女男爵の庭師

しそたぬき

プロローグ①

 太陽の沈まぬ国。


 世界各地に広がった領土の、どこかでは必ず太陽が姿を見せている。それほどに領土が広大なことを示し――多少のやっかみを含むことはあれ――、その国の繁栄を讃える言葉。有史以来、幾つかの国がその言葉を頭上に冠してきた。実に誇らしげに。


 だが、何にでも例外はある。現在の海洋を支配し、世界中に領土を広げているエルウィン王国だ。


 もし、あなたがこの言葉をエルウィン人に贈ったなら――そこにどれだけの賞賛が込められていたとしても――、彼らは柔和な笑みを引っ込め、激怒することだろう。なんてひどい皮肉なんだ、と。


 太陽の通り道から北へ遠く離れた王国の本土エルウィン島は、一年の大半を灰色の雲が覆っている。沈まないどころか、滅多に太陽の姿すら拝むことが出来ないのだ。諸国に先駆けて推し進めた近代工業化のお陰で、領土は広がり、生活は豊かになった。だが、主だった都市ではスモッグが発生。より太陽の姿を遠ざける結果になったのは、なんとも皮肉だ。


 おまけに気候は冷涼で、植物にとって厳しい環境。だから、彼らの庭はいつもモノクロだった。


 今や世界を席巻するエルウィン王国の人びとが、本当に望むもの。それは輝く太陽と、高く澄んだ青い空、そして花に溢れた庭だった。



 サラは走っていた。


 ここはエルウィン王国の首都リットン。綺麗に整備された街並みは美しく、通りは往来する人々で賑わっている。田舎育ちのサラにとっては、目に映るすべてが新鮮だった。その中を、サラは駆ける。足を踏み出すたび、長いおさげが大きく揺れた。


 流れる汗を拭いながら、サラは田舎に暮らす祖母のことを考えていた。


(ばあちゃん、知っていますか? リットンは凄いところです)


 落ち着いたら、今日の出来事を手紙を書こうと思う。そして祖母に送るのだ。


(駅には蒸気で動く巨大な鉄の乗り物が並び、通りには人が溢れ、着飾った紳士淑女の皆さんをそこかしこで見ることが出来ます。そのせいでしょうか、残念ながら犯罪も多いです。少しでも荷物から目を離すと、あっという間に盗まれてしまいます。嘘ではありません。だから、ばあちゃんもリットンに来る際は気を付けて下さいね)


 祖母へ宛てた空想の手紙を締めくくると、サラはもう一度大声で叫ぶ。


「泥棒! 鞄、返して下さい!」


 まさか首都に着いたその日に、ひったくりに会うとは。自分の不運と不注意を呪いながら、サラは走る。前を走る泥棒を追いかけて。


 盗まれたのは、旅行鞄トランク。幸い、金銭の類は肌身離さず身に着けている。鞄に入っているのは、着古した衣類や生活用品。盗んでも大したお金になりませんよ、と泥棒に忠告したいくらいだ。


 だからと言って、諦める事は出来ない。鞄にはサラが働くことになっている、雇用先への紹介状が入っているから。


(あれだけは、取り戻さないと)


 必死で走ったおかげで、じわり、じわりと距離が詰まってきた。


 サラの執念が実ろうとした時、横を運搬用の荷馬車が駆け抜けていった。前を行く泥棒は、その幌のない荷台にサラの鞄を投げ入れ、次いで自分も飛び乗る。馬のいななきを残し、荷馬車は見る間にサラとの距離を広げていく。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。ようやく状況を理解すると、大声で叫ぶ。


「ずるい! 仲間、いたんですか?」


 あと少しという所まで追い詰めていただけに、落胆は大きい。なにより馬車を追いかけるのに、徒歩では無理だ。追い付くには馬車がいる。でも、そんな物どこに?


 諦めかけたその時、頬に疾風を感じた。


「お困りのようだね、レディ。乗っていくかい?」


 いつの間にか、サラの横を一台の馬車が並走していた。こちらは二頭立ての無蓋四輪馬車。これぞ神さまの助けだ!! 普段碌に祈りもしない神に向かって、サラはありったけの感謝を叫ぶ。


「ありがとうございます。ぜひ乗せて――」


 高い位置にある御者席を目にした瞬間、サラの言葉も思考も停止した。そこにいたのが、純白のウエディングドレスを身にまとった少女だったから。眩しい笑顔と共に、こちらへ手を差し伸べている。


「???」


 あまりに非現実的な光景。一瞬、自分が夢の中にいるのかと疑いたくなる。だが、焼けるような胸の痛みと息苦しさは、どう疑っても現実。


 それでも数秒後には、サラはこの状況を受け入れた。深く考えるのは苦手だし、何よりここは花の都リットンだ。


(まあ都会なら、そう言うこともあるよね)


 それに迷っている時間はない。意を決して、その手を取る。思いがけず強い力に引き上げられ、御者席の隣にい上がった。


「前の馬車を追って下さい。泥棒が乗っているんです」


「分かっている。しっかり捕まっていろ。飛ばすぞ!!」


 少女が鞭を一閃。馬に気合いをつけるや、馬車は一気に加速。顔に当たる風が、途端に凶器に変わる。


「わわわわわわわあっ!」


 後ろへと猛スピードで流れていく自分の悲鳴を聞きながら、サラは再び祖母に語り掛ける。


(ばあちゃん、さすが花の都は一味違います。リットンではウエディングドレス姿の美しい少女が、なんと馬車を繰るのです。しかも、猛スピードで!)

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