第二章 整形庭園と貴婦人の探し物⑩
「これが、公爵が残された愛の証です」
アイリは一通の封書をシムネル夫人に差し出す。封書は土で黒く汚れていたが、口は堅く閉じられていた。
「どこでこれを?」
大きく目を見開いた夫人は、封書を手に取る。その手と声は、震えていた。
「庭の外れに、十二人の聖人が佇む花壇があります。その中の一つ、とある聖人のトピアリーが立つ花壇。そのプリムラの花の下に埋まっていました」
「あの魔女の花壇にですか」
「魔女の花壇?」
夫人が口にした耳慣れない言葉に、今後はアイリが訊き返す。
「ええ、大分昔のことですが、『裏庭の魔女』と呼ばれる庭師を家に招いたことがあります。その時に主人と庭師長、『裏庭の魔女』の三人で設計したのが、あの花壇です。それ以来、うちでは魔女の花壇と呼んでいました」
「へえ~魔女って本当にいたんですね」
意外な話に、サラはポツリと呟く。
「それより、なぜ、そんな所に? いえ、どうしてそこにあると分かったんですか?」
夫人の当然の質問に、アイリは気を取り直し、説明を始める。
「随分と遠回りをしました。答えはずっと目の前にあった。そう、あなたのペンダントです。格子柄の透かしはノット花壇を、中央に施された花はプリムラを表していたんです。彫り込まれていた『天国の門の鍵』という言葉も、プリムラと繋がります」
それはある聖人とプリムラに
「そんな逸話が……。だから、プリムラの下に埋まっていたんですね」
夫人が驚くのも無理はない、とサラは思う。なにしろサラもつい先程、同じように驚いたばかりだ。そしてサラを驚かせたことがもう一つ。
「ちなみに通常のプリムラの花びらは、サラの言う通り五枚。それぞれが『誕生』『入門』『達成』『休息』『死』を表します。だが、まれに六枚の花びらを持つひねくれ者がいる。そして六枚目の花びらは、結婚に幸福をもたらすと言われています」
全ての話を終えた、アイリは大きく息を吐く。夫人はもう、何も言わなかった。
静かに六枚花弁のプリムラを見つめる夫人を残し、アイリとサラはそっとシムネル邸を後にした。
「封書の中には、何が入っていたんでしょうね?」
馬車に揺られながら、サラはアイリに訊ねる。
「恐らく公爵の署名と、教会の承認印の入った結婚証明書だろ。あとは夫人が署名すれば、結婚は成立したとみなされる。子息に継承権が渡り、彼女もあの邸宅から追い出されなくてすむ」
「よかったですね」
満面の笑みを浮かべたサラに、アイリは不機嫌な顔を向ける。
「全然よくない! 結局、あの庭に僕の探し物はなかった。骨折り損もいいところだ」
「何か探してたんですか?」
「何でもない!」
先程まで公爵夫人相手に謎解きを披露していた凛々しい姿はどこへやら。いまの姿はただの拗ねた子供。そんなギャップが可笑しくて、可愛くて、サラは笑う。
「もう、そんなに邪険にしないで下さいよ! それに格好良かったですよ、謎を解くアイリさま」
「サラに言われても嬉しくない!」
言葉とは裏腹に、満更でもなさそうな顔をするアイリ。ますますサラは嬉しくなる。
「もう照れちゃって。アイリさまが居なかったら、きっと夫人も鍵を見つけられなかったはずです。公爵さまも、きっとアイリさまに感謝されてますよ」
「それは、ない」
意外なほど冷静な声が、はっきりと否定する。おっ、サラは驚く。
「どうしてです?」
「公爵は抜かりない人だったと言っただろ? 夫人が答えに辿り着けなかった時のために、ちゃんと保険を用意されていた」
「保険?」
「あの
武骨な雰囲気を身に纏った庭師の髭面を思い出す。
「どうして、そう思われるのですか?」
「プリムラは他の聖人の花壇にも植わっていた。だから封書の隠し場所を探し当てるには、どうしてもトピアリーの中から、天国の門番だった聖人を見つけ出す必要がある。逆に見つけ出してもらうには、常にトピアリーを判別出来る状態にキープしておかなければならない。維持・管理してくれる者が必要不可欠だ」
サラは庭の所々に、綻びがあったことを思い出す。だけれど、あのノット花壇とトピアリーは、いま手入れを終えたばかりのように整えられていた。
「なるほど。公爵からあの花壇だけは、優先して手入れするよう頼まれていたってことですね」
そして最後まで封書が見つからなかった時には、その場所を夫人に伝えるようにとも。
「強欲な親戚連中に見つかったら、確実に処分される。だから、こんな謎解きのようなことを仕掛けたんだろうが、まわりくどい! さっさと庭師に在りかを教えさせればいいものを。おかげで僕が骨を折ることに……」
「ひょっとしたら、公爵は夫人に庭へ出て欲しかったのかもしれません」
愚痴を零していたアイリの口が止まり、サラの方を見る。
「園芸家は欲が深い生き物です。自分が丹精込めて育てた物は、どうしても誰かに見てもらいたい。愛する人なら尚更です」
「庭に秘密を隠せば、それを探すために、夫人は庭を散策することになる。そういうことか?」
「はい」
アイリは小さく息を吐く。
「ますます僕らのやったことは無駄だったな」
「いえいえい、これを機に、きっと夫人は庭に出るようになると思います。なにしろ公爵の愛が詰まった場所ですもの」
「そうだな。まあ、悪くないか」
「はい、悪くありません」
そう言って朗らかに笑うサラにつられ、アイリの口元も綻ぶ。
「それにしても公爵は、余程あの庭師を信頼していたんだろうな。長年家に仕えていた執事や使用人ではなく、彼に大切なものを託したんだから」
アイリは頬づえをついたまま、窓の外を見る。
「公爵さまと庭師さんが深く信頼し合っていたのは、庭を見れば分かります」
アイリの視線が、窓からサラへと移る。
「よい庭は、庭師だけで造るものではありません。主の理想の庭を、庭師が形にするんです。お互い信頼し合っていなければ、あれだけ素晴らしい庭は出来ません」
サラはばあちゃんの言葉を思い出す。
――心から信頼できる主を持った庭師は幸せだし、その逆もまた然り。
(こういう関係を、なんと言うんだったっけ?)
そんなことを考えいたサラは、ある言葉に辿り着く。そして誇らしげにアイリに言い放つ。
「主と庭師は、一蓮托生なんです!」
「一蓮托生? なんかちょっと違う気もするけど、まあ、覚えておくよ」
苦笑いしながら、再び窓へと視線を向けるアイリ。
その主の顔を見ながら、サラはシムネル邸の庭に思いをはせる。
爵位が無事継承され、主が変わったとしても、あの素晴らしい庭が維持されることを心の底から願いながら。
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