第11話 同居決定

「リヒトさんは【全貌鑑定】を魔人フラルゴにも使ったのよ。フラルゴの遺伝情報と、『断章』の内容情報が、彼の交渉材料なんじゃないかしら」


「ご理解いただけて何よりです」


 司の要約にリヒトは頷いた。

 庵は、震える唇を片手で覆い隠し、


(──とんでもない男だ!)


 胸の内で叫んだ。


 魔物の肉体に関する研究は進んでいない。生体の捕獲は極めて難しい上に、死骸はすぐ消滅してしまうからだ。


 魔人のような強力かつ稀少な種族に至っては前例が無い。


 故にこそ、フラルゴの遺伝情報は極めて有益と言えるだろう。しかしそれは同時に、世界のパワーバランスを脅かしうるという事でもある。

 今、魔術的資源の利権争いが水面下で済んでいるのは、あくまでも各国が牽制し合っているからだ。この話が外へ漏れれば、世界大戦の火種にすら成りかねない。


 『全知の書』の断章なら尚更だ。


 そこまで理解した上で、リヒトは交渉を持ちかけたのだ。


 リヒトは既にネットを通じて絶大な知名度を得ている。

 【電脳】というスキルがあれば、各国政府機関を含むあらゆる組織集団とコンタクトを取れる。

 魔人フラルゴの遺伝情報も、全知の書の内容情報も、法外な値段で売り込めるだろう。加えて、リヒト自身が魔人を難なく倒せるほど強い。さらに、いまだ実力の底知れない自称魔王の魔人を手懐けている。


 交渉の行方次第では、探索者協会に存亡の危機が訪れる。


 リヒトは脅し文句ひとつ口にせず、それをわからせてみせた。


「感心したわ」


 司は紅茶を一口飲み、リヒトへ視線を向けた。目隠し越しにもかかわらず、目を合わせるような仕草だった。


「正味な話、私たちは貴男を侮っていたのよ。力自慢の若者に過ぎないと見くびっていた。その認識は全くの過小評価だったと認めましょう」


 司はいずまいを正した。


「リヒトさん。私が望むのは最大多数の最大幸福です。そのためなら、どんな汚名も、どれほどの返り血も、喜んで被るわ。……貴男の望みは何かしら?」


「自由と栄光です」


 リヒトは静かな声で答えた。


「僕はこの世界でも異世界でも日陰者だったんです。そのまま死んでも良いと思ってたんですが、せっかくチャンスを貰えたので。これからは勝ちまくり目立ちまくり、って感じで行こうかと」


「あら、そう。若いのね。で、具体的には何を?」


「探索者資格と、ダンジョン配信の許可を」


 即答だった。


「後は何だろ? 基本的人権の尊重とかですかね」


「それだけでいいの?」


「ええ、それだけで十分です」


 リヒトの答えに、司は口を覆った。その仕草は庵と似ていたが、司のそれは微笑を隠すためのものだった。


「ふふふ……無欲なのか強欲なのか、不思議な人ですね。ともかく、貴男の希望を受け入れます。現時点をもって数合理人に準A級相当の特別探索者資格を授与し、無許可での探索・動画配信、および、未登録の魔人の同伴を不問とします」


 庵の息を呑む音が、広い執務室に大きく響いた。


「会長! その等級はあまりにも……」


「低すぎるくらいよ、庵。魔人討伐は本来ならばA級複数名で当たる任務なんですから」


 もっともな指摘であったのか、庵は目と口を閉じ、深く息を吐いた。リヒトは庵に対して、いくらか同情的な気分になった。が、元凶が自分であることを思い出し、気にしても仕方ないと思い直した。


「じゃ、そんな感じで。各種情報の取得はもう完了してますが、データ化には少々時間がかかります。明日には完了する見込みですので、そのときまた連絡します」


「それは重畳。データ確認時に、正式な契約書を取り交わしましょう。他にも色々の話をしておきたいのだけれど、今日はもう遅いし、明日に回しましょうか。ときに、今夜の宿についてだけれど───」


 司はそこで言葉を切り、首の角度をわずかに変えた。リヒトの背後の扉へと視線を向けたようだった。

 司はティーカップから離した手を机の下へ伸ばし、天板の裏の開扉ボタンを押した。


 ピ、という電子音。ガチャ、という解錠音。


 扉が開いた。


 黒いセーラー服を身に纏った天花寺エレナがそこにいた。

 庵は目を伏せる。エレナは拳を握りしめる。司は細く息を吐く。


 天花寺家の因縁をうかがい知るに余りある光景だった。


 部外者のリヒトは黙したまま、ただただ三者を眺めている。やがて、司がおもむろに口を開いた。


「……ちょうど良いときに来たわね、エレナ。貴女、これからはリヒトさんと暮らしなさい」


「は?」


「え?」


「ん?」


『あ゛?』


 最後のアニマの怒声は、リヒトにしか聞こえなかった。





(どうしてこうなった?)


 行きと同じ無人自動運転車の中、リヒトは首を捻った。


 最初は司の悪ふざけかと思ったが、探索者が先輩・後輩で共同生活を行うのは普通らしい。いわゆるブラザーフッド/シスターフッドだ。


『でもそういうのって普通は同性同士でやるんじゃないですか?』


 と、リヒトは尋ねた。しかし司は、


『あら、貴男は女性にもなれるのでしょう?』


 と笑った。

 一理あるかもしれないと思ったので、リヒトは反論しなかった。


(まあ、ていよく言っただけで本命は監視だろうしね。エレナは規範的な性格の子だから、僕が何かやらかしたときは即座に上へ報告するはず。でも、義務感と罪悪感の板挟みに苦しむだろうな。お人好しでもあるから。……予め言い訳を用意しておけば、黙っていてくれるかな? いや、会長との確執を深めさせる方が合理的か? 多少は時間がかかっちゃうけど、日々の会話で思考を誘導するというのも──)


 考えて、やめた。

 違う。こうじゃない。こんなことはしたくない。

 こんなことはしたくないから、第二の人生を始めたのに。


 無意識的な思考の奥底にまで刻み込まれた悪癖。暗殺者としての性。不治の職業病。


 リヒトはその醜悪さを、改めて自覚した。


 何かから目を逸らすように、車窓へと視線を移す。


 車は満月の下、桜並木の道を進んでいる。青褪めた光が満開の夜桜を照らし、木々の影を路面に長く伸ばしている。舞い散る花弁は、ヘッドライトの光を受け、白雪のように淡く輝く。


 異世界では見られなかった絶景だ。


(……住む世界が変わっても、生まれ変われるわけじゃないな)


 車窓にはリヒトの顔が反射している。鏡像と目が合う。彼の口の端はいびつな弧を描き、自嘲的な笑みを形作った。




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