第一章 女男爵とパセリ⑥
一週間後の
ちなみにこの一週間、サラは屋敷から少し離れた場所にある馬小屋で寝起きしている。ガーネット家所有の馬小屋で、泊るところのないサラに、アイリが宛がってくれたのだ。
期限の日を迎えても、サラに不安はなかった。絶対の自信があったから。
果たして――、
「御覧の通りだ」
アイリが指し示した鉢植えには、美しい緑の新芽が幾つも土から顔を出していた。
「やった!」
場も弁えず、サラは大きな声を上げた。その様子をアイリは
「この試験、合格ですね?」
「もちろんだ。貴族の言葉に二言はない。キミは見事、採用試験に合格した」
アイリからのお墨付きに、サラは飛び上がって喜ぶ。いままでの苦労が一つ、報われた気がした。
「喜んでいるところ申し訳ないが、そろそろ種明かしをしてくれないか。こう見えても、僕は驚いているんだ。まさか熱湯をかけられた種が芽を出すとは、思いもしなかったからね」
今朝起きぬけに植木鉢を確認したというアイリ。その時の驚きを聞かされ、サラは思わず笑ってしまった。
二人はあらためて応接室のテーブルで向かい合う。すかさず淹れたての紅茶とクッキーを用意してくれたマーサが、去り際、サラに向かって親指を立てる。彼女なりの祝福だろう。サラは温かな気持ちと共に、カップを手に取った。
紅茶の芳醇な香りと味を楽しみながら、サラは話し始める。
「種明かしというほどのことはありませんが、パセリの種は殻が固いんです。そのため芽が出るまでに時間が掛かるんです」
「殻を破るのに時間を要するわけだね」
「はい。ですが、この種の固い殻は水に溶ける性質を持っています」
パチン、とアイリが指を鳴らす。
「なるほど。だから熱湯を掛けて、土の中の種の殻を溶かしてやったというわけだ?」
「ご名答です。今回はすでに植えられた後だったので、こんな方法を使いました。本来であれば植える前日に、種を水につけて一晩寝かしておきます」
「キミが
「ご納得頂けましたか?」
「もちろん。久しぶりに爽快な気分だ」
言葉通り、アイリの顔は晴れやかだ。そんなアイリの顔を見ていると、サラの顔も自然と綻んでくる。
「パセリ以外にも、植える前の種に手を加えた方がいい物は幾つかあります。同じように固い殻を持つ種は、やすりで殻を削ったりもします。少し乱暴な方法ですが、種を踏みつけて殻を割るなんて方法もあります」
「確かに乱暴だ。それでもちゃんと芽が出るのかい?」
「はい。植物は人間が思っているより、ずっとずっと
ばあちゃんの言葉だ。サラにとって、園芸の師匠はばあちゃんだった。
「面白いね。僕が思っていた以上に、園芸とは奥が深い物のようだ。キミはどこで、その知識を見つけたんだい?」
「身内に詳しい者がいましたので。それよりアイリ様は、園芸をなさらないんですか?」
「ああ、社交界で話題に上った時のために、本や雑誌を読んではいるが、自分で何か
を植えたり育てたことはない」
「それは
サラは思わず拳を握る。その姿にアイリは苦笑い。
「キミの人生の楽しみが、ほぼ園芸であることは分かったよ」
「あの、アイリさま。合格ついでに、一つお願いが」
おずおずと切り出すサラに、アイリは首を傾げた。先程まで
「なんだい? 言ってみたまえ」
「あの、この屋敷の庭を、あたしの働く場所を見せて貰えないでしょうか?」
サラが連れていかれたのは、館の奥。
庭には大きく分けて表庭、中庭、裏庭がある。表の通りから玄関までの間にあるのが、屋敷の顔とも言うべき表庭。その名の通り建物に囲まれた内側の空間にあるのが中庭。この館の玄関は通りに直接面していて表庭はなく、構造的に中庭もなさそうだ。土地の少ないリットンでは、珍しいことではない。表庭や中庭を所持している屋敷の方が稀だ。
だから、この屋敷にある庭は……。
「さあ、見てくれ! これが我が家の庭だ」
アイリが開いた扉の向こうに、裏庭が広がっていた。そうここは館の裏に広がる庭、裏庭だ。さほど広くはないが、奥行きがある。アイリの言うには、園芸が趣味の父親が亡くなってから、誰も手入れをしていないとのこと。
庭に降りると短い石畳の歩道が、芝生へと続く。石畳の割れ目からヒカゲユキノシタが顔を覗かせている。アイリの言葉を裏付ける様に、庭は荒れていた。芝生は所々剥げ、底上げ
それでも花壇があり、木立があり、わずかながらも花が咲いている。芝生の上には小さなベンチも。ここは紛れもなく庭だった。
――庭だ、庭だ。 あたしの庭だ!
田舎から
「キミは、『裏庭の魔女』を知っているか?」
いつの間にかアイリが、すぐ横に立っていた。
「『裏庭の魔女』ですか?」
サラは首を傾げる。それを確認してから、アイリは話を続けた。
「昔、このリットンに『裏庭の魔女』と呼ばれる庭師がいた。とても腕の良い女性の庭師で、どれほど荒れ果てた庭でも、たちどころに花に溢れた姿に蘇らせたそうだ。まるで魔法でも使ったかのように」
「眉唾な話ですね。園芸に魔法はありません。時間と光と水、人の手間が草花を育てる。そして庭は人が作るのです」
「園芸に関してはシビアだね、キミは」
アイリは楽しそうだ。そして続ける。
「まあ、単なる噂話だ。実際にそんな庭師がいたかも怪しものさ。だが、もし本当に『裏庭の魔女』がいるのなら、その力をぜひ借りたいと思った。それほど切実に、僕は腕のいい庭師を求めている」
空を思わせる青い瞳が、サラを見つめる。
ドキッとした。急激に鼓動が早く、激しくなる。
「ほ、本当にあたしなんかで大丈夫でしょうか? 腕のいい庭師なら他にもたくさんいるのでは――」
「いや、キミがいい。見事、僕の期待に応えてくれ。頼んだぞ、サラ」
呼び名がキミから、サラに変わったことに気付いた時、不覚にも涙が出そうになった。本当に必要とされていると感じたから。この人のために働きたいと思ったから。
だから、サラは力強く答える。
「お任せ下さい、アイリさま」
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