第一章 女男爵とパセリ②
「あんた、また来たのかい?」
「はい、また来てしまいました」
サラは申し訳なさげに頭を掻く。
翌朝、職業斡旋所に顔を出すと、すっかり顔なじみになったおかみさんに声を掛けられた。短い会話で事情を察したらしく、おかみさんはため息と共に新聞の束を差し出す。礼を言って、受け取る。
「今日は赤ですね。綺麗に咲いています」
窓際に目を向けながら、おかみさんに声を掛ける。鉢植えのゼラニウムが、鮮やかな赤い花を揺らしていた。
「ああ、まあね」
おかみさんの返事は素っ気ないが、満更でもなく思っていることがサラには分かる。自分が丹精込めて咲かせた花を褒められて、喜ばない園芸家はいない。
この斡旋所の窓辺には、いつもゼラニウムの鉢植えが飾られている。
初めてここを訪ねた時、そのことが妙に嬉しかった。だから、その気持ちをそのまま伝えると、おかみさんはひどく驚いていた。
「そんな大したことじゃない。どこにでもある花さ」
目を丸くして、今日のようにそっぽ向いてしまった。それでも覗いた横顔。その耳は、ほんのり赤かった。
ゼラニウムは、エルウィン島の窓辺を飾る花として欠かせない存在だ。乾燥に強く、育てるのに手間がかからない。そのうえ花色も豊富で、四季咲き性が強いのもポイントだ。
確かに珍しい花ではないし、街を歩けば所々で見かける。だが、この窓辺に飾られていることが、サラは嬉しいのだ。
その日の仕事を探す人が詰めかけ、ややもすると空気が暗くなりがちな職業斡旋所。ゼラニウムの鮮やかな花があるだけで、なんと晴れやかな気分になることか。サラと同じように、窓辺の花に癒されている人は多いと思う。
(それに……)
白、赤、ピンク、紫……、来るたび花の色は変わっていた。こまめに鉢植えを取り換えている。そのおかみさんの心遣いが、サラは嬉しかった。
まだ朝早い時間帯。鉢植えがよく見える窓辺に席を取る。それから新聞を広げ、求人欄を一つ一つ見ていく。
仕事の求人依頼には、斡旋所に直接来るものと、新聞に掲載された不特定多数に向けたものがある。
おかみさんが前者の求人を、サラに紹介してくれたことはない。まあ、当然だと思う。依頼を受けた斡旋所には、雇い先への責任が
「う~ん」
新聞を睨みながら、サラは唸った。紙面には実に様々な求人依頼がある。仕事内容だけが書かれた物もあれば、経歴やスキル、容姿や癖まで細かな条件が載っている物もある。中には特定の特徴をもつ死体を募集している求人も。
「これを求人と言っていいのでしょうか? いや、死体も人といえば人。死んだ人にだって働き口があるんです。あたしだって」
兎にも角にも、多くの雇い主がさまざまな事情で、さまざまな働き手を求めていることが分かる。
それでもサラが望む求人、或いはサラのような人間を求める求人は、なかなか見つからない。
(本当にあたしを求めている人などいるのでしょうか?)
そんな疑問がじわりと頭に浮かび、傷の残る心に隙間風が吹く。慌てて首を振る。嫌な考えを追い払い、また新聞のページをめくっていく。
新聞と格闘すること一時間余り、肩と目が凝って来た頃、不意に影が差す。顔を上げれば、腰に手をあてたおかみさんが覗き込むように、こちらを見ている。
「どうだい、物になりそうな求人はあったかい?」
「いやあ、それがなかなか」
笑って誤魔化すと、おかみさんは腕組みして何やら思案顔。何だろうと思っていると、急に手招きされた。招かれるままに部屋の奥へ進む。
「あんた、仕事がなくて困ってるんだろ。一つ、働き先を紹介してやろうか?」
「えっ、本当ですか!?」
思いがけない申し出に、サラは思わず身を乗り出す。だが、おかみさんは気まずげに、サラから顔を逸らした。
「いや、そんな期待されると困るんだ。ちょっと訳ありの求人でねえ……」
「訳あり? あっ、条件が悪いとかですか?」
「いいや、むしろ給金を含めた雇用条件は破格だ。私でも飛びつきたいくらいさ。事実、うちから何人も紹介している」
「はて、では何が問題なんでしょう?」
「決まらないんだよ。先方での試験で、ことごとく蹴られてる。どれだけ文句のつけようのない経歴の人物を送ってもダメ。そのくせ早く次を紹介しろとせっついてくる。こっちとらいい迷惑さ」
首を捻るサラに、おかみさんは
「それはお困りですね。あたしとしてはありがたいお話ですが、そもそもあたしなんか紹介して大丈夫ですか?」
自分で自分を指さす。そんな敷居の高そうなお屋敷、サラなど相手が求める条件で弾かれてしまいそうだ。なにしろ学歴なし、実績なし、いい所なし。ないこと尽くしのサラである。
「大丈夫だよ。相手は家内使用人、
「は、はい、そうです!」
なんというお誂え向きの条件! と飛び上がりたくなった。そんなサラをおかみさんは
「そんな早とちりするとぬか喜びになるよ。なにしろ雇い主は、このリットン中に奇行で知られる女貴族なんだからね」
「女貴族さま、ですか」
「ああ、一年ほど前に先代が亡くなって、女なのに爵位を継承したんだと。まあ、変わり者で間違いない」
「へえ~」
サラの頭の中にフリルのたくさんついた派手な衣装を身に纏い、
「どうだい、ダメもとで行ってみないかい?」
ぐいっと詰め寄るおかみさん。そして尚も戸惑っているサラの背を叩く。
「大丈夫さ、向こうの条件は満たしてるんだ。それに毒をもって毒を制すという言葉もある。案外変わり者同士、上手くいくかもしれない」
「えっ、あたし、変わり者ですか?」
「あんた、自分が普通だと思っていたのかい?」
おかみさんは腰に手をあて、盛大に呆れていた。
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