第二章 整形庭園と貴婦人の探し物①
サラがアイリの
もちろん使用人としてのサラの働きぶりが、劇的に改善されたわけではない。相変わらず食器を洗えば皿割り、裁縫をすれば指を刺した。
それでも続けられている一番の要因は、やはりアイリということになる。
名目上、サラはアイリ付きのメイドということになっているが、とにかく仕事が少ない。
「サラがやるより、僕がやった方が早い」
待つ、ということが大嫌いなアイリ。サラが動くよりも早く、自らやってしまう。
服選びから、着替え、出掛ける際の準備に部屋の掃除、ちょっとした縫い物まで。そして何をするにも、サラより格段に上手い。
サラが役にたたないため、そうさせているのかと思ったが、ずっと以前からだと教えられた。アイリが使用人に任せるのは、食事やティータイムの準備と片付けくらい。あとは何でも自分でこなしてしまう。
「紳士のたしなみさ」
驚くサラに、アイリはこともなく言ってのける。
主がこの調子だからか、使用人の数も圧倒的に少ない。
屋敷で働いている使用人はサラとマーサ、そして採用後に会った影の薄い初老の執事と無口な御者。合わせて四人。
「うちは使用人の数が少ない。不足しているのでなく、それで十分なんだ」
アイリの言葉を裏打ちするように、サラを除く使用人たちは全員有能。その中でも、マーサの仕事ぶりは際立っていた。粗野な物言いからは想像出来ないほど、テキパキと仕事をこなしていく。その間に愚痴や文句を言う余裕まである。
容姿だって綺麗だし、黙っていれば文句のつけようのない完璧な使用人だ。黙ってさえいれば。本当に悪いのは、口だけなのである。
「何か言ったか?」
心の声が漏れていたのか、マーサに睨まれた。サラはそそくさと、その場を離れる。
そんなわけで、使用人としての仕事量が少ないサラは、その分庭仕事に励んだ。お仕着せのメイド服の上に、紺色のエプロンをして、毎日裏庭に向かう。アイリの呼び出しがない限り、庭での作業に集中できた。
まさにサラにとって理想の仕事環境。全てはこの上なく順調に思えた。
ただ一つ、大きな問題があることを除けば。
「アイリさま。アイリさま、聞いてみえますか?」
サラが声を掛けると、ようやくアイリは本から顔を上げた。風が穏やかな昼下がり。
「どうした?」
今日もラウンジスーツ姿のアイリは、屈託なく微笑む。その姿はどう見ても少し背伸びした紅顔の美少年。思わず抱きしめて頬ずりしたくなる衝動を、なんとか抑えこみ、自分なりに厳めしい顔を維持する。何しろいま、サラは怒っているのだから。
「どうした、ではありません。もう何度も申し上げている通り、そろそろ庭に何を植えるか考えて頂かないと」
「ああ、そのことか」
ここ数日同じことを言い続けている。アイリもまた、同じように気のない返事を寄越す。
邸宅の裏庭は面積こそ広くはないが、立派な花壇が設置されていた。昔は綺麗に整備され、色とりどりの花が咲いていたことを偲ばせる。
残念ながら、いまその面影はない。植わっている花も疎らで、半分は萎れていた。底上げ
「だけど、サラ。いまはまだ土の入れ替え中なんだろ? いまから何を植えるか、なんて気が早くないかい?」
庭の土を調べると、あまり状態が良くなかった。そこでサラは、思い切って土を入れ替えることを決断。アイリの言う通り、ただいま入れ替え作業の真っ最中だ。
「いいえ、アイリさま。予め植える物を決めて頂かないと、それに合った土壌づくりが出来ません」
アイリは小さく首を傾げる。
「このところ毎日、熱心に土を弄っているじゃないか。何やらいろんなものを、中に鋤きこんでいるようだが、あれは土壌づくりではなのかい?」
珍しくアイリが会話に乗ってきた。この機を逃すまいと、サラも口調に力が入る。
「もちろん、あれも土壌づくりの一環です。いまお庭の花壇の土は、簡単に言うと栄養不足。栄養の不足した土では、植物は育ちにくく、綺麗な花も咲きません。園芸はまず、土づくりからです。だから、いま土に栄養を与えているところなのです」
「土の栄養か。窒素やマグネシウムなどの人工肥料のことだね」
「それもそうですが、人工肥料を使わなくても身近なものでこと足ります。例えばブナの落ち葉や古い漆喰、古い泥炭、森の腐土、川砂、沼土、池底の泥、木炭、馬糞、ミズゴケ、腐った切り株などなど。多種多様な物が、土に栄養を与えてくれます」
どう考えてもゴミとしか思えないものを、サラは毎日山のように屋敷に運んで来る。しかもそれらを宝物のように扱うので、マーサを呆れさせていた。
それらが土壌の栄養分になると聞いて、アイリは合点がいった様子。
「なるほどね」
「ですが、これはあくまで基礎です。これから植える物に合わせて、土を変えていきます。水捌けのよい土がよいのか、ふかふかの土がよいのか、それは育てる植物次第なのです」
「だから、早く植える植物を決めろと言うんだね」
そうです、とサラは大きく頷く。アイリは少し考えていたが、やがてポンと手を打つ。
「サラは、何を植えたい? それを聞かせておくれ」
「あたしですか?」
逆に質問されるとは思っていなかった。だが、問われれば答えましょう、とサラは一つ咳払い。
「そうですねえ。まずはスノードロップにクロッカスは必須。どちらも長い冬の終わりと、春の訪れを教えてくれる花です。庭には欠かせません。あとはアイリス、オダマキ、最近の流行でフリシア、ヒャクニチソウなんてのもいいですね。香りのよいのも欲しいからモクセイソウにラヴェンダー。花木ならリンゴやライラック、あとはバラ! それも蔓バラがいいと思うんです」
次から次へと妄想は膨らんでいく。いまサラの頭の中では四季折々の花々が咲き誇る庭の景色が、どこまでも広がっていた。
「おお、いいじゃないか。では、それで頼むよ」
だが、アイリの一言で、膨らんだ妄想はあっという間に萎んでしまった。見ればアイリは読書を再開し、こちらを見てすらいない。
露骨にため息を吐く。
「アイリさまは、まったく園芸に興味ないんですね」
「そう言っただろ。だから、サラを雇ったんだ。キミがその情熱を注いで、この裏庭を男爵家に相応しいものにしてくれればいい。口出しはしないから、好きにやるといい」
ひらひらと手を振るアイリ。いつもこの調子だ。
サラは腰に手をあて、主に詰め寄る。
「アイリさま、庭というのは庭師だけで造るものではありません。その庭の主と庭師が、理想と知恵を持ち寄って作り上げていくのです。そこには時間と信頼が欠かせません」
「それなら問題ない。僕はサラを信頼している」
まるで手ごたえがない。撒いても撒いても一向に芽の出ない種まきの様のような徒労感に、サラは肩を落とす。
もどかしいと同時に、サラとしては首を捻らずにはいられない。アイリは試験までして、優秀な庭師を探し求めていたはずだ。それにもかかわらず、なぜか庭そのものにはまったく興味を示さない。全てを任されるほどに信頼されている、わけではないのはサラでも分かる。
(何か別の目的があるのでしょうか?)
庭にとんと興味のないアイリが、サラの目下最大の悩みだった。
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