第二章 整形庭園と貴婦人の探し物⑤
「お願いです、中へ入れて下さい! 女王陛下に拝謁を!」
大玄関は拝謁をすませ帰る者で、いまだ混雑していた。
その大玄関に、女の悲痛な叫びが響く。その場にいた全員の視線が、一斉に声の主に向けられる。アイリと帰りの馬車を待っていたサラも、何事かと目を向けた。
叫び声の主と思しき女が、衛兵と何やら揉めていた。女の身なりは美しいが、必死で衛兵に食い下がる姿には鬼気迫るものがある。振り乱した髪には、三本の羽根が飾られていた。
「何かあったんでしょうか?」
「恐らくは女王に謁見を願い出た彼女を、資格がないからと衛兵が止めているんだろう」
その頃には周囲も状況を理解したらしく、誰も騒ぎ立てるような者はいなかった。
「ほらあれ、噂のシムネル公爵のところの」
「ああ、あれが。まあまあ、必死だこと」
あちらこちらから忍び笑いが聞こえてくる。その響きが、サラには不快だった。
「有名な方なんですね。皆さん、知ってみえるようです」
「シムネル公爵のご婦人だ。ある意味、いまリットンで一番有名なご婦人でもある」
当然アイリも知っているようだが、その声音には必要以上の感情は籠っていなかった。そのことにサラは安堵する。
「あんなに取り乱されて。何とかしてあげられないんですか?」
「規則だからな」
やきもきしているサラを置いて、そのまま馬車の方へ向かおうとするアイリ。だが、不意にその足が止まる。
「アイリさま?」
「亡くなったシムネル公爵は、大変な園芸家だったという話だ。珍しい植物を多く取集していたとか……」
アイリが園芸に興味を持ってくれるのは嬉しい。だが、なぜいま急に話題にしたのか分からず、サラは困惑気味に主の様子を伺う。
そんなサラの戸惑いを他所に、アイリは人混みを縫って歩き出す。慌ててサラも、その後に続く。
「失礼。少しよろしいか?」
いまだ揉めている女と衛兵に近づくと、アイリはそう切り出した。キッと涙に濡れた目で、女はアイリを睨みつける。邪魔するな、と言わんばかりだ。
だが、その程度のこと気にするアイリではない。
「僕はアイリーン・ガーネット。
はっ、と女の顔に驚きが溢れる。そのまま茫然とアイリの顔を見つめるシムネル夫人から、強硬な雰囲気は消えていく。代わってその目からは、新たな涙が零れる。そして何度も小さく頷いた。
衛兵と並んで様子を見守っていたサラだが、突然の軟化にただただ驚く。それでもアイリの目配せで、慌てて崩れそうな夫人の体を支える。そのまま三人でガーネット家の迎えの馬車に乗り込んだ。馬車の中から見えた衛兵の安堵した顔が、妙に印象的だった。
夫人が落ち着くまで、少し時間を要した。
揺れる馬車の中で、サラは夫人の様子を伺う。美しい女性だと思う。小麦色の肌と、ウェーブのかかった黒い髪に、異国の風を感じる。いまは憔悴し、頬もこけ、本来は弾ける様であろう魅力がなりを潜めていた。サラはそれを残念に思う。
「先程は大変失礼しました」
絞り出すようにして、夫人は言葉を口にした。
「大丈夫ですか? 気分が優れないようでしたら、我が家で休んでいかれては?」
アイリの提案に、シムネル夫人は首を振る。
「家で子供たちが待っていますので、このまま帰ります」
「分かりました」
御者に向かって、アイリは行き先の変更を指示する。窓の外は暗く、等間隔に並んだガス灯の灯りだけが、ぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
「私はマリス。マリス・シムネルと言います。ご存じだとは思いますけど」
そう名乗ると、シムネル夫人は自虐めいた笑みを零した。
「ええ、存じ上げております。あらためまして、僕はアイリーン・ガーネットです。お見知りおきを」
「かねがね噂は伺っていました。お会い出来て光栄よ」
「こちらこそ」
差し出された夫人の手を下から支え、アイリはその甲にうやうやしく口づけした。見惚れるくらい優雅な仕草だが、サラは何故かドキドキしてしまう。
「今夜あの場にお見えになったのは、やはり女王に直接状況を訴えられるためですか?」
「ええ。なんとか女王に苦境を知って頂き、情けにすがろうと。無理は承知のことです。ですが、他に手もなく……」
シムネル夫人は目頭を押さえ、アイリは深くため息を吐く。一人だけ事情の分からないサラは、重苦しい雰囲気に、ただひたすら大きな体を小さくしていた。そんなサラに、ようやくアイリが気付く。
「紹介が遅れました。こちらは当家の侍女兼、
「はい。あたしがサラで――、ぐえっ!」
いきなり自分の名前を出され、サラは焦った。挨拶しなければと、急いで立ち上がったのが間違い。低い馬車の天井に、勢いよく頭をぶつけた。派手な音と共に頭を襲う激痛。目玉が飛び出るほどの痛みに、堪らずその場に
あまりのことにアイリはこめかみを押さえ、シムネル夫人は泣くのも忘れて唖然となる。
「さ、サラ・サザーランドです。お、お見知りおきを」
顔を上げ、なんとかそれだけは言い終えると、ふたたび蹲る。激痛をやり過ごしていると、ふふふっ、と零れるような笑い声。もう一度顔を上げると、堪えきれないといった様子で夫人が笑っていた。
「面白い子ね。女の子なのに庭師なの?」
「あっ、はい、そうです」
出会って初めて見る夫人の笑顔は、思っていた通り素敵だった。
場がようやく明るくなったころ、馬車はシムネル邸の門を潜る。シムネル邸は灯りが消え、暗闇に沈んでいた。夜遅い時刻とはいえ、主の妻が帰宅したというのに、灯り一つ点いていないのが気になった。
玄関前で夫人を下した時も、迎えに出てくる者は一人もいなかった。
「数日のうちに、様子を伺いに上がります」
そう約束して馬車に乗り込むアイリ。
ようやくランプを下げた大柄な男が、屋敷から出て来た。男に声を掛けてから、夫人は馬車の中のアイリを見上げる。その顔に少女のような笑みを浮かべて。
「あの時、『ダッチェス』と呼んで下さいましたね。とても嬉しかったわ。おやすみなさい、女男爵ガーネット」
一瞬、虚を突かれたような顔をしたアイリだが、すぐにニコリと微笑み返す。
「おやすみなさい、ダッチェス」
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