プロローグ②
サラを乗せた馬車は、街中を風のように駆けていく。往来の人びとを脇に押しやり、立ち並ぶ露店を蹴散らし、邪魔な物は粉砕して進む。
もはや暴走だ。
馬車の上はといえば、天地もひっくり返るほど揺れる。どちらが前か後か、上か下かも分からない。振り落とされないよう縁にしがみ付き、胃の中からせり上がって来るものに必死で耐える。
「
風の中で声を聞く。
気付けば泥棒の馬車に追いついていた。少女は馬車を、相手の馬車と並走させる。驚いたのは泥棒たち。顎が外れたかのように大口を開け、飛び出さんばかりに見開いた目でこちらを見ていた。気持ちはよく分かる。
少女は追撃の手を緩めない。巧みに
絡み合う様にして、二台の馬車は進む。相手も二人、こちらも二人。御者席の位置はこちらが高く、上と下で互いに相手を
無言の睨み合いは、それでもすぐに破られる。最初に気付いたサラが悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ、ま、前!」
進行方向に急カーブが迫っていた。この猛スピードでは、とても曲がれそうにない。カーブの先は、街を貫く巨大な運河。
「ま、曲がれるんですか?」
祈る気持ちで、隣の少女に怒鳴る。
「いや、無理だ」
無情にも祈りは
「ど、どうするんですか? このままでは運河にドボンですよ?」
「確かに、海水浴には少し早いな。飛び降りよう」
「えっ!?」
我が耳を疑うサラを
宙を舞う少女。太ももまで剥き出しになった、真っ白な足。驚きに満ちた泥棒の赤茶けた顔に、その膝がめり込むのを、サラは確かに見た。
少女と泥棒の一人が、転げるように馬車から落ちていく。残されたサラと、もう一人の泥棒の目が合う。サラの鞄を引っ手繰った奴だ。
その瞬間、珍しくサラの中に怒りのようなものが込み上げてきた。
馬車の席を蹴り、泥棒目掛けて、体ごとぶつかっていく。泥棒も反応していたが、サラの方が早い。もつれる様に宙に投げだされた。視界が暗転し、天地が目まぐるしく変わる。叩きつけられた衝撃と、固い地面を転がる感触。
手放しかけた意識を引き戻したのは、強大な破壊音。弾かれるように顔を上げると、水柱が見えた。カーブを曲がり切れなかった二台の馬車が、柵を突き破り、運河に飛び込んだに違いない。
我に返り、慌てて状況を確認する。体の節々が痛い。だが、どうやら無事のようだ。泥棒は、サラの下でのびていた。
「見事だ、レディ」
声の方向に首を捻じ曲げれば、目を回して倒れているもう一人の泥棒。そしてそれを踏みつけにして、凛然と見下ろす少女の姿。純白だったウエディングドレスは所々破れ、汚れてもいた。顔には無数の擦り傷。
それでも、その姿は輝いている。
出会って初めて、サラはその少女の顔をまともに見た。
スノードロップの花を思わせる白い肌をカンバスに、太陽の光を浴びて輝くマリーゴールドのような金髪、頬を薄くサルビアの朱に染め、タチアオイのような赤みを帯びた唇。そして何より目を引くのは青い瞳。その色だけは、どの花にも例えることが出来ない。もしそれでも何かに例えるとしたら、
(空の青だ。エルウィンの人が憧れてやまない、高く澄んだ青い空の色)
一つ一つのパーツが高水準。そしてそれらが完璧なシンメトリで配置されていた。まるで
「あ、あの……」
「おっと、どうやら今度は、僕の追手が迫っているようだ。これで失礼する。力になれなくて、申し訳ないね。縁があれば、またどこかで会おう。謝罪はあらためてその時にでも」
そう言い残すと、少女はドレスの裾を
「な、名前を!」
何か言わなければと焦る気持ちが、なんとか震える声を絞り出す。振り向いた少女は、少し迷うそぶりを見せたが、すぐに太陽のように輝く不敵な笑みを浮かべた。
「僕は、バロネスだ」
そう言うと、少女は来たのとは逆方向に消えていった。一人取り残されるサラ。
――風のように去っていかれた。いや、文字通り嵐のような人でした。
急にずっしりとした疲労感が体を襲う。胸はまだドキドキしていた。だが、気分は悪くない。
「それにしても、謝罪って何のことだろう? あっ!」
馬車と共に沈んだであろう鞄のことを思い出し、いまは穏やかな運河の水面を、サラは
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