第一章 女男爵とパセリ③

 翌日、サラの足はくだんの女貴族の館に向いていた。


 結局、斡旋所のおかみさんの、褒めているのか、貶しているのか分からない言葉に背を押された。背に腹はかえられず、という事情もある。


 もっともおかみさんが仕事を紹介してくれたのが、殊の外に嬉しかったのは本当だ。


「この辺りがチャペル地区ですね。さすがにどの邸宅も立派です」


 通りに立ち並ぶ大貴族の邸宅を眺めながら、サラは一人感心する。


 エルウィン王国には、明確な階級がある。上流階級、中流階級、労働者階級だ。上流階級を構成するのが貴族とジェントリー。どちらも広大な土地を所有する者のことだが、違いは爵位。爵位を持っているのが貴族で、持っていないのがジェントリー。そこには明確な違いがあるのだが、サラのような労働者階級の者には分からない。


 上流階級が王国の総人口に占める割は、わずか二%。だが、その邸宅が立ち並ぶ専用地区は、リットンの土地の実に六割を占める。当然、その邸宅は広く、立派なものが多い。


 普段、足を踏み入れることのない地区。サラは戸惑いと、物珍しさに辺りをキョロキョロ。


「この辺りのはずなんですけど……」


 斡旋所で貰った住所のメモを見ながら、サラは三十分以上同じ所をぐるぐる。


「ここ、ですかねえ?」


 一軒の邸宅の前で、ようやくサラは足を止めた。


 同じ貴族の中でも、古くから貴族の家と、事業に成功して最近爵位を得て貴族になった家がある。前者は後者をぽっと出の成金と蔑み、後者は前者を伝統ばかり大切にする骨董屋と馬鹿にしている。これから向かうガーネット家は前者、つまり骨董屋の方だ。


 それを示すかのように目の前の邸宅は、周囲の豪邸に比べると際立って古く、一回り以上小さい。それでもコンパクトな造りと、趣味のよい外観は好感が持てる。残念なのは屋敷の顔とでも言うべき表庭がなく、入ってすぐに玄関の扉。まるでアパートメントのような邸宅だ。


 玄関の扉の前に立つと、足が震えていることに気付いた。ここへきて、緊張してきたらしい。


(ええい、ままよ!)


 たっぷりと躊躇ためらった後、思い切ってドアを叩く。数秒間の沈黙に、サラの心臓は爆発しそうになる。


 やがて扉が開いた。


「……」


「あっ、あの、あたしは、いえ、私は斡旋所から紹介されてきました、サラです。サラ・サザーランドです」


 扉の向こうに立っていたのは、紺のワンピースに白のエプロン姿のメイド。慌てて挨拶し、頭を下げた。深々と下げた頭を上げても、女は何も言わず、無表情でサラを見ている。必然的に見つめ合う。背丈はサラと同じ位だから、女性にしては高い方だ。おまけにメイドは羨ましいほど、すらりとしていた。艶のある黒髪を綺麗に束ね、顔立ちにも品がある。あらためて見ると、驚くほど美人だ。


(はあ、さすが貴族さまのお宅は、使用人からして違いますね。品位を感じます。きっと美しい言葉遣いをされるのでしょう)


 いまだ抜けきらない田舎訛りは、サラの悩みの種。だから、貴族さまの使用人ともなると、一体どんな言葉遣いなのかと、その第一声をわくわしながら待っていた。


 そんなサラを頭から足の先まで念入りに眺めたメイドは、最後に一瞥を投げて一言。


「入れよ」


 中に向かって顎をしゃくった。なかなかフランクな言葉遣いと仕草である。


 言われるまま、屋敷の中に足を踏み入れる。歴史ある貴族の館らしく、埃と古びた時間のにおいがした。 


 メイドはずんずんと奥へ進んでいく。そのあとをサラは追いかける。


「お前、本当に斡旋所からの紹介なのか?」


 前を行くメイドが振り向きもせず、話しかけてきた。


「はい、そうです。おかみさんは、先方に紹介状を送っておくと言ってみえましたが」


「届いている。でもなあ、いままで来たのはみんな、如何にも優秀ですって顔した鼻もちならない奴らだったんだぜ。それが急に間の抜けた面の奴を寄越せば、斡旋所の手抜きを疑うのが普通だろ?」


 メイドの女は、声を上げて笑った。


「手を抜くなんて、とんでもない。その優秀な人たちでダメだったから、あたしが選ばれたんです」


 笑い声がぴたりと止まり、女はぐるりと振り向く。片方の眉を器用に吊り上げ、不思議そうにサラを見る。


「お前、間抜けだって自覚があるのか?」


「ええ、残念ながら」


 一年に二十回以上も奉公先を解雇されれば、さすがに間抜けなんだろうなと自覚くらい持つ。正直にそう言うと、メイドは噴き出した。


「そりゃあそうだ。お前、面白い奴だな」


 いきなり肩を組まれた。背丈が同じ位なので、すぐ横にメイドの綺麗な顔。思わずドキドキしてしまう。


「俺はマーサ。この館でメイド長をやってる。長と言っても、メイドは俺しかいねえし、使用人もあとは影の薄い執事の爺さんと御者がいるだけだけどな」


「あっ、マーサさんですね。サラです。よろしくお願いします」


 さっき聞いた、とマーサは、頭を下げようとするサラを制す。


「それより、いいこと教えてやるよ。これからお前が会う、うちの大将のことだ」


「えっ、大将!?」


「ここの主の女貴族のことさ。俺は大将とか、ねえさんって呼んでるんだ」


「はあ……」


 屋敷の主をそんな風に呼ぶ使用人に、サラは初めて会った。どうやら変わり者なのは、主だけではないようだ。


「でな、うちの姐さんは、とにかく気が短い。だから、何か訊かれたら、すぐに答えろ。しかも手短にだ。説明や言い訳から入ると嫌われる。質問もダメだ。意味が分からなくても、とりあえず答えろ。あとは姐さんの表情の変化で察しろ。いいな?」


「は、はい」


 慌てて返事をするサラを見て、女はニヤリと笑う。


「よし、その調子だ。それじゃあ、俺はこれから姐さんを呼んでくる。この先に応接室があるから、そこで待ってろ。俺もそろそろ後輩が欲しいんだ。だから、頑張れよ」


 軽くサラの胸を叩くと、肩を離し、マーサは二階へ続く階段を上がっていく。その背に礼を言うと、右手をひらひらと振って応えてくれた。


 マーサの姿が見えなくなってから、サラは廊下を先に進む。言われた通り、突き当りに応接室らしき一室があった。


「ここで待て、ということですね」


 中に入り、室内を見渡す。ソファや椅子が幾つか並んでいる。だが、さすがに座るのははばかられるので、立って主が来るのを待つ。


 マーサに圧倒されて消し飛んでいたが、気持ちが落ち着くと、緊張がぶり返して来た。


「女貴族さまって、どんな方でしょうか?」


 イメージは深窓の佳人。華やかな衣装に身を包み、優雅で気品のある仕草、知性と教養に溢れた美貌。思わずため息が出る。


「はあ、憧れです。女貴族って響きだけで尊く感じてしまいます」


 一人悦に入るサラ。そんな彼女を現実に引き戻したのは、どん、どん、どんと勢いよく近づいてくる足音。随分と豪快な足音に戸惑う間もなく、部屋の扉がバタン! と音をたてて開いた。


 飛び込んで来たのは小柄な、美少年!? 


 マーサを従え、サラに近づいて来る。


「あ、あの、あ、あたくしは――」


 とにかく挨拶をしなければと、口を開くが間に合わない。少年は真っすぐに距離を詰めてきた。


「アイリーン・ガーネットだ。アイリと呼ぶがいい」

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