第26話 殺す気で

 ダンジョン。

 魔力で満たされ、複数の階層で区切られた異常空間。見かけの体積よりも実際の容積は広く、はなはだしいケースでは、地下に形成されたダンジョンの内部に空や海が広がっている例すらある。


 膨張と魔物の自然発生が常に起こっており、魔物の個体群密度が閾値を超えると────つまり、スペースの広さに対して魔物が多くなりすぎると────地上にあふれ出てくる。『スタンピード』と呼ばれるこの現象を防ぐために探索者が存在し、彼らはいつも魔物の討伐に明け暮れている。

 魔物は死亡すると黒い微粒子となって蒸発するが、その際に空気中や地中に魔力がバラまかれる。その魔力が凝ると、魔石というエネルギー資源になる。環境に優しい化石燃料のようなもので、非常に重宝される。


 ダンジョンとは魔物という捕食者が棲まう死地であり、魔石の眠る資源埋蔵地でもある。


 物理的にも政治的にも油断ならない危険地帯である。


 その危険地帯で、リヒト、エレナ、なぎの三人は今────



 床にブルーシートを敷き、夕食時を過ごしていた。


「ってワケで、このダンジョンで地上のほとぼりが冷めるのを待つ間に、エレナを鍛えたいわけです。最終目標は、魔人と戦えるレベル。あ、柳楽やぎらさん、そのフルーツサンド僕もいいですか?」


「ん。まー、エレナ自身が狙われてるワケだし、自衛の力は付けてあげたいよね。ってかリヒトくん、もう仲間なんだし凪って呼んでよ。あとタメ口で話して」


「そうですね。ハスラウの性格からして、今は僕への復讐心で頭がいっぱいで、エレナのことはすっかり忘れてると思います。でも、復讐の手段としてエレナを狙うことはありえますからね。僕は大人相手にタメ口使えないですよ。名前呼びは……頑張ります」


「ナハハ、成人同士でオトナも何も無いでしょ。お酒ひととおりあるけど、何が良い?」


「僕は未成年ですよ」


「あっはっは、カブせが上手いねぇ。もしかして関西の人? いやぁ面白いよ。あはは……」


 凪は周囲の表情を見て、微妙な空気の変化を感じ取る。


「え、マジで未成年なの? エレナ、どうなの?」


「なんで私に聞くのよ……」


 突然話題を振られたエレナは、ちびちび飲んでいた缶コーヒーを置いた。


「私も詳しくは知らないわよ。容姿は若く見えるけど、【変身】でイジってるのかもしれないし」


 自然、二人の視線がリヒトに集まる。


「……17ですよ。12で転移して、5年くらい異世界に居たんで。顔は体格に合わせてそれっぽくしてあるんで、だいたい素顔だと思います」


 エレナは少しだけ目を見開いて、またコーヒーに口をつけた。一方、凪は大げさに驚いていた。


「高校生じゃん……あたしと10コ近く違うじゃん! 22ぐらいだと思ってたのに……お酒の代わりにソフドリ持ってくるね。コーラでいい?」


「はい、ありがとうございます」


 お辞儀をするリヒトを横目に、エレナは凪を半眼で見る。


「と言うか、アンタ酒飲もうとしてたわよね?」


「いや、あたしが飲むつもりはなかったよ。リヒトくんのための祝い酒を用意しようとだね……」


「仕事中に飲酒を勧めちゃダメでしょうが!」


「いーじゃん術士はアルコールなんかじゃ酔わないんだし!」


「そういう問題じゃないのよ! ほんっとアンタは毎度毎度──」


 かしましいふたりを、リヒトは静かに眺めている。

 エレナはいつも通りに戻ったようだった。魔物狩りでストレスを解消したのが良かったのか、リヒトがトレーニングを提案したのが良かったのか、食事をしたのが良かったのか、凪との会話が良かったのか。


 そのすべてが影響しているのだろうが、特に最後が奏功したのだろう。リヒトは凪を見ながらそう思った。


 視線に気付いた凪が、いくらか大人びた笑みを浮かべた。


「ふふ、あたしが気になるかねリヒト少年」


「うわ、急にお姉さんぶってる」


 エレナの即時的指摘に、凪は「うぐ」とうめいた。が、すぐに気を取り直す。


「あたしのスキルが気になるんでしょ? オンナの秘密に興味のある年頃ですものね」


「ああ、スキルについては大体わかってますよ。蝶を介しての解析・通信・ワープですよね。この食料やブルーシート、テントまで持ち込んでくれたんですよね? ありがとうございます、ほんとに」


 感謝を述べるリヒトの前で、凪は硬直していた。スキルの内実がバレていることにショックを受けたのだ。


「目の前で使ってみせてたんだからそりゃバレるでしょうよ」


 エレナが淡々と突っ込んだ。大々的にお披露目するつもりだった凪は、アテが外れて目を潤ませた。


 と同時に、(マズいことになった)と考えていた。

 解析とワープについてはリヒトの前で使用したが、通信は見せていないはずだ。【電脳】によって察知したのか、はたまたアニマに看破されたか。ともかく、これでは会長からの命令遂行に支障を来しかねない。


 リヒトのスキルについて探りを入れろ、という命令を。


「そう言えば、アニマさんの姿が見えないけど」


 話題を変えた凪に、リヒトは「ああ」と応える。


「今は霊体化してますよ。せっかくだし呼び出しましょう」


 リヒトが指を鳴らす。魔王アニマが顕現した。空中であぐらをかき、腕を組んでいる。


「何用じゃ」


 露骨に不機嫌そうだった。


「せっかくのディナーだから、君の顔が見たくて」


 リヒトくん意外とキザなんだよな、と凪は思った。が、口には出さなかった。


「……わらわは食事を摂れん。眺めるだけではつまらん」


 ふくれっ面のアニマに、リヒトは笑顔で返す。


「そうだよね。だからちょっと趣向を凝らしてみました」


 指を鳴らすと、アニマの前にフルーツサンドが投影された。


「これは……」


「僕の記憶から味や匂いや食感に関するクオリアデータを抜き取って、君向けに手を加えてみた。栄養にはならないけど、多分おいしいはずだよ」


 その説明を聞き届けたのかはともかく、アニマは瞳を煌めかせ、意気揚々と頬張った。


「おいしい?」


「うむ! 美味ぞ! 美味ぞ!」


 満足げなアニマを見て、リヒトもまた微笑んだ。


「さて」


 食事を終えたリヒトが立ち上がり、開けた場所へ移動する。


「腹ごしらえも済んだことだし、ぼちぼちトレーニングしましょうか。エレナ、準備できたら教えて」


「いつでも行けるわ」


 エレナはコーヒーをぐいと飲み干し、立ち上がった。


「おー、いいね。じゃ、さっそく始めちゃおうか」


 リヒトが再び指を鳴らす。


 瞬間、周囲の風景が切り替わった。青空の下、草も生えない大地の上に、リヒトとアニマとエレナと凪がいる。


「さっきやったクオリアデータの共有を応用してみました。皆さんに幻覚を見せてます。現実の皆さんは眠ってます。拒めば抜けられるのでご安心ください。そして、この空間で負ったダメージは現実の肉体にフィードバックされません。思いきりやっちゃって大丈夫です」


 さらさらと説明するリヒトの声は高い。彼は女性の姿に変身していた。


 しかし、レストランで見せた姿とは少し異なっている。身長が高く、いくらか筋肉質だ。エレナと似た体型に見える。


「身長・体重・骨格筋率・ウィングスパン、その他もろもろはエレナに合わせました。筋力も同一です。違うのは神経系……つまり、テクニックだけです」


 言うリヒトの周囲を、青く光る蝶が舞っていた。凪の使役する蝶がリヒトを解析していた。


「ホントだ! すげー! スリーサイズまで揃えてある!」


「……変態」


「ちがっ、全部揃えただけだから! 狙ったとかそういうんじゃないから!」


「そもそも何で知ってんのかって話になるよね」


「それは『全貌鑑定』でですね……」


「あ、そうか。リヒト少年──今は少女だけど、君はあたしのカラダも知っているワケだ。ウエストのたるからホクロの数、あんなトコやこんなトコの色に至るまで」


「エロい言い方せんでください……!!」


「なはは。じゃ、あたしは外から眺めとくよ」


 赤面するリヒトを尻目に、凪は幻覚から抜け出した。


 リヒトは既に、凪の意図に気付いている。会長から命を受け、リヒトのスキルを探ろうとしていることに気付いている。


 凪もまた、リヒトに気付かれていることに気付いている。どうせ見せてくれるのだから、たとえミスリードされようが見届けよう、と考えていた。


「さて、お手並み拝見と行こうか。エレナは単純な体術ならA級の私よりセンスあるよ。いくらリヒトくんでも、パワーがイーブンならキツいんじゃないかな」


「ははは。まあ、やれるだけやりますよ。エレナ、準備いい?」


「ええ」


 そのとき頷いたエレナは、一度もリヒトから目を放さなかった。しかし、彼女の目ではリヒトの動きを追えなかった。


 リヒトが一瞬にして巨大化したように見えた。それが遠近感による錯覚で、実際は高速接近されたのだと感覚的に理解する。それよりも早く、エレナの体は反射的に左へ飛んでいた。緊急回避だったので上手く着地できない。転がりながら体勢を立て直し、座位のまま構える。


 水音。顎を伝う液体のぬめる感触。脂汗。しかし、それだけではない。


 血が噴き出している。


「言い忘れてたけど」


 リヒトが思い出したように言う。血に塗れた手に何かを持っている。


 エレナの右耳だった。


 リヒトはそれを自分の口の前に持っていき、軽い口調で告げた。


「殺す気でお願いね」





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