の花というのは、ないのだろうか?」


「う~ん、ないことはないです。ワスレナグサ、ルリソウ、ホタルカズラ、ツユクサなど小輪の花に多いですね。ただ、もう少し大ぶりの花になるとバラはもちろん、キク、ツバキ、ツツジ、カーネーションなどの花にも青はありません」


 そうか、と呟いたままアイリは何事か考え込む。


「アイリさまは、本当に青がお好きなんですね」


「そうだな」


 気のない返事を寄越した後は、ガーネット邸につくまで、アイリはもう何もしゃべらなかった。

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