第一章 女男爵とパセリ④

 名乗られたのだと気がついた。


「あ、アイリさまですね」


 違和感を覚える。アイリーンとは、どう考えても女性の名前だ。それに……、


(顔に見覚えがあるような。この雰囲気も。どこかですれ違いでもしたのでしょうか? いやいや、そんなはずない。相手は貴族さまです)


 迷っているうちに、アイリと名乗った少年はもう目の前。こちらが仰け反るくらいまで近づくと、腕を組んで、サラを見つめてくる。身長の関係で、真下から覗かれる格好。とにかく圧が凄い。


 見つめてくる青い瞳は輝いている。


「キミが庭師ガーデナー希望者か?」

「は、はい」


 戸惑うばかりだが、マーサの言葉を思い出し、急いで返事をする。


「名は?」

「サラです。サラ・サザーランド」


「年は?」

「十七になりました」


「生まれは?」

「リットンです」


「リットン?」

「五歳からノーフォークの片田舎に住んでいます。訛りはそのためです」


 相手の美しい眉が持ち上がるのを見て、サラはすかさず説明を加える。アイリが満足そうに頷いたので、ほっと胸を撫で下ろす。


 矢継ぎ早の質問が、ようやく途切れる。急いで息を入れようとしたところに、手が伸びてきた。


「おさげがよく似合っている」


 そう言うと、アイリはサラのおさげに触れる。


「あ、ありがとうございます」


 褒められたはずなのに、なぜか胸がドキドキした。いまにも心臓が飛び出しそうなほどに。


「キミは、魔女か?」


 おさげから手を離しながら、アイリは確かにそう口にした。


 瞬間、頭の上に疑問符が浮かぶ。それでもマーサの忠告を思い出し、すぐに答える。


「いいえ、魔女ではありません」


「そうか、それは残念だ」


 アイリの青い瞳に、わずかな失望が浮かぶ。焦ったサラは、思わず口走る。


「魔女ではありません。ですが、庭に対する情熱と愛は、誰にも負けません!」


 言ってしまってから、顔から火が出そうになる。

 出会って初めて、アイリの顔に驚きが浮かぶ。だが、すぐに不敵な笑みに掻き消される。


「よろしい。掛けたまえ。マーサ、お茶だ」


 手短に指示を飛ばすと、アイリはさっさと肘掛椅子に腰を下す。言われるまま、サラも向かい合わせのソファに座った。 


「なにかね?」


 戸惑いが顔に出ていたのか、アイリの方から促された。思いがけない好機の到来が、サラを少し大胆にする。


「あの、アイリさまはここの主でいらっしゃるのですか? ここの家の主は女貴族さまと伺ったのですが……」


 たちまち美しい青の瞳に険がこもる。思わずサラは首を竦めた。だが、その瞳が向けられたのは、素知らぬ顔でお茶の準備をするマーサの方。


「マーサの奴、説明しなかったな? もちろん、僕がここの主だ。こんななりをしているが、女だ」


 皮肉な笑みを浮かべながら、スーツの襟を開いて見せる。そして、最後にこう付け加えた。


「僕は、女男爵バロネスだ」


 その一言が、サラの記憶を直撃する。忘れようとしても忘れられない、焼きこてで焼きつけられたように記憶に刻まれた一年前の出来事。いま鮮やかに蘇った。


「ああっ! あの時のウエディングドレス!?」



「そうか、キミはあの時のレディか」


 優雅な仕草で紅茶を飲みながら、アイリは感慨深げにサラの顔を見る。覚えていて貰えたのが、何気に嬉しい。


「はい。あの時は、ありがとうございました」


「いや。結局、鞄も取り戻せなかったし、すまないことをした」


 確かに、あの後が大変だった。駆けつけた警察に何度も事情の説明を求められるは、馬車の引き上げに立ち会わされるは、引っ手繰りの取調も受けるは。おまけに鞄は引き上げられたが、水に浸かった紹介状はすっかりダメになっていた。


 それでもアイリへの感謝に偽りはない。それにあの時のことを思い出すと、いまでも胸が高鳴る。


「まあ、そうかしこまることはない。まずはお茶でも飲んで楽にしたまえ」


「はあ」


 言われるまま、出された紅茶に口を付ける。


「どうだい、美味しいだろ。我が家のオリジナルブレンドだ。特にマーサが入れると、一段と味が良くなる」


「はい、とても美味しいです」


 笑顔で答えたものの、本当は味なんて全然分からなかった。飲みなれていないせいか、それとも混乱のためか。


「ふふふ、キミは素直だな。味なんて分からない、と顔に出ている」


 慌てて両手で顔を擦ると、テーブルの向こうから楽しそうな笑い声が上がる。サラは両耳が熱くなるのを感じた。


「それにしても……」


 あらためて目の前に座ったアイリの姿に目を見張る。


 明るい金髪に青い瞳、赤い唇と白い肌、そして整形庭園フォーマル・ガーデン並みの完璧な配置を誇る美貌は変わっていない。だが、腰まであった流れるような髪は、耳にかかるくらいまで短くなり、外に向かって跳ねている。まるで獅子のたてがみのようだ。そしてウエディングドレスがラウンジスーツになり、花嫁は少年紳士に変わっていた。


(でも、どうしてあの時はウエディングドレス姿だったんだろう? 結婚はされていないようだけど……)


「大分、混乱しているようだね」


「それはそうです。今の状況に立たされたら、誰だって混乱します」


 頬を膨らますサラに、アイリは軽やかな笑い声を返す。


「あらためて自己紹介するよ。僕はアイリーン・ガーネット。このガーネット家の現当主で、爵位は男爵。だから、女男爵だ」


 女男爵、とサラは口の中で呟く。


「あの、男爵だから、そのような男装をされているのですか?」


「いや、これは僕の好みだ。何しろ女性の衣装は動きづらい。知っているかい、社交界に出る女性の正装を。あんなの非効率以外の何物でもない。だから普段から、男性の衣装を着ているのさ」


 なるほど、とサラは納得する。アイリの合理的な性格もうかがい知ることが出来た。それでも……、


勿体もったいないです! そんなにお綺麗なのに」


 つい、大きな声が出てしまった。


「ははは、分かっているさ。自分の美しさも、世の男共を嘆かせていることも。だが別に、僕は男共を喜ばせたいわけじゃないから、着飾る必要もないのさ」


 それに、と不敵な笑みで続ける。


「男にもてはやされるより、レディにキャーキャー言われる方が好みなんだ」


 どうやら、相当な自信家のようだ。そして噂通り、風変わりな人だった。



「ガーネット家は百年以上の歴史を誇る由緒正しき貴族だ。かつては複数の爵位を所持し、地方に広大な領土を所有していたらしい。だが、僕の父が代を継ぐ頃には、領土のほとんどを失い、爵位も男爵だけになっていた。まあ、栄枯盛衰ってやつさ。その父が亡くなり、僕が跡を継いだのが去年。継承のごたごたで、わずかに残っていた領土もすっかり失い、いま手元にあるのはこの館と男爵位だけ」


 貧乏貴族さ、とアイリは両手を上げてお手上げのポーズ。そんな仕草さえ、様になる。

 自虐めいた話ではあるが、明け透けに内情を晒すアイリに、サラは好感を覚えた。


「貴族さまは、働かないのがモットーと聞きました。土地を失くして、食べていけるんでしょうか?」


「僕一代食いつなげるだけの財産はある。それに貴族というのは、ワインと同じような物でねえ。年月を経ているほど良い、と思っている連中がいまだに多い。だから、何かと大切にして貰える。ボトルの中身はとっくに酸化して、飲めた代物じゃなくなっているというのに」


 くくくっ、とアイリは楽しそうに笑う。


「だが、ガーネット家が由緒ある家柄だからこそ、わずらわしいこともある。例えば女である僕が家を継承したことを、快く思っていない連中が実に多いこと。いや、思っているだけではないね。あわよくば引きずり降ろそうと、その機会を伺っている」


「貴族さまも、大変ですねえ」


 サラは、心から同情する。


「だからガーネット家の当主として、僕は隙を見せるわけにはいかない。行動や身なりはもちろん、庭だって例外じゃない。ガーネット家に相応しい庭を所持する必要がある」


「なるほどです」


 庭は一つのステータスシンボルだ。なにより土地を持っていなければ、庭は作れない。そして庭を見れば、その家の経済力も分かる。庭の広さ、植えてある草花の数、種類、造形、管理状況、庭師の数と腕などなど。庭にはどれだけだって、資金をつぎ込める。だから、たびたび王侯貴族の権威を象徴するものとなってきた。


「実は父が生前手配していた庭師には、逃げられてね。そこであらためて腕のよい庭師を、いま探しているというわけさ。だが、なかなか僕の眼鏡に適う庭師がいなくて、困っているんだ」


 そう言ったアイリの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。


 お前は僕の眼鏡に適うかな? そう言われた気がした。見え透いた挑発だ。

 だが、サラの闘志はメラメラと燃え上がる。


「その役目、あたしにやらせて下さい!」


「よろしい。では、試験を始めよう」


 アイリは満足そうに微笑み、そう宣言した。

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