第二章 整形庭園と貴婦人の探し物⑥
「サラ、さっきは助かったよ」
帰りの馬車の中、突然アイリはそう切り出した。だが、サラには礼を言われる心当たりがまるでない。
「なんのことですか?」
「馬車の天井に頭をぶつけたことさ。あれで夫人の心持ちが、随分とほぐれた。暗い雰囲気を察して、わざとドジを演じてくれた……なんてことはないか」
「当り前です。買い被らないで下さい。通常運転です」
自信満々の答えに、アイリは苦笑する。
「威張るな。だがサラのドジも、たまには役に立つということだな。何はともあれ、助かったよ。女性の涙は苦手なんだ」
「シムネル夫人、随分とお困りのご様子でした。一体、何に困ってみえるのですか?」
「夫であるシムネル公爵が去年亡くなって、彼女はいま継承問題に巻き込まれているんだ。シムネル家はエルウィン貴族の中でも屈指の名家だからね。いやが上にも注目を集める」
「継承問題ですか? お子さまはいらっしゃるようでしたが」
継承で一番問題となるのは、跡継ぎがいない時。だが、シムネル夫人は、家で子供たちが待っていると言っていた。
「ああ、確か子供は男女一人ずついるはずだ。貴族の相続制度は、
「問題になっているってことは、普通ではないんですね」
「そういうことだ。問題は彼女の立場。もともと彼女は貧しい労働者階級の出身で、劇場で踊り子をしている時、シムネル公爵に見初められたらしい」
「おお、身分を越えて結ばれたわけですね。そういうの憧れます。小説みたいで」
「意外なことを言うね。ちなみに、法律的には階級を越えた結婚も認められているし、その事例も幾つかある。だが、下らない面子や体裁を気にするのが貴族だ。周囲からは結婚を猛反対されたらしい。なまじ名門だから、余計に風当たりも強い。結局、公爵は周りに配慮して、正式な結婚はせず内縁の妻という形にして事を納めた」
アイリは頭の後ろで手を組み、馬車の天井を見上げる。
「それだと問題があるんですか?」
「大ありさ。内縁の妻だと、形式上は赤の他人。当然、彼女の息子に継承権は発生しない」
「えっ、公爵の血を引いているのに? じゃあ、夫人はどうなるんですか?」
「血を引いていようが、庶子には何の権利も認められていない。故人に男子がいなかった場合、男系の血筋を順にたどり一番近い親戚に相続人を求める。そして赤の他人である彼女と子供たちを、屋敷に残しておく必要はない。行く宛もないのに、屋敷を放り出されることになるだろう」
「そんな!」
サラの声が大きくなる。
「当然、彼女も不服を申し立ているが、ひっくり返すのは難しいだろうな」
「では、どうするんですか?」
勢い込むサラに、アイリは首を傾げる。何を訊かれているのか、とんと分からない様子。
「どうもしない。さっきも言ったけど、そういう規則だ」
「えっ!? でも、先程夫人に助けに行くと言ってたじゃないですか?」
「言葉は正確に聞くんだ。僕は様子を伺いに行くと言っただけで、誰も助けに行くなんて言ってない」
「言ったも同然です!」
いまにも泣き出しそうな顔で訴えられ、アイリは困り顔でこめかみのあたりを掻く。
「いいか、サラ。貴族の継承問題はいまに始まったことじゃないし、それほど珍しいことでもない。今回世間の注目を集めているのは、最高位の公爵家のスキャンダルだからだ。第一、全てを引き継ぐ長子と、何も与えられない次男以下。そこですでに不公平が生じている。問題が起きないはずがないんだ。まともに取り合っていたらキリがない」
「だったら、どうして様子を伺いに行くなんて言ったんです?」
「それは園芸家として有名なシムネル公爵の庭を見るのに、いい機会だと思ったからだ」
サラも見てみたいだろ、と訊き返された。
いつもなら二つ返事するところだが、今回ばかりは素直に首を振れない。
「アイリさまは、シムネル夫人のことを『ダッチェス・シムネル』とお呼びになりました。『ダッチェス』は公爵夫人の尊称です」
「気付いていたのか」
アイリは苦笑する。
「喜ばれていたじゃありませんか、シムネル夫人。きっと、いままで誰も呼んでくれなかったんだと思います。周りすべてが敵である彼女にとって、たった一人でも味方がいることほど、救われることはありません。期待には、全力で応えてあげましょうよ」
「あれは、少しでも夫人の気を引くために――」
「アイリさまも、嬉しかったはずです。公爵夫人に、女男爵と呼ばれて」
「……」
去り際に掛けられたシムネル夫人の言葉と、その時のアイリの表情を、サラははっきりと覚えている。
アイリは恨みがましい目でサラを見つめていたが、最後は根負けしたかのように、長いため息を吐く。
「分かった。やれる事はやってみよう。とにかく明日、夫人を訪ねて話を聞く。全てはそれからだ。当然、サラも同行するんだぞ」
「もちろんです! ありがとうございます」
深々と頭を下げるサラ。
「先に言っておくが、僕でも必ず解決出来るわけではない。そのことは忘れるなよ」
「大丈夫です! アイリさまなら、必ず解決できます!」
「僕以上に、僕の能力を信用するのはやめてくれ」
うんざりした顔で、アイリは窓の外を見ていた。
翌日、アイリはサラを伴い、シムネル公爵邸を訪ねた。
「
シムネル夫人自ら出迎えてくれた。一晩経ったからか、落ち着きを取り戻し、血色も多少良くなっている。そして、アイリを見るなり、くすりと笑った。
「ふふふ、嬉しいわ。素敵な紳士さまを迎えられて」
「お褒めに預かり、光栄です」
アイリは慇懃に頭を下げる。
今日のアイリはラウンジスーツに、半球状の山高帽を被り、靴は踝まであるショートブーツ。手にはアニマルヘッドのステッキ。昨夜から一転、ふらりと散歩に出掛けたようなカジュアルな服装だ。
夫人に案内され、邸宅の中へ。さすが最高位の公爵邸だけあって、シムネル邸はアイリの邸宅より遥かに広く、造りも立派だった。
(建物は立派なんだけど……)
広い室内を案内されながら、サラは胸のうちで呟く。
その広大な邸宅に対し、調度品の類は少なく、がらんとした印象を受ける。掃除や手入れも、所々行き届いていない様に見えた。相変わらず使用人の姿も見かけない。
「見苦しい室内でごめんなさい。夫が亡くなってから、使用人たちが次々辞めてしまって、残ってくれた者たちだけでは手が回らないの。調度品なんかも、親戚の者が勝手に持ち出してしまって……」
サラの胸中を察したのか、シムネル夫人は困り顔で教えてくれた。
「ご苦労の程、お察しします。弱った獲物に集るのは、貴族も獣も同じ。返す手の平を持たない獣の方が、まだ可愛げがある」
「あなたも苦労なさったのね」
吐き捨てるように言ったアイリに、夫人は優しく微笑んだ。
「今日は太陽も出ているし、風も穏やかだから、テラスでお茶にしましょう。太陽の出ている日にお茶を楽しまないのは、雨の日に傘を持たないで外出するようなものだわ」
エルウィンではお馴染みの諺を口にしながら、夫人はアイリたちをテラスに案内する。
テラスからは、庭が一望できた。
(す、素晴らしい!!)
サラは叫び出したい衝動を必死に堪え、駆け出しそうになる足を懸命に宥めた。
まずサラを圧倒したのはその広さ。見渡す限り、緑の景色は続いている。次にその緻密さ。庭の中央を真っすぐに通る池がある。その池を中心に、庭は幾つかに区画分けされ、区画ごとに様々な草花が植えられていた。
初夏を迎えるこの時期、庭は最も美しくなる。久しぶりに顔を出した太陽の光を浴びて、池の水面は輝き、溢れんばかりの緑が萌える。
「サラ、今日の目的を忘れるなよ。庭を見て回るのは、話を聞いた後だ」
「そ、そんな……」
極上の餌を前に、「待て」と言い渡された犬の気分。もはや一種の拷問だ。
「さあ、お茶にしましょう」
ようやく姿を見せたメイドが、テラスにお茶の用意をしていく。
「あなたもお掛けになって」
夫人はサラにも声を掛ける。思いもかけないお誘いに恐縮するサラを、夫人は強引にアイリの隣に座らせた。
どぎまぎしながら席に着いたサラだが、テーブルの上を見た途端に目を輝かせる。そこには庭の花のように鮮やかなジャムタルトが並んでいた。生地にジャムをのせて焼いただけのシンプルだが、エルウィンのティータイムに欠かせないお菓子。特に中央に置かれた、大きなタルトが目を引く。
「急なことで簡単な物しか用意できなかったけど、我慢してね」
夫人は小さく舌を出す。
それでもジャムタルトは華やかで、美味しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます