第二章 整形庭園と貴婦人の探し物④

「さて、女王への挨拶も済んだ。そろそろ帰ろうか」


「もうですか? 下の大ホールでは舞踏会が行われているそうです。折角来たんですから、踊っていかれてはどうですか?」


「舞踏会というのは、ようやく飛び方を覚えた雛鳥たちが集まるところだよ」

「雛鳥、ですか?」


 首を傾げるサラに、アイリは説明を加える。


「十六、七歳になると、貴族の令嬢たちは社交界にデビューする。中には十五歳でデビューを迎える子もいるな。そんな心浮き立たせたご令嬢の初舞台が、あの大ホールの舞踏会なんだ。今夜もきっと、多く雛鳥たちが集っていることだろうよ」


 ちなみに女性の髪に飾られた羽根は、二本だと未婚、三本だと既婚を表すと教えて貰った。


「なるほど、そうなんですね」


 深く頷きながらサラは感慨深げに、隣に並ぶ女主人の顔を見つめる。


「なんだ、その顔は? 非常に腹が立つぞ。何か下らないこと考えてないか?」


 不審に感じたのだろう、アイリは背を逆立て威嚇する子猫のような顔でサラを睨む。


「いやいや、そんなことはありませんよ。ただ、アイリさまも一、二年後には社交界デビューか、なんて思ったら感慨深くって。子供の成長は―――ぎゃあああ!」


 唐突に走る激痛に、サラは脛を抱えて蹲る。


「一体、僕を幾つだと思っているんだ? 今年で十九だぞ! 社交界デビューなんて、遥か昔の出来事だ!」


「えええっ、まさかの年上!?」


 精々十四、五歳と思い込んでいた主が、自分より二歳も年上だという事実。サラは驚愕する。


「屈辱的だ。まさか童顔のサラにまで年下と思われていたとは……」


 唇をかんで悔しがるアイリ。サラは急いで謝罪する。


「も、申し訳ありません。ですが、若く見られることは良いことじゃないですか?」


「うるさい! さっさと帰るぞ。今日はリットン中の貴族が集まってくる。煩わしい奴と顔を合わせて、これ以上不快な気分に――」


「相変わらず奇抜な格好をされておられますな、ミス・ガーネット。いや、ミスター・ガーネットとお呼びした方がよろしいですかな?」


 不意に背後から声がかかる。反射的に振り返ったサラの耳に、横から鋭い舌打ちの音が飛び込んで来た。


 後ろに立っていたのは、燕尾服テイルコートを着た背の高い男。整った顔立ちで、上品に口ひげを生やしている。いかにも貴族然とした紳士だが、その顔に浮かべた笑みが胡散臭い。


 一目で嫌な奴と断定しながらも、サラはその顔に不思議な既視感を憶えた。当然、顔見知りのはずもはないのに。


「ロード・ガーネットもしくは、女男爵バロネスガーネットとお呼び下さい、叔父上。いいえ、ミスター・ランドルフ」


 長身の紳士と向き合ったアイリは、毅然と言い放つ。

 瞬間、男の顔から笑みが消え、こめかみのあたりに青筋が浮かび上がる。


 思わずサラは喝采を上げそうになり、慌てて口を押さえた。


(いや待って、待って! いま叔父上って――)


 はっ、としてもう一度、男の顔を見る。既視感を覚えるはずだ。確かにその顔立ちはアイリを思い起こさせる。


 だが、アイリのような輝きはそこにはなく、逆に言い知れぬ暗さを帯びていた。


「そのような格好で女王陛下に謁見するつもりか。恥を知れ! 一族の面汚しが!」


 潜めてはいるが、鋭い声が飛ぶ。先程までの貴族然とした雰囲気は霧散し、男は剥き出しの敵意をアイリに向ける。その豹変ぶりに、思わずサラは半歩後退った。


「ご安心下さい。女王への謁見は、もう済ませました。この格好も、大変喜んで頂けました。もしお疑いでしたら、どうぞ女王に直接お伺い下さい」


 ランドルフの敵意も、どこ吹く風。アイリは澄まし顔で答える。

 ふん、と忌々し気に鼻を鳴らすと、ランドルフは大股でサラの横を通り抜けていく。


「ところで叔父上、我が家から『青い花』が持ち出されました。お心当たりはありませんか?」


 この場を離れようとしたランドルフを、アイリは呼び止める。いままで聞いたことのない冷たい響きに、サラは反射的にアイリを見た。刃物のような鋭い眼光。その光にたじろぐ。


「し、知るわけないだろ! 無礼な!」


 叫ぶように喚くと、ランドルフは足早に奥の人混みへと消えていった。その姿が見えなくなったのを確認し、サラは大きく胸を撫で下ろす。心臓はまだ、激しく胸を叩いていた。


「大丈夫か?」


 気遣う声に、横を見ると、アイリがこちらを見上げている。先程が見間違いであったかのように、いつもの変わらぬ不敵な笑みが浮かんでいた。


「すまなかった、見苦しいところを見せて」


「いえ、大丈夫です。ちょっと、びっくりしただけで。先程の方は、アイリさまの叔父上さまなのですか?」


「そうだ。父の弟で、僕の叔父にあたるランドルフ・シーフィールドだ」


 どこか困った様子でアイリは答える。


「なんか随分とアイリさまに突っかかってきましたね。顔を合わせたくない煩わしい奴って、あの方ですか?」


「ああ、彼もその一人だ。僕がガーネット家を継承したのが気に入らなくて、事あるごとに突っかかってくる。どうしようもない小心者さ。やり込めるのは容易いが、煩わしくてかなわない。出来れば顔を合わせたくなかったんだ」


 先程のやり取りを思い出す。


「そういえばミスター・ランドルフと呼ばれた途端、顔色を変えていました。どうしてですか?」


「貴族の呼び掛け方には、爵位や立場によっていろんな決まりがあるんだ。『ミスター』は子爵以下の息子や、爵位のない者を呼ぶときに使う。彼は男爵位を継げなかったことを恨んでいて、爵位を保持していないことを気にしている。だから、あえて『ミスター』と呼んでやったのさ」


「つまり皮肉ですね」


 少々呆れ気味のサラに、心外だ、とアイリは反論する。


「最初に仕掛けてきたのはあっちだ。彼は僕を『ミス』と呼んだ。あれは子爵以下の貴族の娘への呼び方なんだ。つまり僕を男爵と認めていない、そう暗に匂わせたんだ。だから、男爵への呼びかけ方である『ロード』に訂正してやったのさ」


 ちなみに伯爵以上の貴族の娘になると、『レディ』と呼び名が変わる。夫人の場合も、侯爵以下の夫人は『レディ』だが、最高位の公爵夫人だけは『ダッチェス』となる、とアイリは付け加えた。


「あの短い会話の中で、それだけの応酬があったわけですね。凄いと言うべきか、なんとと言うべきか。まるで子供の喧嘩ですね」


「キミがそんな顔をするな! サラに呆れられると、なんか腹立たしい」


 兎にも角にも、アイリと叔父ランドルフの仲が、良好でないことは分かった。サラはその事を胸に留めておく。


 そのまま二人でわいわい言いながら、大玄関の方へ向かう。


「そういえば『青い花』がどうとか、訊ねてみえましたけど……」


「何でもない。気にするな」


 あらぬ方向を向いて、アイリは答える。


「そうですか」


 明らかに何かありそうだが、サラはそれ以上訊ねなかった。

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