第一章 女男爵とパセリ⑤
アイリがマーサに合図すると、アイリ曰くエルウィンで一番柄の悪いメイドは一鉢の鉢植えを持ってきた。それをサラの前に置く。
「さあ、これが試験だ」
思わずアイリを見ると、どうだ、と言わんばかりの顔で腕を組んでいる。そんな顔をされても、サラには何の変哲もない鉢植えにしか見えない。
「鉢植え、ですね」
「そうだね、鉢植えだ。これが他の物、例えばシルクハットやティーカップに見えて貰っては、いささか困る」
それはそうだ。仕方がないので、サラは目の前の鉢植えを手に取る。素焼きの安価な鉢植えで、中には黒い土しか入っていない。
「いえ、何かが植わっている?」
中央が僅かに盛り上がっている。確証はないが、何かの種を
「ふふふ、
「パセリですか」
パセリ。セリ科の二年生草本。生の葉には爽快な香味があり、エルウィン島でも野菜として広く栽培されている。
だが、このパセリが一体どんな試験になるというのかが、さっぱり分からない。
首を捻るサラを、アイリは楽しそうに見ている。
「試験というのは、このパセリを発芽させること。無事、発芽させられたら合格だ」
「本当です――」
身を乗り出しかけたサラを、アイリは右手を上げて制す。
「ただし、一週間以内に。それが条件だ」
ぽかん、とするサラに、意地の悪い笑みが向けられる。
「僕は園芸に疎い。そこで我が家の
アイリは勝ち誇ったかのように説明しているが サラはすでに別のことが気になっていた。
「あの、一つ伺ってもいいですか?」
「ああ、何なりと」
優雅な仕草で先を即される。アイリの顔には余裕の笑み。サラは構わず質問をぶつける。
「このパセリの種、そのまま植えたのですか?」
青い瞳が、わずかに見開く。女男爵が初めて見せた、戸惑い。質問の意図をつかみかねている。
「そのまま植えたとは、どういうことだ?」
「つまりですねえ、種苗店や園芸店から買ってきた種を、そのまま何もせずに土の中に埋めましたか? と訊きたいのです」
アイリは眉を
「ああ、何もしていない。そのまま植えただけだよ」
代わってアイリが答えるや、サラは勢いよく立ち上がった。
「いまからキッチンをお借りしてもいいですか?」
「藪から棒だなあ。構わないが、それが試験と関係があるのかい?」
「大ありです」
答えるが早いか、サラは部屋を飛び出して行く。呆気にとられるアイリとマーサを残して。
十分も経たないうちに、サラは目的の物を携えて、部屋に戻って来た。
「何をしに行ったのかと思ったら、お茶のお代りかい? マーサに言えば、美味しいのを淹れてくれたのに」
呆れ顔のアイリが言った通り、サラが持って来たのはティーポット。それをパセリの鉢植えの隣に置くと、サラは元の席に腰を下した。
「お待たせしました。それでは、試験の続きを始めましょう」
「何やら自信がありそうだ。どうやらお茶のお代わりではなかったらしい。そのティーポットが、パセリを芽吹かせる鍵のようだね」
形のよい顎を軽く摘まみ、アイリは興味深そうにティーポットを眺める。何の変哲もない、ただのティーポットだ。注ぎ口からは湯気が立ち昇っている。
「ティーポットというより、使うのは中身です。沸かしたてのお湯が入っています」
「湯? そんなもの、どうするんだい?」
「こうするんです」
サラはティーポットを掴み、机の上の鉢植えに熱湯を注いだ。いまにも鉢植えから湯が溢れ出し、下の受け皿に零れ落ちそうな勢いで。
「お、おい! そんなことしたら、種が茹で上がっちまうぞ!」
叫ぶように声を上げたのは、メイドのマーサ。流石にアイリは声こそ上げなかったが、その青い瞳は大きく見開かれていた。まるで信じられない光景を目にしたかのように。
「パセリの種は、とても寝坊助なんです。だから、こうやって湯をかけ、目を覚ましてやらないといけないんです」
ただ一人、サラだけは涼しい顔。鉢植えの土に充分熱湯が行き渡ったところで、サラはポットをテーブルに置いた。
「試験を諦めた、というわけではないね?」
硬い表情のアイリに対し、サラは大きく頷く。
「もちろんです。それでは一週間後、また来ます。その時、パセリが芽吹いていたら、試験は合格ですね」
サラの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
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