第二章 整形庭園と貴婦人の探し物②
「ところでサラ」
「はい」
声を掛けられ、項垂れていた頭を持ち上げる。
「今晩、人に会いに出かける。ついて来い」
「えっ、なぜです?」
ぽかんとするサラに、アイリは呆れた様子で答える。
「キミは、主人を一人で出かけさせるつもりか? どこへ行くにも、大概お付きの者を連れて行くのが貴族のマナー。しかも今日はいつも以上に大切な場なんだ」
「だったら尚更、なぜあたしなんです? いつもみたいにマーサさんが付き添うべきです」
「いつも以上に大切な場だからだ。マーサはあの通り、口が悪くて喧嘩っ早い。些細なことで、すぐ火が付く。普段は別にいいが、今日はさすがにまずいんだ」
普段はいいのか? と思いながらも納得する。ようするに消去法だ。
「畏まりました。でも、どなたに会うんです?」
「なに、ちょっと女王と会うだけさ」
「ああ、女王陛下ですか、……えっええ!?」
女王といえば、言うまでもなくこの国の頂点に君臨するお方。国民の敬愛と畏怖を一身に集める存在。
当然、サラはお会いしたことなどない。何かの折、新聞に掲載されたその美しくも凛々しいお顔を拝見するくらいだ。文字通り雲の上の人。
「では、行ってくる」
「それでは姐さん、ご武運を。サラもな。って、お前、手と足が同時に動いてるぞ」
呆れるマーサに見送られて、二人は馬車はゆっくりと動き出す。
「そんなに緊張するな。別にサラが女王に拝謁するわけじゃない」
「そ、そうですけど、あのシシングハースト宮殿に行くんですよ? 女王陛下と同じ
空間に足を踏み入れると考えただけで、あたしは震えが止まりません」
実際に震えているサラに、アイリは苦笑する。
シシングハースト宮殿は、リットンの中心に位置する女王の居城。そこに入れるなど、サラには想像すらしたことのない出来事だ。
春から初夏は、エルウィン島で一番美しい季節。長く寒い冬が終わり、日差しが暖かく降りそそぎ、庭では一斉に花が咲き出す。
そんな輝く季節の到来に合わせ、リットンでは『シーズン』と呼ばれる社交期が始まる。
「『シーズン』は『
「すべての貴族さまがですか?」
「ああ、そうだ。もっとも数百年前と違って、いまは貴族の数が多い。さすがに一斉に押し掛けると混乱を招く。そこで最近は、格式の高い家から順に、拝謁を願うことになっている。最上位の公爵家など、朝一から出掛けなくてはならないんだ。ご苦労なことだろ?」
アイリは声を上げて笑う。
「なるほどです。だから、アイリさまは、この時間なんですね」
「まあ、そういうことだ」
馬車の窓から見える景色は、すっかり闇に塗り潰されていた。
気を取り直し、アイリに話しかける。
「巷ではいろんな噂を耳にしますけれど、女王陛下って、一体どんな方なんですか?」
現女王は若くして、玉座についた。はじめはその若さを不安視されたが、いまでは口が裂けても、そんなことを言う者はいない。凡君ではない。だが名君か、はたまた暴君か、その判断が難しいというのが専らの評価。
女神の美しさと、獅子の勇敢さを合わせ持つと全国民から敬愛を集め、美しき雌羊の皮を被った獰猛な狼と他国からは恐れられる絶対なる支配者。その名に『勝利』を
サラから巷での女王の評判を聞くや、アイリは鼻で笑う。
「そんなのは尾ひれのついた、ただの噂話だ」
「そうですよね」
安堵に胸を撫で下ろす。
「本当の女王陛下は、もっと怖い。それこそ獅子や狼が、可愛く思えるくらいにね」
「尾ひれがついて、話が大きくなるなら分かりますが、逆に丸くなることもあるんですね。知りませんでした」
「真剣に世界を征服する、とか言い出しかねない人だからな」
肩を竦めるアイリ。
獅子や狼より怖くて、なによりアイリにここまで言わせる。我が国の女王陛下は、あの美しい顔の下に一体どんな本性を隠しているのか。考えただけで、身震いしてしまう。
「さあ、着いたぞ」
出迎えの使用人が開けてくれた扉から、アイリに続いて、馬車を降りる。外へ出た瞬間、サラは呼吸を忘れた。
そこは光に溢れていた。もう夜だというのに、光の前に闇は払われ、昼間のように明るい。いや、太陽が雲の後ろに隠れることの多いエルウィンの昼間よりも、むしろ明るいのではないと思ってしまう。
光の宮殿。そんな言葉が、頭に浮かんだ。
溢れる光の下で、人びとが輝いている。絹のドレスや胸に飾られたルビー、金縁の眼鏡が光を反射していた。不思議な世界に迷い込んだ気になってくる。
着いたのは宮殿の大玄関。そこから二階に上がり、待合の部屋へと通された。正直、その間の記憶がサラにはない。ふわふわと宙に浮いているような足取りで、気付いたら流れ着いていた。
「女王に拝謁してくる。サラは、ここで待っていろ」
アイリの声で我に返り、慌てて主の背中を見送る。
待合室というには広すぎる空間。その片隅で、サラはぼんやりとアイリの帰りを待つ。部屋には幾人もの侍女や従者が、同じように主の帰りを待っていた。
(はて?)
ふと、サラは首を傾げた。何やら視線を感じる。チラチラとこちらを伺うような視線。くすくすと笑う声も聞こえてきた。どれもサラに向けられているような気がする。
(何かやらかしたかな?)
サラが注目を集めるのは、決まって不手際の時。そう思って顧みるが、残念ながら心当たりしかない。考えるほど、あれもこれも不手際に思えてくる。
「ねえ、あなた。あなたって、あの女の使用人よね?」
頭を抱えていたサラに、声が掛かる。顔を上げると三、四人の侍女が立っていた。どの顔にも張り付けたような笑みが浮かんでいる。
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