第22話 前哨戦

「せっかくだから、殺してやるよ」


 リヒトが啖呵を切ったその瞬間、時刻にして3月21日の午前9時8分。


 その時点から1時間ほど前。

 奥多摩町の山間部、新興宗教団体『仔羊の輪』、大聖堂最上階。

 神域と称されるその広間は、教祖にして現人神であるハスラウの生活空間だった。


「あ、やば」


 ハスラウの気の抜けた声が、部屋に響いた。


「どうかしたのですか?」


 隣の椅子で読書していた先生が、書面から目を放さず聞いた。


「んー、なんていうか。とりあえず共有するね」


 ぽん、と手を鳴らすハスラウ。その音と同時、先生の面前にサイトページが浮かび上がる。先生は書面から顔を上げた。


 リヒトの首に賞金が懸けられていた。


「これは……また、なんとも。派手なことをしますね。ハスラウ、サイトの開設者はわかりますか?」


「わかんない。ただ、ボクにもわかんないほど隠すのが上手いってことは、二択に絞れると思う。リヒトか、この国の王宮みたいなとこの人たちのどっちかだよ」


 この国の王宮みたいなとこ、とは日本政府のことだろう。先生はそう理解した。


「後者ならばスーパーコンピュータの使用がありえますね」


「すーぱ……?」


「貴方の魅了の魔眼と似たようなことができる、大掛かりな機械のことです。詳しくは後でググってください」


「ん。まー、多分リヒトだと思うよ。カンだけど。なんでこんなサイト作ったかはわかんないけど、ぞくの人たちと国の人たちが殺し合うなら、ボクらとしても助かるね!」


「いえ、そうとも限りません」


 先生はページに栞を挟み、本を閉じた。


「敵の視点に立って考えましょう。リヒトからすれば反社会的勢力も日本政府も大した相手ではないはず。彼にとって最も警戒すべき敵は、他ならぬ我々です。──『善く戦う者は敵の動かざる所を攻め、敵の意想外の所に進む』。彼は我々に対して先手を打った、と考えるべきです」


「おー。今の何かの聖句?」


「孫子の虚実篇ですよ」


 先生はたおやかに微笑み、先程まで読んでいた本を示した。


「ともかく、リヒトは何らかの理由で我々に気付いた。恐らく、貴方が進めていた探索者協会へのハッキングに気付いたのでしょうね」


「えー! リヒトにはボクを特定できないよ! あいつまだ【電脳】に目覚めたばっかじゃん!」


「その通りです。リヒトは貴方を特定できなかった。だからこそ、賞金サイトを開設して日本政府を動かすことで確かめたのです。貴方のような情報操作系のスキルホルダーの存在を」


「おぉ……。なるほどだね。先生もリヒトも頭いーなー」


「いえいえ」


「でも、ボクみたいな奴がいるってわかったから何なのさ。居場所まではわからないでしょ?」


「いえ、居場所もすぐに露見するでしょう。漠然とでもその存在が予想されれば、捜査のしようはいくらでもあります。特に、この一大事は日本中を騒がせている。日本政府としても、探索者協会との協力を検討するでしょう。両組織が展開する大規模な捜査網で徹底的に調べ上げられれば、我々は見つかってしまいます。特に、人の流れは中々ごまかしきれません。我々はそれなりに食いしん坊ですからね」


 冗談めかす先生に、ハスラウが胸を張って答える。


「そのときはボクが情報操作するよ」


「確かに、ある程度まではそれでどうにかなるでしょうね」


 先生はゆっくりと頷いた。


「しかし、リヒトが居る以上は油断は禁物です。彼の成長性には目覚ましいものがある。じきに彼は貴方のスキルの隙を突き、貴方に通ずる端緒を掴むでしょう」


「そうかなぁ? そうかも……。うーん……じゃーどーしよっかなー」


 顎に手を当て、その場をぐるぐると歩き回るハスラウ。先生は口を挟まず、ただ静かに見守る。


 やがて、ハスラウは立ち止まった。


「よし! 決めた! リヒトにちょっかいかけて実力確かめてみるよ!」


 ふむ、と先生は呟いた。


「大丈夫ですか? 迎撃や逆探知の可能性があるのでは?」


「だいじょーぶだいじょーぶ! ボクとリヒトとじゃ、ネンキ? が違うよ!」


 それに、とハスラウは言葉を継ぐ。


「リヒトについては知ってる。アイツは自分が生き残ることだけを考える、虫みたいな奴だよ。ちょービビリなんだ。目覚めたてのスキルでボクに挑みかかるような危ないことは、ぜーったいにしないよ!」


 断言するハスラウを静かに見つめ、先生は目を細めた。


「そうですか。では、任せます」


「うん!」


 ハスラウは快活に返事をした。



 そして、現在。


(──ハッタリだ!)


 ハスラウはリヒトの切った啖呵を、そう解釈しようとした。しかし、自分を誤魔化しきることはできなかった。


 ハスラウが構築した通信経路を伝って、リヒトの心的表象が、彼が最も伝えたい感情が、余す所なく伝わってくる。


 殺意だった。

 透き通るような殺意だった。


 怒りも恨みも憎しみも無い、殺すべきものを殺そうという意志。弾丸が目標めがけて直進するような、真っ直ぐな殺意だった。


(違う、ハッタリじゃない……)


 通信経路が、覚醒を経たリヒトの【電脳】によって拡張されていく。


(違う、コイツ本気だ。本気で今、ボクを殺そうと してる……)


 最低限度の視聴覚情報を送り合うためだけの通信経路が、強引に押し拡げられていく。


(違う、コイツは違う……)


 通信経路の維持は双方の同意によってのみ保たれる。一方が拒めば即座に切断される。しかしハスラウは拒めない。リヒトの殺意に気圧されたハスラウは視野狭窄に陥っていた。


 ハスラウは数多の人間の脳裏を覗き込み、日常的に

洗脳を施してきた。人間が知性体に対して殺意を抱く際の特徴についても知っていた。


 人間は悪感情の発展形としてしか殺意を抱くことができない。そのはずだった。


 ハスラウは数合理人という例外を前に、自らの認識と矛盾しない結論に至った。


(数合理人はニンゲンじゃない)


 コツ、と足音がした。

 ハスラウが後退る足音だった。


 リヒトが小さく鼻を鳴らした。


「魔人が殺気にビビったか」


「このッ──!」


 ハスラウは頭の中が燃え上がるように感じた。リヒトの侵食ゆえではない。初めて覚えた憤怒ゆえだ。


「舐めるなッッ!!」


 刹那、膨大な情報がリヒトの脳内で爆ぜた。臨戦態勢に移ったハスラウによる、最大火力の一撃だった。


 リヒトが動かなくなる。送り込まれた情報量はリヒトの脳の処理限界を超過していた。オーバーフローに追い込まれたリヒトは微動だにしない。瞬きすらできなくなった。


「リヒト!」


「リヒトくん!」


 エレナと凪が叫ぶ。リヒトは応えない。

 立ち上がろうとする凪を、アニマが手で制した。


「案ずるな」


 忠告するアニマは、険しい顔でリヒトを見ていた。


 ハスラウは肩で息をしながら、リヒトを指差す。


「……初心者にしては、悪くなかった。けど、ボクの方が上だ。二度と図に乗るなよ、この───」


 今度はハスラウが停止した。


 リヒトの鼻孔から鮮血が噴き出た。充血した瞳の焦点が、確かにハスラウを捉える。


(コイツ……!)


 ハスラウの体が震える。


(脳に血を注ぎやがった!)


 ハスラウの推理は的中していた。

 リヒトはハスラウが臨戦態勢に移った瞬間、脳血流を増加させると同時に脳血管壁を強化し、送り込まれる情報の高速処理に備えた。


 脳という至極繊細な臓器を、命そのものたる臓器を、『無瑕疵化むかしか』の適用されない臓器を、須臾しゅゆを争う闘いの最中に強化した。

 さながら、矢衾やぶすまの中を掻い潜りつつ、矢に紛れ飛ぶ針の穴に糸を通すが如き難行。


 それを即興でやってのける。それこそが、リヒトの最強たる所以。


 超然絶後の高等技術に、ハスラウは戦慄した。


 結果として、リヒトの脳はノーダメージで済んだ。強化が間に合わなかった鼻腔と結膜の毛細血管は多少破れたが、無瑕疵化で治るかすり傷だ。


 リヒトは平然とした口調で、アニマへ指示を出す。


「アニマ、演算補助と周囲の警戒」


「承知」


 アニマが短く答える。


「柳楽さん。エレナをお願いします」


「……任せて」


 凪が一拍置いてから請け負った。


「エレナ」


 最後に、エレナの名を呼ぶ。エレナは不安げにリヒトを眺める。


「少し待ってて」


 言うや否や、リヒトは十指を交互に組む。古今東西の魔術における、効果強化のためのハンドサインのひとつである。


「〝烏合うごう〟〝反力〟〝抑止の天秤〟」


 詠唱。術式効果強化のための一手。昨夜エレナに披露した出鱈目でたらめな詐術とは違う。本物の詠唱だった。


「バッ、やめろ! 何しやがる! やめろよ!」


 悲鳴じみた声で制止するハスラウは知っている。この詠唱の意味を知っている。


 これは肉体強化術式のうち、禁呪指定を受けたもの。人間は疎か、魔人すら迂闊には使用せぬもの。脳そのものに魔力を流して強化することで、あらゆる魔術の効果を高めんとするもの。


 リヒトはそれを、【変身】による脳機能強化のマニュアルに転用せんとしていた。


「〝れにはあたわず〟〝はてまでくろめよ〟」


 リヒトの両目から、血涙が溢れ出た。


「番外術式『極髄遍照マハ・マスティシュカ』」


 強化されたリヒトの脳から、殺傷性を帯びた心的表象が射ち放たれた


「や、め────────」

 

 ハスラウの脳内に、地獄が顕現した。


 視覚野は極彩色に煌めく眩い光の渦に焼かれる。聴覚野は地を砕き海を割るような轟音に揺るがされる。体性感覚野は激痛と灼熱と酷寒とを同時に訴えている。


 想像できうる全ての苦痛が、想像を絶する威力で注がれ続ける。脳が切り刻まれ、轢き潰され、引き千切られる感覚。


 ハスラウは顔中の穴から血を流し倒れ込む。純白の面布が緋色に染まる。悲鳴を上げる余裕すら無く、血溜まりの中でのたうち回る。純白の拘束衣が真紅に染まる。


 それを眺めてリヒトが笑う。


「ははっ、どうした? 逃げろよ!」


 魔眼の扱いに長け、屈指の処理能力を誇るハスラウですら処理しきれない情報量。リヒトがそれを送り出す際に、自らを守りきれているとは思えない。


「逃げろよ! いつもみたいに無様に!」


 リヒトもハスラウと同様の苦痛をこうむっているはず。だと言うのに、笑っている。血塗れの顔で凄絶に笑っている。


「逃げろって! 尻尾巻いて逃げ帰れ! 『人間様に殺されかけた』と仲間に伝えろ腰抜け野郎!!」


 通信経路は一方の拒否によって途切れる。だがハスラウは拒めない。魔物は生存本能よりも殺人衝動を優先する。それは魔人も同様である。

 しかし裏を返せば、彼らは生存のための逃避を選ぶことが中々できない。ハスラウが魔人の中では逃げ上手だったのは、基礎能力が高く、スキルが情報操作に優れており、格上と正面衝突した経験が無いからだった。


 此度の危機にハスラウは自失し、反応を示せなかった。


「わかったよ、ブチ殺してやる」


 リヒトは絡み合わせた十指にさらなる力を込める。その瞬間、ハスラウの姿が消えた。


 リヒトは背後へ倒れた。


「リヒトっ!」


 エレナが受け止める。


「生きてるよ」


 リヒトが笑いかけた。


「結界術による強制遮断……恐らく仲間によるものだね。だが緊急的なものだ。フラルゴの居た隠し階層ほど隠蔽が上手くない……すぐに探れば大まかな位置は特定できる」


 せる。血を吐く。鼻血が喉を通ったのだ。


「殺しきれなかったかぁ……。あ゛〜〜頭いてぇ。ま、ともかく……」


 手で顔を拭きながら、リヒトは微笑んだ。


「前哨戦は、こっちの勝ちだよ」



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